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憑いてる。  作者: 受験孔明
空席
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72/80

第72話 第二候補

72話 第二候補


 東京駅の空気が変わった。


 誰も動かない。


 観測者たちも。


 リンも。


 悠真も。


 天堂も。


 全員の視線が一箇所へ集まっていた。


 少女。


 真心によく似た少女。


 東京駅の中央。


 人波の中に立つその存在だけが、現実から切り離されたように見えた。


 真心ではない。


 だが、真心に似ている。


 幼い真心の面影にも見える。


 白い駅で見た少女にも見える。


 そして、もっと違う何かにも見えた。


 東京駅全体に、感情のない声が響いた。


『第二候補を確認』


 将太は思わず眉をひそめる。


 第二候補。


 第一候補。


 さっきから何度も聞いている言葉。


 だが、意味が分からない。


「誰だ」


 将太は言った。


「お前は」


 少女は答えない。


 ただ、将太を見つめている。


 観察するように。


 確認するように。


 その目には感情がなかった。


「下がれ」


 リンだった。


 将太たちは振り返る。


 今まで見たことがない顔。


 警戒。


 焦り。


 そして恐怖。


 リンは少女の前へ出る。


「お前が出てくるには早い」


 少女は首を傾げる。


「早い?」


「そうだ」


 リンの声は低かった。


「残り七日だ」


「予定より三日早い」


 将太はその言葉に反応した。


 三日。


 以前も聞いた。


 孔明。


 リン。


 真心。


 全員が言っていた。


 早い。


 何かが。


 予定より。


 少女は静かに言う。


「誤差」


 リンの表情が険しくなる。


「誰が進めた」


 少女は答えなかった。


 代わりに、将太を見る。


「第一候補」


 その呼び方。


 将太は無性に腹が立った。


「その呼び方をやめろ」


 思わず言った。


 少女は初めて少しだけ表情を変えた。


 興味。


 そんな感情だった。


「面白い」


 そして、静かに続ける。


「まだ覚えていないのか」


 将太の鼓動が跳ねた。


 まただ。


 一人目。


 リン。


 真心。


 黒衣。


 全員が同じことを言う。


「何をだ」


 少女は答える。


「東京駅」


 将太は眉をひそめる。


「何だそれ」


「お前は来たことがある」


「ない」


「ある」


 即答だった。


「七年前」


 その瞬間、将太は言葉を失った。


 七年前。


 小学校へ入る前。


 記憶が曖昧な時期。


 思い出そうとしても、霞がかかったように思い出せない。


 なぜか、その期間だけ。


「嘘だ」


「本当」


 少女は淡々と言う。


「証拠はある」


 その時、悠真が前へ出た。


「見せろ」


 少女は悠真を見る。


 視線が一瞬だけ止まった。


「第三接続者」


 悠真の表情が変わる。


「その呼び方もやめろ」


 少女は小さく首を傾げた。


「あなたたちは、名前にこだわる」


「名前がなければ戻れないんだろ」


 悠真は静かに言った。


 少女はしばらく悠真を見ていた。


 そして、わずかに頷いた。


「なら見ればいい」


 少女は東京駅中央を指差した。


 巨大な時計。


 待ち合わせ場所。


 その下。


 景色が揺らぐ。


 東京駅が二重に重なる。


 現在の東京駅。


 過去の東京駅。


 二つの光景が重なった。


 将太は息を呑む。


 時計の下。


 一人の少年。


 七歳くらい。


 黒髪。


 細い身体。


 見覚えがあった。


 自分だった。


 幼い将太。


 少年は笑っている。


 無邪気に。


 何も知らないように。


 その隣に、もう一人いた。


 小さな女の子。


 長い髪。


 白いワンピース。


 将太は目を見開く。


 知っている。


 その顔を。


 田中真心。


 今よりずっと幼い。


 しかし、間違いなく真心だった。


 幼い将太と、幼い真心。


 二人は時計の下で並んでいた。


 そして、手を繋いでいた。


 東京駅の雑踏の中で。


 まるで、ずっと前から一緒だったかのように。


 将太の脳が理解を拒否する。


 知らない。


 こんな記憶はない。


 覚えていない。


 なのに、胸の奥だけがその光景を知っていた。


 幼い真心が、何かを言っている。


 声は聞こえない。


 だが、口の動きだけが見える。


 しょうたくん。


 そう呼んでいる。


 将太は息を止めた。


 真心が、前に自分をそう呼んだ。


 停止世界で。


「将太くん」


 あれは、初めてではなかった。


 七年前にも。


 真心はそう呼んでいた。


「何だよ、これ……」


 将太の声が震える。


「俺は知らない」


 少女は静かに言った。


「忘れただけ」


「誰が消した」


「消されたわけじゃない」


 少女の目が、少しだけ暗くなる。


「落とした」


「何を」


「名前」


 その言葉に、東京駅の光が一瞬だけ白く揺れた。


 リンが低く言う。


「やめろ」


 少女はリンを見た。


「もう見ている」


「まだ順番じゃない」


「でも、ここまで来た」


 リンは歯を食いしばる。


「お前が見せたら、また同じことになる」


「同じにはならない」


 少女は言った。


「今回は、第一候補が戻ってきた」


 将太は少女を見る。


「第一候補って何だ」


 少女は答えない。


 代わりに、東京駅の過去の光景を見た。


 幼い将太。


 幼い真心。


 その二人の前に、もう一人の子どもが現れる。


 小さな影。


 性別も分からない。


 顔も見えない。


 だが、その子は二人に向かって手を伸ばしていた。


 将太の胸が激しく痛む。


 知っている。


 この子を知っている。


 だが、名前が出てこない。


 幼い将太がその子へ振り返る。


 幼い真心も振り返る。


 その瞬間、東京駅の雑踏が止まった。


 過去の東京駅が白く染まる。


 人々の影が伸びる。


 赤レンガの壁が雪のように白く変わる。


 白い駅。


 七年前の東京駅が、白い駅と重なっていた。


 悠真が低く呟く。


「ここで始まったのか」


 少女が答える。


「そう」


 天堂が顔をしかめる。


「何がだよ」


 少女は言う。


「最初の観測」


 その言葉に、リンの表情が強張った。


「違う」


 リンが言う。


「最初じゃない」


 少女は首を傾げる。


「この国では、最初」


 将太はリンを見る。


「この国?」


 リンは答えない。


 だが、その沈黙で十分だった。


 上海。


 世界中の観測者。


 白い駅。


 これは日本だけの現象ではない。


 だが、将太たちの物語は、七年前の東京駅から始まっていた。


 少女が将太を見る。


「これが始まり」


「俺と真心が会ったことが?」


「違う」


 少女は首を振る。


「三人が揃ったこと」


 将太は過去の光景を見る。


 幼い将太。


 幼い真心。


 そして、名前の分からない三人目。


 三人目。


 その言葉に胸が痛む。


 今の三人とは違う。


 将太、悠真、天堂ではない。


 七年前の三人。


 将太。


 真心。


 名前を失った誰か。


 一人目。


 将太はようやく理解しかけた。


 一人目は、ずっと昔からいた。


 将太が忘れているだけで。


 白い駅の柱に刻まれていた名前。


 思い出そうとすると痛む名前。


 それは、七年前の東京駅で消えた子どもの名前なのかもしれない。


 少女は静かに言う。


「第一候補は、観測する側に立つ者」


 東京駅のアナウンスが微かに揺れる。


「第二候補は、名前を残す者」


 将太は息を呑む。


 少女は続ける。


「第一候補が忘れても、第二候補が覚えていれば、戻れる可能性が残る」


「じゃあ、第二候補って」


 将太は声を詰まらせる。


「真心なのか」


 少女は少しだけ笑った。


 その笑みは、真心に似ていた。


 だが、真心本人ではない。


「真心は、器」


 その言葉は重かった。


「田中真心は、一人目の名前を残すための器」


 将太は凍りついた。


 これで、いくつものことが繋がった。


 真心に影がない理由。


 教室中の影が真心に向いた理由。


 孔明と信長が警戒した理由。


 「本来なら存在してはならない」と言われた理由。


 真心は一人目ではない。


 二人目でもない。


 忘れられた者でもある。


 だが、それだけではない。


 真心は、忘れられた名前を残す器だった。


「じゃあ、お前は」


 将太が言う。


「何なんだ」


 少女は答えた。


「第二候補の残響」


「真心じゃないのか」


「真心でもある」


 少女は静かに言った。


「でも、田中真心そのものではない」


 将太は黙った。


 白い駅で会っていた少女。


 真心の姿をしているのに、真心ではない存在。


 それは、真心に残された記憶の残響。


 一人目の名前を保つために生まれた、役割の影。


 リンが苦しそうに言った。


「だから危険なんだ」


 将太はリンを見る。


「何が」


「真心を役割で見るな」


 リンの声は強かった。


「第二候補とか、器とか、そういう目で見れば、真心自身が消える」


 将太の胸が締め付けられた。


 そうだ。


 心陽も同じだ。


 二人目と呼べば、二人目に成っていく。


 真心も。


 器と呼べば、器に成ってしまう。


 だから名前で呼ばなければならない。


 田中真心。


 本人の名前で。


 少女は静かに言った。


「これが始まり」


 将太は過去の光景を見る。


 幼い将太。


 幼い真心。


 そして、名前の分からない子。


 少女は続ける。


「第一候補」


 将太。


「そして」


 少女の目に、初めて少しだけ感情が宿った。


「私が第二候補になった日」


 その瞬間、過去の東京駅が白く弾けた。


 幼い三人の姿が揺らぐ。


 将太は思わず手を伸ばす。


「待て!」


 幼い真心がこちらを見た。


 見えるはずがない。


 過去の光景のはずだ。


 それなのに、目が合った。


 幼い真心は、声を出さずに口を動かした。


 将太には読めた。


 ――忘れないで。


 将太の胸が痛む。


 その隣。


 名前の分からない子どもも、こちらを見た。


 顔はまだ見えない。


 だが、手を伸ばしていた。


 助けを求めるように。


 あるいは、別れを告げるように。


 将太の喉まで、名前が上がってくる。


 だが、リンが叫んだ。


「まだ呼ぶな!」


 将太は歯を食いしばった。


 順番。


 まだだ。


 まだ心陽を戻していない。


 まだ真心を繋ぎ止めていない。


 今一人目の名前を呼べば、崩れる。


 将太は拳を握る。


「まだ呼ばない」


 少女が将太を見た。


「少しだけ、思い出したね」


 将太は答えなかった。


 その時、東京駅の電光掲示板が赤く光った。


『始発まで』


『残り 三分』


 心陽の影が、遠くのホームへ歩いていく。


 将太はそちらを見る。


 白い改札。


 始発のホーム。


 心陽の影。


 もう時間がない。


 少女が静かに言った。


「光が先」


 将太は頷いた。


「如月心陽」


 声に出す。


 だが、ここでは強く呼びすぎてはいけない。


 東京駅は見られすぎている。


 ここで名前を固定すれば危ない。


 将太は小さく、しかし確かに言った。


「見失わない」


 次に、真心の方を見る。


 現実の真心はいない。


 だが、残響の少女がいる。


 将太は役割ではなく名前を呼んだ。


「田中真心」


 少女の表情が揺れた。


「忘れない」


 その瞬間、東京駅の白い光が少しだけ弱まった。


 始発までの表示が、二分に変わる。


 リンが言った。


「急げ」


 将太は頷いた。


 心陽の影を追う。


 だが、走り出す直前。


 少女がもう一度だけ言った。


「将太くん」


 将太は振り返る。


 少女は真心の顔で、しかし真心ではない声で言った。


「私を、第二候補にしないで」


 将太はその言葉の意味を理解した。


 真心を役割にしてはいけない。


 器にしてはいけない。


 残響にしてはいけない。


 田中真心として呼ばなければならない。


 将太は頷いた。


「分かってる」


 そして走り出した。


 始発まで、残り二分。


 心陽の影は、白いホームの端に立っていた。

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