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憑いてる。  作者: 受験孔明
空席
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71/80

第71話 第一候補

71話 第一候補


 夜だった。


 駅前広場。


 将太は静かに目を閉じた。


 悠真。


 天堂。


 三人が並んでいる。


 誰も冗談を言わない。


 誰も笑わない。


 ここまで来てしまった。


 全員がそう理解していた。


 白いノート。


『助けて』


『始発が来る前に』


 リンの警告。


 真心の焦り。


 残り七日。


 全てが一つの場所を指していた。


 東京駅。


「行くぞ」


 天堂が言った。


 将太は頷いた。


 本当なら、現実の東京駅へ行くはずだった。


 だが、駅前広場に集まった瞬間から、すでに何かがおかしかった。


 人の声が遠い。


 車の音が薄い。


 街灯の光が白すぎる。


 そして、足元の影がやけに長い。


『将太』


 三成の声がした。


『気を抜くな』


「分かってる」


 将太は小さく答えた。


 世界が静かになる。


 時計が止まる。


 風が止まる。


 音が消える。


 停止世界。


 だが、今回は違った。


 景色が揺れる。


 駅前広場が遠ざかる。


 街並みが引き延ばされる。


 空が折れ曲がる。


 巨大な何かに飲み込まれる感覚。


 白い駅へ引き込まれる時と同じ。


 しかし、もっと強い。


 もっと深い。


 現実の身体ごと、別の場所へ運ばれていくような感覚だった。


 悠真が低く言う。


「これは停止世界じゃない」


 天堂も顔をしかめる。


「ああ。足がある」


 将太は自分の手を見る。


 震えている。


 夢ではない。


 観測地図でもない。


 身体がある。


 痛みもある。


 呼吸もある。


 それなのに、現実の距離は壊れている。


 次の瞬間。


 視界が開けた。


 巨大な赤レンガ。


 高い天井。


 無数の改札。


 長いコンコース。


 光に照らされた駅舎。


 東京駅だった。


 将太は息を呑む。


 夢で見た。


 停止世界で見た。


 白い駅の奥にも見えた。


 何度も見た。


 だが、本物は圧倒的だった。


 ただの駅ではない。


 無数の人間が通り過ぎてきた場所。


 待ち合わせ。


 別れ。


 再会。


 出発。


 帰還。


 喜び。


 後悔。


 忘れられた約束。


 呼ばれなかった名前。


 それら全てが、赤レンガの奥に積もっている。


 東京駅は、見られすぎた場所だった。


「マジか……」


 天堂が呟く。


 悠真も言葉を失っていた。


 しかし、異常はすぐに見つかった。


 人がいる。


 しかも、動いている。


「おい」


 将太が言う。


「見ろ」


 三人は周囲を見る。


 会社員。


 学生。


 老人。


 旅行客。


 親子連れ。


 外国人。


 誰も止まっていない。


 歩いている。


 話している。


 笑っている。


 スマホを見ている。


 改札を抜けている。


 停止世界なのに。


「何なんだ、ここ」


 悠真が眉をひそめる。


「現実か?」


 天堂が言う。


 将太は首を振った。


「違う」


 人は動いている。


 だが、音が少しずれている。


 足音が遅れて聞こえる。


 会話が遠くから聞こえる。


 光が白すぎる。


 影が濃すぎる。


 現実の東京駅。


 停止世界の東京駅。


 白い駅。


 三つが重なっている。


 将太はそう感じた。


 その時だった。


 カツン。


 足音。


 三人が振り返る。


 柱の影。


 一人の少年が立っていた。


 リンだった。


「リン!」


 将太が駆け寄る。


 リンは痩せていた。


 以前より明らかに。


 顔色も悪い。


 目の下には濃い隈がある。


 首筋には、黒い文字の痕が残っていた。


『見つけた』


 文字は薄くなっている。


 だが、完全には消えていない。


「来たか」


 弱々しい声だった。


「助けてって」


 将太が言う。


「お前だったのか」


 リンは苦笑した。


「半分だけ正解だ」


「意味が分からん」


「俺は来るなと書いた」


 リンは言った。


「助けてと書いたのは、俺じゃない」


 将太の背筋が冷えた。


「じゃあ誰だ」


 リンは答えない。


 代わりに周囲を見る。


「見えるか」


 三人も振り返る。


 東京駅を歩く人々。


「何がだ」


「全員だ」


 リンが言った。


「ここにいる人間は、全員観測者だ」


 沈黙。


「は?」


 天堂が聞き返す。


「全員」


 リンは繰り返した。


「生き残った観測者たちだ」


 将太は息を呑む。


 白い駅で見た。


 世界中の観測者たち。


 だが、数が違う。


 多すぎる。


「何人いる」


「分からない」


 リンは首を振った。


「昔はもっといた」


 将太の背筋に寒気が走る。


 昔はもっといた。


 つまり、今ここにいるのは、残った者たち。


 消えなかった者たち。


 名前を保った者たち。


 だが、ここにいない者たちがいる。


 名前ごと消えた者たちが。


「何で全員ここにいる」


 悠真が聞いた。


「東京駅だからだ」


 リンは答えた。


「見られすぎた場所は、観測者を集める」


「世界中から?」


「現実の距離は関係ない」


 リンは将太を見る。


「ここは、白い駅に一番近い現実だ」


 その時だった。


 一人の会社員が立ち止まった。


 将太を見る。


 次に、一人の女子高生。


 その次に、老人。


 子供。


 旅行客。


 次々と、立ち止まる。


 東京駅全体。


 何千人もの視線。


 全てが、将太へ向く。


 誰も喋らない。


 ただ、見ている。


 将太の鼓動が速くなる。


 見られている。


 まただ。


 だが、今までとは違う。


 これは心陽が受けていた視線とは違う。


 好奇心でもない。


 評価でもない。


 期待でもない。


 これは確認だ。


 世界中の観測者が、将太を確認している。


「リン」


「何だ」


「何でだ」


 リンは少しだけ目を閉じた。


 諦めたように。


 苦しそうに笑う。


「やっぱりか」


「何が」


 リンは将太を見た。


 そして、静かに言った。


「お前だったんだな」


 その瞬間。


 東京駅全体にアナウンスが響いた。


『観測対象を確認』


『第一候補を確認』


 リンの顔色が変わる。


 将太の脳裏に、真心の顔が浮かぶ。


『間に合うといいね』


 あの言葉。


 あれは、心陽だけに向けられていたのではない。


 真心にも。


 リンにも。


 そして、将太にも向けられていた。


『観測対象を確認』


『第一候補を確認』


 アナウンスが繰り返される。


 そして、東京駅にいる全ての観測者が、一斉に膝をついた。


 将太の前で。


 将太は後ずさる。


「やめろ」


 声が震える。


「俺を見るな」


 だが、誰も目を逸らさない。


 悠真が将太の前に出ようとする。


 その瞬間、孔明の影が濃く現れた。


『動くな』


 悠真が止まる。


「なぜだ」


『今、前に出れば、お前も固定される』


 天堂の背後では、信長が笑っていなかった。


 ただ、東京駅全体を睨んでいた。


『なるほどな』


 信長が低く言った。


『これは戦ではない』


 天堂が聞く。


「じゃあ何だ」


『処理だ』


 その言葉に、将太の背筋が凍る。


 リンだけが震える声で呟いた。


「最悪だ……」


「リン」


「始まってしまった」


 将太はリンを見る。


「何が始まった」


 リンは答えようとした。


 だが、その前に東京駅の照明が白く瞬いた。


 改札の上の案内板。


 電光掲示板。


 広告看板。


 全てが一瞬だけ白くなり、同じ文字を表示した。


『第一候補』


 将太の頭に痛みが走る。


 第一候補。


 二人目ではない。


 一人目でもない。


 では何の候補か。


 リンがかすれた声で言った。


「オブザーバーだ」


 将太の呼吸が止まる。


「お前は」


 リンは続ける。


「本物のオブザーバーになる第一候補として、認識された」


 東京駅の空気がさらに重くなる。


 観測者たちは膝をついたまま、将太を見ている。


「候補ってことは」


 悠真が言う。


「他にもいるのか」


 リンは頷いた。


「いる」


「誰だ」


 リンは答えない。


 だが、その視線が一瞬だけ、悠真と天堂を通り過ぎた。


 そして、遠くの改札の向こうへ向かった。


 将太もそちらを見る。


 人混みの奥。


 白い光の中。


 誰かが立っている。


 少女。


 長い髪。


 制服。


 心陽だった。


「如月……?」


 将太は息を呑む。


 だが、そこにいる心陽は現実の心陽ではなかった。


 影だけだ。


 心陽の影が、人の形をして立っている。


 東京駅の観測者たちが、次にその影を見た。


 アナウンスが響く。


『二人目候補、接続』


 将太の全身が凍りついた。


 心陽の影が、ゆっくりこちらを向く。


 そして、笑った。


 本人の笑い方ではなかった。


 見られ続けて作られた、如月心陽の像。


 本人よりも本人らしく見える、影の笑み。


 将太は拳を握った。


「如月心陽」


 名前を呼ぶ。


 心陽の影がわずかに揺れた。


 だが、消えない。


 まだ遠い。


 まだ届かない。


 リンが低く言った。


「ここで呼ぶな」


「何で」


「ここは東京駅だ」


 リンの声が震える。


「見られすぎている」


 その意味を、将太は一瞬遅れて理解した。


 ここで心陽の名前を呼べば、その名前も観測される。


 観測者たちに固定される。


 心陽を救うどころか、二人目として確定させる危険がある。


 将太は歯を食いしばった。


 呼びたい。


 今すぐ呼び戻したい。


 だが、ここでは駄目だ。


 順番だけでなく、場所も間違えてはいけない。


 その時、真心の声が聞こえた。


 どこからともなく。


 耳元ではない。


 頭の奥でもない。


 東京駅全体から響くように。


「間違えないで」


 将太は周囲を見る。


 真心の姿はない。


 だが、声だけが残る。


「光は、白い駅で呼んで」


「空白は、東京駅で忘れないで」


「一人目は、最後に」


 将太は息を呑む。


 リンが目を見開いた。


「今の声」


「真心だ」


 将太が言う。


 リンは唇を噛んだ。


「やっぱり、あいつはまだ繋がってる」


「何に」


 リンは答えなかった。


 その代わり、東京駅の奥を見る。


 赤レンガの向こう。


 白い光のさらに奥。


 そこに、一つの改札が現れていた。


 普通の改札ではない。


 白い駅の改札。


 その向こうに、始発のホームが見える。


 電光掲示板には、赤い文字。


『始発まで』


『残り 六分』


 将太の心臓が跳ねる。


「六分?」


 天堂が呟く。


 リンが青ざめる。


「まずい」


「何が」


「始発が来る」


「来たらどうなる」


 リンは将太を見る。


「白い駅が開く」


 悠真が低く言った。


「開いたら?」


 リンは答えた。


「二人目の影が乗る」


 将太の視線が、心陽の影へ向く。


 人混みの奥。


 白い光の前。


 心陽の影は、静かにホームへ向かっていた。


 将太は走り出そうとした。


 だが、リンが腕を掴む。


「ここで追うな!」


「離せ!」


「追えば、お前も乗る!」


 将太はリンを睨む。


「じゃあどうしろって言うんだ!」


 リンは一瞬だけ目を伏せた。


 そして、震える声で言った。


「真心を探せ」


「田中を?」


「空白は東京駅で忘れるな」


 真心の言葉。


 リンは続ける。


「心陽を今ここで呼ぶな。先に真心を見つけろ」


 将太は息を荒くしたまま、東京駅を見渡す。


 観測者たち。


 膝をつく人々。


 赤レンガ。


 白い改札。


 心陽の影。


 始発まで六分。


 そして、どこにもいない真心。


 将太はようやく理解した。


 東京駅へ来た理由。


 ここで心陽を救うのではない。


 ここで、真心を忘れないために来たのだ。


 将太は声に出した。


「田中真心」


 東京駅全体の影が、一瞬だけ揺れた。


「田中真心」


 二度目。


 観測者たちの視線が、わずかに動く。


「田中真心」


 三度目。


 遠くの改札の向こう。


 白い光の端。


 一人の少女が立っていた。


 影のない少女。


 真心だった。


 真心は将太を見て、寂しそうに笑った。


 そして、声を出さずに口を動かした。


 将太には読めた。


 ――見つけてくれた。


 その瞬間。


 始発までの表示が、五分に変わった。

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