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憑いてる。  作者: 受験孔明
空席
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70/80

第70話 東京駅へ

70話 東京駅へ


 将太は目を覚ました。


 天井。


 自室だった。


 息が荒い。


 全身が汗で濡れている。


 時計を見る。


 午前五時十二分。


「……」


 夢ではない。


 もう何度も経験している。


 停止世界の記憶は消えない。


 一人目。


 自分の顔をした黒衣。


 東京駅。


 現実の東京駅。


 残り八日。


 そして。


『お前は忘れている』


 あの言葉。


 将太はベッドから起き上がる。


 机へ向かう。


 将太のノート。


 ゆっくり開く。


 白紙。


 白紙。


 そして、あのページ。


『観測開始まで』


『残り七日』


 数字が減っていた。


「早すぎるだろ……」


 昨日まで八日だった。


 たった一晩で。


 リンが見つかった。


 二人目の観測が始まった。


 一人目の影が、将太の影を通って戻ろうとしている。


 その全部が、時間を削っているのかもしれなかった。


 その時だった。


 ページが勝手にめくれる。


 将太は息を呑む。


 白紙。


 白紙。


 そして、最後のページ。


『東京駅』


 それだけだった。


 だが、将太は気付く。


 文字の下。


 薄く。


 本当に薄く。


 見落としそうなほど小さな文字。


 それは。


『始発』


 だった。


「始発……?」


 三成も黙っていた。


 珍しく、何も言わない。


 その沈黙が逆に不気味だった。


「三成」


『何だ』


「東京駅に行けってことか」


 三成は少し間を置いた。


『行け、とは書かれておらん』


「でも、行くなとも書かれてない」


『行けば、戻れぬかもしれん』


「行かなかったら?」


 三成は答えなかった。


 将太はノートを見る。


 東京駅。


 始発。


 その二つの言葉だけが、白いページの上で異様に重かった。


 塾。


 冬期講習前。


 将太は教室へ入るなり、悠真と天堂を探した。


 二人とも来ていた。


 だが、様子がおかしい。


 悠真の机にはノートが広がっている。


 数学ではない。


 駅の見取り図だった。


「東京駅」


 将太が言う。


 悠真と天堂は顔を見合わせる。


「やっぱりか」


 悠真が呟く。


「お前も見たのか」


 将太は頷いた。


 天堂が鞄から紙を出す。


 そこには、白い駅の絵。


 そして、ホーム番号のような数字。


 柱。


 時計。


 改札の位置。


 将太が見たものとほぼ同じだった。


「俺も描いた」


 悠真もノートを開く。


 同じだった。


 三人とも、同じ場所を見ている。


 同じ駅を。


 同じ景色を。


 偶然ではない。


 もう誰もそう思っていなかった。


「行くしかないな」


 天堂が言う。


「どうやって」


 将太が聞く。


「現実で行く」


 悠真が答えた。


 将太は顔を上げる。


「現実?」


「ああ」


 悠真は自分のノートを見る。


「停止世界の東京駅は、もう見た。観測上の東京駅も、白い駅も見た」


 悠真の声は落ち着いていた。


「でも、お前が見たのは現実の東京駅だろ」


 将太は息を止めた。


 そうだ。


 前回、黒衣は言った。


 現実の東京駅。


 そこで、一人目が消えた瞬間を見ている。


「つまり、次の手掛かりは現実側にある」


 悠真は続ける。


「白い駅ではなく、現実の東京駅に」


 天堂が腕を組む。


「問題は、中学生三人で東京まで行く方法だな」


「そこだよ」


 将太が言う。


「親に何て言うんだ」


「冬休みの自由行動」


「無理があるだろ」


「じゃあ、塾のイベント」


「嘘が雑すぎる」


 天堂は苦笑した。


 だが、顔は笑っていなかった。


 三人とも分かっている。


 行かなければならない。


 だが、現実の東京駅へ向かうということは、これまでとは違う。


 停止世界で迷うのとは違う。


 現実の移動。


 現実の距離。


 現実の責任。


 そして、その現実の場所が白い駅と重なっている。


 それが一番危険だった。


 その時、教室の扉が開いた。


 真心だった。


 将太は立ち上がる。


「田中」


 真心は足を止める。


「何?」


「東京駅って何だ」


 教室が静かになった気がした。


 真心の表情が止まる。


 数秒。


 そして、小さく息を吐く。


「見たんだね」


「答えろ」


 真心は将太を見る。


 悠真を見る。


 天堂を見る。


 そして、少しだけ寂しそうに笑った。


「本当は行ってほしくない」


「でも」


 少し間を置く。


「もう止められないか」


 将太の胸騒ぎが強くなる。


「何がある」


 真心は答えた。


「始まり」


 将太たちは固まる。


「何の」


 真心は窓の外を見る。


「全部の」


 その言葉だけが、妙に重かった。


 全部。


 停止世界も。


 観測者も。


 影も。


 ダンニュクも。


 一人目も。


 将太自身の欠けた記憶も。


 全部。


 チャイムが鳴る。


 講師が入ってくる。


 それ以上は聞けなかった。


 授業中、将太は何度も真心を見た。


 真心はいつも通り問題を解いている。


 だが、その足元にはやはり影がない。


 そして心陽の影は、前よりもさらに薄かった。


 心陽本人は普通に座っている。


 ノートを取り、問題を解き、時々麻里や双葉と小声で話している。


 だが、影だけが遠い。


 本人よりも、少し遅れている。


 将太は名前を心の中で呼ぶ。


 如月心陽。


 すると、心陽の影がほんの少しだけ足元に戻った気がした。


 気のせいかもしれない。


 だが、今はそれにすがるしかなかった。


 授業が終わる。


 放課後。


 三人は駅前広場に集まっていた。


 冬の夕暮れ。


 人混み。


 車の音。


 いつもの景色。


 だが、三人とも分かっていた。


 今夜。


 東京駅へ行く。


 現実の東京駅へ。


 その時だった。


 カラン。


 小さな音。


 三人が同時に振り返る。


 ベンチ。


 一冊の白いノート。


 真心のノートと同じような、見慣れた学習ノート。


 だが表紙に名前はない。


 将太は近付く。


 ゆっくり開く。


 そこに書かれていたのは。


『来るな』


 三人は顔を見合わせる。


 その下。


 新しい文字。


『リン』


 三人は黙る。


 リンが書いたのか。


 それとも。


 将太の背筋を寒気が走る。


 ページがひとりでにめくれる。


 最後のページ。


『助けて』


 その文字は、血のように赤かった。


 だが、それで終わりではなかった。


 赤い文字の下に、さらに新しい文字が浮かび上がる。


 ゆっくり。


 一文字ずつ。


 三人は息を止めて見守る。


 やがて、文章が完成した。


『始発が来る前に』


 冬の風が吹いた。


 誰も喋らない。


 将太の脳裏に、今朝見た文字が浮かぶ。


『東京駅』


『始発』


 同じだ。


 偶然じゃない。


 リンは何かを伝えようとしている。


 東京駅で。


 始発が来る前に。


 何かが起きる。


 いや。


 始まる。


 将太はノートを閉じた。


 悠真が静かに言う。


「行くしかないな」


 天堂も頷く。


「助けるかどうかは見てから決める」


「助ける」


 将太が言った。


 天堂が将太を見る。


「リンを?」


「リンも」


 将太は白いノートを見る。


「でも、それだけじゃない」


 如月心陽。


 田中真心。


 一人目の名前。


 全部が東京駅に繋がっている。


「始発前に、東京駅へ行く」


 悠真が言った。


「問題は時間だ」


 天堂がスマホを出す。


「現実の始発前なら、夜中に出ないと間に合わない」


 将太は黙る。


 親に言えるはずがない。


 だが、行かなければならない。


 現実の東京駅。


 始発前。


 そこで何かが始まる。


 その時、将太のスマホが震えた。


 通知。


 差出人不明。


 本文は一行。


『現実で来い』


 将太の手が止まる。


 続けてもう一行。


『影だけでは足りない』


 悠真と天堂も、自分のスマホを見ていた。


 二人にも同じ通知が来ていた。


 三人は顔を上げる。


 もう逃げられない。


 停止世界ではない。


 夢でもない。


 観測地図でもない。


 現実で行くしかない。


 将太は白くなり始めた空を見上げた。


 残り七日。


 そして今夜。


 自分たちは初めて、本当の東京駅へ向かう。

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