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憑いてる。  作者: 受験孔明
空席
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69/80

第69話 振り返った先

69話 振り返った先


 将太は振り返った。


 そこには、誰もいなかった。


 白いホーム。


 降り続く雪。


 白い線路。


 白い空。


 それだけ。


「……え?」


 思わず声が漏れる。


「何も……」


 言いかけた時だった。


 違和感。


 影がない。


 将太自身の影が、消えていた。


「三成」


 返事がない。


「三成!」


 周囲を見回す。


 リンもいない。


 真心の姿をした少女もいない。


 膝をついていた観測者たちもいない。


 白い駅に、将太だけが残されていた。


 雪が降っている。


 音もなく。


 風もなく。


 ただ、白く。


 なのに、寒さだけは現実のようにある。


 将太は自分の足元を見た。


 やはり影がない。


 光はある。


 白い駅全体がぼんやりと光っている。


 それなのに、影だけがない。


 消えた。


 いや。


 どこかへ行った。


 その時、足音が響いた。


 コツ。


 コツ。


 コツ。


 ホームの向こう。


 雪の中から、一人の少年が歩いてくる。


 黒いコート。


 フード。


 黒衣。


 だが、今回は違った。


 顔が見える。


 将太は息を呑んだ。


 自分だった。


「な……」


 言葉が出ない。


 黒衣は立ち止まる。


 将太と同じ顔。


 同じ背丈。


 同じ目。


 だが、決定的に違う。


 目の奥に、何もない。


 将太を映しているのに、将太を見ていない。


 まるで、将太という形だけを借りた空洞だった。


 黒衣は静かに言った。


『やっと見たな』


 将太の頭が真っ白になる。


『ずっと気付かなかった』


「何なんだよ、お前」


 黒衣は少し笑った。


『その質問は違う』


「違う?」


『お前が知りたいのは、俺が誰かじゃない』


 雪が強くなる。


『お前が誰かだ』


 将太は後ずさった。


 足元に影はない。


 逃げようとしても、どこへ逃げればいいのか分からない。


 白いホームはどこまでも続いている。


 線路も。


 雪も。


 空も。


 全てが同じ白に溶けていた。


『空席』


 黒衣が言う。


『観測者』


『綾小路将太』


『全部、正しいようで違う』


 将太の鼓動が速くなる。


『お前は忘れている』


「何を」


 黒衣は答えない。


 代わりに、将太の胸を指差した。


『ここだ』


 その瞬間。


 頭の奥で何かが弾けた。


 知らない記憶。


 知らない景色。


 知らない声。


 東京駅。


 人混み。


 赤いレンガ。


 濡れた床。


 天井を反射する光。


 改札。


 誰かの手。


 小さな手。


 白い光。


 そして、聞いたことのある声。


『二人目を見つけろ』


 将太は膝をついた。


 激しい頭痛。


「ぐっ……!」


 記憶ではない。


 だが、記憶に似ている。


 自分のものではないはずなのに、自分の中にある。


 東京駅。


 誰かといた。


 誰かを見た。


 誰かの名前を呼ぶはずだった。


 なのに。


 呼べなかった。


 将太は頭を抱えた。


「やめろ……」


 黒衣は静かに見下ろしていた。


『思い出せ』


『残り八日だ』


 将太は顔を上げる。


「お前が一人目なのか」


 黒衣は笑った。


 その笑い方だけが、将太とはまるで違っていた。


『まだ間違えている』


 将太の背筋が冷える。


『俺は一人目ではない』


「じゃあ何だ」


『一人目が戻るための影だ』


 将太は息を止めた。


『お前が落としたもの』


『お前が忘れたもの』


『お前が見ないようにしてきたもの』


 黒衣の輪郭が揺れる。


 将太の顔が、別の誰かの顔に変わりかける。


 だが、分からない。


 見えそうで見えない。


 名前が出そうで出ない。


 胸の奥が痛む。


 忘れてはいけない名前が、すぐそこにある。


 だが、呼ぼうとすると頭が白くなる。


『呼べ』


 黒衣が言った。


『今ここで』


 将太の喉が動く。


 名前が出そうになる。


 その瞬間。


 遠くから声が聞こえた。


「将太!」


 真心だった。


「そっちを見るな!」


 世界が揺れる。


 雪が砕ける。


 白い駅が崩れ始める。


 黒衣は、ほんの少しだけ不快そうに目を細めた。


『邪魔をするか』


 真心の声が続く。


「まだ順番じゃない!」


 順番。


 その言葉で、将太は我に返った。


 光。


 空白。


 忘れていた名前。


 最初に心陽。


 次に真心。


 最後に一人目。


 今ここで一人目の名前を呼んではいけない。


 どれだけ近くても。


 どれだけ思い出せそうでも。


 今ではない。


 将太は歯を食いしばった。


「まだ呼ばない」


 黒衣の表情が消えた。


『なぜ』


「順番が違う」


『思い出したいのだろう』


「思い出したい」


 将太は震える声で言った。


「でも、今呼んだら心陽が落ちる」


 白い駅の奥で、何かが震えた。


「如月心陽を見失うな」


 将太は声に出す。


「田中真心を忘れるな」


 その瞬間、雪の降り方が変わった。


 白一色だった世界に、細いひびが入る。


 黒衣が一歩下がる。


『ならば急げ』


 その声は低かった。


 将太は黒衣を見る。


『二人目は成りかけている』


 心陽。


 将太の胸が締め付けられる。


 黒衣は続けた。


『見られすぎた者は、やがて本人よりも像になる』


『像になれば、名前は届かない』


「そうなる前に戻す」


『戻せると思うか』


「戻す」


 将太は言い切った。


 黒衣はしばらく黙っていた。


 そして、最後に言った。


『次は東京駅だ』


 将太は眉を寄せる。


「白い駅じゃなくてか」


『現実の東京駅』


 その言葉で、将太の呼吸が止まる。


 現実の東京駅。


 観測上の東京駅ではない。


 夢でも、停止世界でも、白い駅でもない。


 本物の東京駅。


『そこで、お前は一度見ている』


「何を」


『一人目が消えた瞬間を』


 将太の頭に激痛が走る。


 東京駅。


 人混み。


 小さな手。


 白い光。


 呼べなかった名前。


 記憶の断片が、また弾ける。


 だが、掴めない。


 黒衣はフードをかぶり直した。


 将太の顔が隠れる。


 同時に、将太の足元へ影が戻った。


 だが、形が少しだけ違っていた。


 将太よりも細く。


 将太よりも小さく。


 一瞬だけ、誰か別の輪郭に見えた。


「待て!」


 将太は叫んだ。


 黒衣は白い雪の中へ歩き出す。


『残り八日』


 その声だけが残る。


『光が沈む前に、名前を呼べ』


 次の瞬間、視界は闇に飲み込まれた。


 将太は自室で目を覚ました。


 机に突っ伏していた。


 時計を見る。


 午前三時四十二分。


 ノートが開いている。


 そこに、新しい文字が浮かんでいた。


『現実の東京駅』


『一人目はそこで消えた』


 将太は息を止めた。


 その下に、もう一行。


『ただし、まだ呼ぶな』


 将太は震える手で、名前を書いた。


 如月心陽。


 田中真心。


 そして、空欄。


 一人目。


 まだ思い出せない名前。


 けれど、その空欄の横に、将太はもう一つだけ書き足した。


 東京駅。


 全ては、そこに戻ろうとしていた。

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