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憑いてる。  作者: 受験孔明
白い駅
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58/80

第58話 再会

58話 再会


 世界が砕けた。


 ガラスが割れるような音。


 光。


 白。


 そして、全てが溶けていく。


 将太は思わず目を閉じた。


 次に目を開いた時、そこは知らない場所だった。


 雪。


 白いホーム。


 白い線路。


 白い空。


 静寂。


 音がない。


 風もない。


 それなのに、雪だけが降っている。


「……ここ」


 将太は周囲を見渡した。


 夢で見た場所だった。


 何度も。


 何度も。


 最近ずっと見ていた。


 白い駅。


『知らん』


 三成が珍しく即答した。


『こんな場所は見たことがない』


 将太はホームを歩いた。


 足元の雪を踏む。


 感触がある。


 冷たさもある。


 現実と変わらない。


 いや。


 むしろ、現実よりも現実らしかった。


 ホームの端を見る。


 誰もいない。


 悠真も。


 天堂も。


 さっきの少女も。


 リンも。


 いない。


 自分だけだった。


「やっと来たな」


 声。


 将太は反射的に振り返った。


 ホームのベンチ。


 そこに一人、座っている。


 リンだった。


 黒い髪。


 細い体。


 いつもの静かな目。


 停止した駅前で何度も見た、上海出身の観測者。


 だが、何かが違う。


 輪郭が薄い。


 そこにいるのに、そこにいないような感じがする。


「リン」


 将太は一歩近づいた。


「お前、さっき駅前にいただろ」


 リンは小さく笑った。


「いた」


「じゃあ、これは何だ」


「残響に近い」


「残響?」


「俺がここを見た時の記録」


 将太は眉をひそめた。


「本人じゃないのか」


「本人でもある」


 リンは肩をすくめる。


「この場所では、そういう分け方はあまり意味がない」


 三成は警戒を解いていない。


『相変わらず信用ならん顔だ』


 リンは笑った。


「それでいい」


 将太はベンチの前まで歩いた。


「ここは何だ」


 リンは空を見る。


 白い空。


 降り続く雪。


「知らない」


 将太は眉をひそめた。


「お前でもか」


「本当に知らない」


 リンは静かに言った。


「俺たちは名前を付けていない」


「俺たち?」


「観測者たち」


 将太は黙る。


 リンは続けた。


「でも、みんなここを見る」


「夢でか」


「夢で」


 リンは頷いた。


「最後には、ここへ来る」


 最後。


 その言葉だけが妙に引っ掛かった。


「最後って何だ」


 リンは答えない。


 少しだけ目を伏せる。


 その表情は、いつものリンよりずっと重かった。


「リン」


「何だ」


「何が起きてる」


 数秒。


 沈黙。


 やがてリンは小さく息を吐いた。


「世界中で、同じことが起きてる」


 将太は黙って聞く。


「中国も」


「韓国も」


「アメリカも」


「ヨーロッパも」


「みんな同じ夢を見る」


 白い駅。


 将太はそう思った。


「みんな同じ影を見る」


 心陽の影。


 天堂の影。


 黒衣。


「みんな同じ言葉を聞く」


 将太は拳を握った。


「ダンニュクか」


 その瞬間だった。


 リンの表情が変わった。


 驚き。


 そして、ほんの少しだけ焦り。


「お前」


 リンは将太を見る。


「そこまで来てるのか」


「知ってるのか」


「知らない」


 即答だった。


「は?」


「本当に知らない」


 リンは首を振った。


「昔からそう呼ばれているだけだ」


「誰が?」


「分からない」


「意味は?」


「分からない」


「じゃあ何なんだよ」


 リンは少しだけ笑った。


 だが、その笑顔は苦かった。


「それを探してるのが俺たちだ」


 将太は言葉を失った。


 リンですら知らない。


 世界中の観測者ですら知らない。


 それが、ダンニュク。


 だが、知らないのに恐れている。


 意味が分からないまま、全員が同じ言葉を聞いている。


 それだけで、十分に異常だった。


「一つだけ分かっていることがある」


 リンが言った。


「何だ」


「ダンニュクに落ちた者は、名前から消える」


 将太の胸が冷えた。


「死ぬってことか」


「違う」


 リンは首を振る。


「死より面倒だ」


「どういう意味だよ」


「死んだ人間は、誰かの記憶に残る」


 リンの声は静かだった。


「記録にも残る。写真にも、名前にも、言葉にも残る」


 将太は黙っていた。


「でも、ダンニュクに落ちた者は、残らない」


 雪が降り続ける。


 音のない雪。


「いたことだけが消える」


 将太は喉が詰まった。


 真心の輪郭がぼやける理由。


 思い出せない理由。


 名前を書かなければ存在が薄くなる理由。


 それに近い。


 いや。


 真心は、すでにそこに近づいているのかもしれない。


「田中真心は」


 将太は声に出した。


 名前を確認するように。


「そこに落ちかけてるのか」


 リンはすぐには答えなかった。


「分からない」


「またそれか」


「でも、近い」


 リンは言った。


「真心は忘れられた者。心陽は見られすぎた者」


 将太は顔を上げる。


「お前、知ってるのか」


「ここでは、名前が見える」


 リンはホームの柱を指さした。


 将太は振り返る。


 白い柱。


 そこには文字が刻まれていた。


 如月心陽。


 田中真心。


 綾小路将太。


 森岡悠真。


 天堂。


 そして、その下。


 薄く消えかけた文字。


 読めない。


 見ようとすると、頭が痛む。


 将太は目を細めた。


「これは誰の名前だ」


「一人目」


 リンの声が低くなった。


 将太の背筋が冷たくなる。


 一人目。


 観測者ではなく、観測される側。


 見られすぎて地図になった存在。


「読めない」


「読めないようにされている」


「誰に」


「世界に」


 リンはそう言った。


「一人目は、名前を失った」


「じゃあ、待ってるってどういう意味だ」


「分からない」


 リンは柱を見る。


「でも、名前を失っても、完全には消えていない」


「だから待ってるのか」


「たぶん」


 将太は柱から目を離せなかった。


 消えかけた名前。


 誰にも呼ばれなかった名前。


 それを見ていると、胸の奥が妙に痛んだ。


 知らないはずなのに。


 なぜか、知っている気がする。


 その時だった。


 ホームの奥。


 誰もいないはずの場所。


 遠くに人影が見えた。


 少女。


 長い髪。


 制服。


 将太の呼吸が止まる。


 夢の中の少女。


 白い駅にいた少女。


 さっき駅前に現れた少女。


 距離が遠い。


 顔は見えない。


 それでも、なぜか分かった。


 あの少女だ。


 リンが立ち上がった。


 初めてだった。


 リンがここまで緊張するのは。


「まずい」


「何が」


「時間がない」


 少女がこちらを見る。


 その瞬間。


 駅全体にアナウンスが響いた。


 聞いたことのない言語。


 意味は分からない。


 なのに、将太には理解できた。


『観測準備開始』


 背筋が凍る。


 リンも。


 三成も。


 何も言わない。


 少女が一歩前へ出る。


 雪が舞う。


 白い景色。


 そして、少女は将太を見つめた。


「ようやく来た」


 初めて聞く声。


 それなのに、懐かしかった。


 胸の奥が痛むほどに。


「お前、誰だ」


 将太は叫んだ。


 少女は少しだけ首を傾げた。


「覚えてないの?」


 将太の心臓が跳ねる。


「何を」


 少女は答えない。


 ただ、どこか悲しそうに笑った。


「やっぱり」


 雪が強くなる。


 駅が揺れる。


 ホームが霞み始める。


 景色が少しずつ崩れていく。


 リンの姿も薄くなる。


 三成も。


 駅そのものも。


 少女だけが残る。


 そして、静かに言った。


「あと十一日」


 将太は一歩踏み出す。


「待て!」


 だが、届かない。


 少女の姿が白に溶けていく。


 最後に、声だけが残った。


「今度は忘れないでね」


 将太の呼吸が止まる。


「……は?」


 次の瞬間、世界は完全な白に飲み込まれた。


 将太が最後に見たのは、白い柱だった。


 消えかけた一人目の名前。


 その文字の一部が、一瞬だけ読めた。


 だが、現実に戻る直前。


 将太の記憶から、その文字だけが剥がれ落ちた。

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