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憑いてる。  作者: 受験孔明
白い駅
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55/80

第55話 やっぱりお前だったのか

55話 やっぱりお前だったのか


 翌日。


 学校の教室の窓から差し込む冬の日差しは弱かった。


 空は薄い灰色。


 雪こそ降っていないが、どこか重たい空気が学校全体を覆っている。


 将太は机に肘をつきながら、ぼんやりとノートを見ていた。


 ページの端。


 あの文字。


『一人目は待っている』


『二人目は――』


 そこから先は何も書かれていない。


 昨日から変化はない。


 だが逆に不気味だった。


 まるで続きを知っている誰かが、意図的に止めているようだった。


 昼休み。


 教室は騒がしかった。


 冬休み明けが近いせいか、皆どこか浮ついている。


 陽斗が誰かとふざけている。


 志保は呆れた顔をしながらも笑っている。


 来海と大地は、次の小テストの範囲について言い合っていた。


 天堂は窓際の席で、スマホを見ながら何か考えている。


 いつもの光景。


 何も変わらない。


 そのはずだった。


 将太は無意識に床を見る。


 天堂の影。


 今日は普通だった。


 少なくとも表面上は。


 笑わない。


 動かない。


 遅れない。


 だから余計に不安になる。


 嵐の前の静けさのようだった。


「綾小路」


 声。


 天堂だった。


「何だ」


「今日、塾行くよな」


「行く」


 天堂は少し考えるような顔をした。


「昨日の夢のことだけど」


 将太の指が止まる。


「また見たのか」


「いや」


 天堂は首を振る。


「見てはいない」


「じゃあ何だよ」


「思い出しかけた」


 将太は顔を上げた。


 天堂はいつもの軽い顔ではなかった。


「駅」


 短く言う。


「白い場所」


 将太の胸がざわつく。


「それと」


 天堂は言いかけて、やめた。


「いや、いい」


「何だよ」


「自分でも変な話だから」


 将太は問い詰めなかった。


 問い詰めたところで、天堂自身もまだ整理できていないのだろう。


 ただ、確実に近づいている。


 天堂も。


 悠真も。


 心陽も。


 真心も。


 そして、将太自身も。


 放課後。


 塾。


 全国模試直前。


 最上位クラスの教室は静かだった。


 問題を解く音だけが響いている。


 教師の解説。


 板書。


 ペンの音。


 将太も問題を解いていた。


 だが、集中できない。


 視界の端で、窓際の真心が見える。


 静かに問題を解いている。


 相変わらず目立たない。


 それなのに、最近はどうしても存在感を感じる。


 まるで最初からそこにいたのに、自分だけが気付いていなかったような。


 その少し前の席に、心陽がいる。


 姿勢はきれいだ。


 ペンの動きも安定している。


 だが、影が薄い。


 昨日よりは戻っている。


 それでも、完全ではない。


 本人の輪郭と影の輪郭が、少しだけずれている。


 麻里が休憩時間に心陽へ小声で話しかけている。


 双葉も心配そうに様子を見ている。


 この教室では、心陽はよく見られている。


 成績。


 順位。


 表情。


 失敗。


 沈黙。


 全部が、誰かの視線に拾われる。


 見られすぎた者。


 将太はその言葉を思い出して、すぐに打ち消した。


 違う。


 今それで呼んではいけない。


 如月心陽。


 本人の名前で、呼ばなければならない。


 ふと、真心が顔を上げた。


 目が合う。


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ。


 真心は何か言いたそうな顔をした。


 だが何も言わない。


 再び問題集へ視線を戻した。


 将太の胸の奥に、嫌な予感が残った。


 その夜。


 将太は眠れなかった。


 時計を見る。


 午前一時。


 窓の外は真っ暗だった。


「……行くか」


 三成は何も言わない。


 止めない。


 だが賛成もしていない。


 世界が静かになる。


 音が消える。


 時計が止まる。


 停止世界。


 将太はゆっくり目を開いた。


 部屋。


 机。


 カーテン。


 全てが静止している。


 最近は慣れた。


 だが、慣れたからこそ分かる。


 今日は何か違う。


 空気が重い。


 将太は部屋を出る。


 階段。


 玄関。


 夜の街。


 静まり返った世界。


 駅前へ向かう。


 歩きながら、妙な違和感があった。


 誰かに見られている。


 そんな感覚。


 以前なら、気のせいだと思ったかもしれない。


 だが今は違う。


 自分はもう見つかっている。


 世界に。


 白い駅に。


 何かに。


 駅前広場へ着く。


 ベンチ。


 信号。


 止まった人々。


 いつもと同じ。


 だが、そこにリンがいた。


 珍しく立っている。


 いつもはベンチに座っているのに。


「来たか」


「何かあったのか」


 将太が聞く。


 リンは答えない。


 代わりに、遠くを見る。


「始まる」


 将太は眉をひそめる。


「何が」


「観測」


 またその言葉だった。


「だから何なんだよ」


 リンは数秒黙った。


 そして言った。


「反応が出た」


「何の」


「二人目」


 将太の呼吸が止まる。


 風のない世界。


 静寂。


 その言葉だけが響いた。


「誰だ」


「まだ分からない」


「は?」


「確定してない」


 リンは真剣だった。


「候補がいる」


「複数?」


「うん」


 リンは頷いた。


「でも、条件は揃ってきた」


「条件って何だ」


「見られすぎた者と、忘れられた者」


 将太は何も言えなかった。


 心陽。


 真心。


 その二人の名前が、また胸の奥で重なる。


「二人目って、オブザーバーのことじゃないのか」


 将太が聞くと、リンはすぐに首を振った。


「違う」


 その否定ははっきりしていた。


「一人目は観測者じゃない」


「……」


「見られすぎて、地図になった人」


 将太の背筋が冷たくなる。


 前に聞いた話。


 一人目は観測する側ではなく、観測される側。


 存在そのものが、地図になってしまった者。


「二人目も同じなのか」


「同じになりかけてる」


 リンはそう言った。


「だから止めないといけない」


「心陽か」


 リンは答えなかった。


 答えなかったが、否定もしなかった。


 将太は奥歯を噛む。


「じゃあ観測開始って何だ」


 リンは空を見る。


 止まった夜空。


 動かない雲。


 そして、小さく呟いた。


「世界が、観測対象を確定すること」


「確定したらどうなる」


「戻れなくなる」


 将太は言葉を失った。


 リンの声は淡々としていた。


 だが、その中に緊張が混じっている。


「名前で呼んでも、届かなくなる」


 その言葉が、将太の胸に刺さった。


 名前で呼んでも届かない。


 それは最悪だった。


 心陽を救う方法。


 真心を忘れない方法。


 将太が今握っているものは、名前しかない。


 それが届かなくなる。


「残り十三日って出た」


 将太が言うと、リンの表情が変わった。


「どこで」


「俺のノート」


「……もう出たんだ」


「知ってるのか」


 リンは少し目を伏せた。


「上海でも出た」


 将太は息を呑む。


「お前の時か」


「私じゃない」


 リンは静かに言った。


「別の子」


 それ以上、リンは話さなかった。


 だが、将太には分かった。


 その子は、たぶん戻れなかった。


 三成も何も言わない。


 沈黙が重く落ちる。


 その瞬間だった。


 頭痛。


 将太は顔をしかめる。


 停止世界が揺れる。


 景色が歪む。


 最近何度も起きている現象。


「っ……!」


 リンが何か言う。


 三成も叫んでいる。


 だが聞こえない。


 世界が軋む。


 視界が白くなる。


 駅前広場の地面に、細い線が走る。


 白い線。


 駅のホームの端のような線。


 ベンチが歪む。


 信号機が遠ざかる。


 止まった人々の影が、同じ方向を向く。


 白い駅が近い。


 将太は本能的にそう感じた。


 そして。


 気付いた。


 誰かいる。


 背後。


 すぐ後ろ。


 気配。


 人間の気配。


 将太はゆっくり振り返った。


 そこにいた。


 制服姿。


 見慣れた顔。


 黒髪。


 驚いた表情。


 そして、完全に動いていた。


 森岡悠真。


 悠真は数秒固まった。


 将太も固まる。


 互いに言葉を失う。


 リンが、小さく息を呑んだ。


 三成の気配も変わる。


 悠真の背後には、孔明がいた。


 今までよりはっきりと。


 静かに。


 鋭く。


 この停止した世界全体を測るように。


 悠真は周囲を見る。


 止まった駅。


 止まった人々。


 動かない信号。


 白く歪みかけた地面。


 そして、将太を見る。


 やがて悠真が小さく息を吐いた。


 それから、苦笑した。


「やっぱりお前だったのか」


 将太の心臓が大きく跳ねた。


「……は?」


 悠真はもう一度、周囲を見る。


 止まった世界。


 普通ではない光景。


 それでも、取り乱してはいなかった。


 むしろ、納得しているように見えた。


「ずっと変だと思ってた」


「何が」


「お前だけ、見てる場所が違う」


 将太は何も言えなかった。


 悠真は続ける。


「塾でも、学校でもない。模試でもない。誰も見ていないところを、お前だけ見ていた」


「……」


「だから気になってた」


 悠真は将太を見る。


「ここは何だ」


 将太は答えようとした。


 だが、その前にリンが一歩前に出た。


「あなたは、どうやって入った?」


 悠真はリンを見る。


 初対面のはずだ。


 だが、驚きは薄い。


 むしろ、リンの存在まで含めて状況を整理しようとしている顔だった。


「分からない」


「夢じゃない?」


「夢なら、もっと楽だ」


 悠真は自分の手を見る。


「さっきまで問題を解いていた」


「塾で?」


「ああ」


「気付いたら、ここにいた」


 リンは目を細める。


「引き込まれた」


「誰に」


 悠真が聞く。


 リンは答えない。


 将太にも分からなかった。


 白い駅か。


 観測地図か。


 孔明か。


 それとも、悠真自身の視線がここへ届いたのか。


 悠真は将太に向き直る。


「綾小路」


「何だ」


「ずっと聞きたかった」


 悠真の声は静かだった。


「ここ」


 止まった駅前。


 動かない人々。


 白くひび割れた地面。


 遠くに見える、駅ではない駅の光。


 その全てを見渡してから、悠真は言った。


「何なんだ?」


 将太はしばらく黙っていた。


 逃げられない。


 もう、悠真は見えてしまった。


 ごまかしても意味がない。


 将太は息を吸った。


「停止世界」


 悠真の表情は変わらない。


「俺が勝手にそう呼んでる」


「停止世界」


 悠真が繰り返す。


「ここでは、現実の時間はほとんど進まない」


「便利だな」


「便利じゃない」


 将太は即座に言った。


「入れば入るほど、こっちに見つかる」


 悠真の目が細くなる。


「こっち?」


 将太は白い光の方を見た。


「白い駅」


 その言葉を聞いた瞬間、悠真の背後で孔明の影がわずかに動いた。


 悠真も気付いたのか、少しだけ眉を寄せる。


「白い駅」


「お前も見たのか」


「夢で」


 将太の胸が重くなる。


 やはり。


 悠真も見ている。


 天堂だけではない。


 悠真も白い駅に近づいている。


「そこに、誰かいた」


 悠真が言った。


「顔は見えなかった」


「真心に似てたか」


 将太が聞くと、悠真の顔が初めてはっきり変わった。


「何でそれを知ってる」


 将太は答えなかった。


 その代わり、リンが低く言った。


「田中真心」


 悠真がリンを見る。


「知ってるのか」


「忘れられた者」


 リンはそう言った。


 将太は止めようとした。


 だが遅かった。


 その瞬間、駅前広場の空気が変わった。


 止まった人々の影が、一斉に揺れる。


 遠くの白い光が強くなる。


 三成が舌打ちする。


『名前を扱う時は慎重にしろ』


 リンは少しだけ顔をしかめた。


「ごめん」


 悠真は混乱していた。


 だが、それでも状況を見ようとしている。


 逃げない。


 目を逸らさない。


 それが悠真らしかった。


「田中真心が関係してるのか」


 悠真が聞く。


 将太は頷いた。


「如月心陽も」


 その名前を出した瞬間、白い地面のひびがさらに広がった。


 悠真の表情が硬くなる。


「如月も?」


「ああ」


「二人に何が起きてる」


「俺にも全部は分からない」


 将太は正直に言った。


「でも、心陽は二人目になりかけてる」


「二人目?」


「観測される側だ」


 将太は言葉を選びながら続ける。


「見られすぎて、本人じゃなくて影の方が形を持ち始めてる」


 悠真の目が鋭くなる。


 理解しようとしている。


 ただ聞いているのではない。


 構造を掴もうとしている。


「田中は?」


「忘れられた側」


 将太は真心の名前を口に出すのが怖かった。


 だが、ここで伏せても意味がない。


「いたはずなのに、記憶に残りにくい。名前を書かないと、存在が薄くなる」


 悠真はしばらく黙った。


 そして言った。


「見られすぎた者と、忘れられた者」


「ああ」


「その二人が鍵か」


 将太は息を呑んだ。


 まだそこまでは説明していない。


 だが、悠真は辿り着いた。


 孔明の影が静かに目を伏せる。


 まるで、その推論を当然だと言うように。


「たぶんな」


 将太は答えた。


「二つの名前で、白い駅が開く」


 悠真は白い光を見る。


「開いたらどうなる」


「分からない」


 リンが言った。


「でも、観測開始まで残り十三日」


 悠真はリンを見る。


「十三日後に、心陽が二人目として確定するかもしれない」


 将太が補う。


 悠真の顔から、感情が消えた。


 怒りでも恐怖でもない。


 計算する顔。


 状況を整理し、勝ち筋を探す顔。


 将太は、その顔を模試で何度も見たことがあった。


 悠真は言った。


「なら、十三日以内に条件を崩す」


 リンが目を細める。


「簡単じゃない」


「簡単かどうかは聞いてない」


 悠真は将太を見る。


「綾小路」


「何だ」


「お前、一人でやる気だったのか」


 将太は答えなかった。


 悠真は小さく息を吐く。


「無理だろ」


「分かってる」


「分かってない顔だ」


 将太は言い返せなかった。


 悠真は止まった駅前を見渡した。


「ここで何ができる」


「見ること」


「見るだけか」


「見るだけで変わる」


 悠真はその言葉を聞いて、少しだけ考えた。


「観測か」


 将太は頷いた。


 その時だった。


 遠く。


 白い光の向こうで、黒衣が現れた。


 黒いコート。


 フード。


 境界を見る者。


 黒衣は、こちらを見ていた。


 将太、リン、悠真。


 そして、悠真の背後の孔明。


 全てをまとめて観察するように。


 黒衣が右手を上げる。


 一本目の指。


 一人目。


 二本目の指。


 二人目。


 そして、三本目の指。


 悠真の目が細くなる。


「あれは何だ」


「黒衣」


「敵か」


「分からない」


 黒衣が口を開いた。


 声は聞こえなかった。


 だが、言葉は分かった。


『ダンニュク』


 悠真がわずかに顔をしかめた。


「今の音」


「聞こえたのか」


「ああ」


 将太の鼓動が速くなる。


 悠真にも聞こえた。


 もう完全に巻き込まれている。


 黒衣は踵を返した。


 白い光の中へ戻っていく。


 その直前。


 白い駅のホームが、一瞬だけ見えた。


 柱に、文字が刻まれている。


 如月心陽。


 田中真心。


 綾小路将太。


 そして。


 その下に、新しい名前が薄く浮かび上がりかけていた。


 森岡悠真。


 将太は息を呑んだ。


 悠真も見ていた。


 自分の名前が白い駅に刻まれようとしていることを。


 その瞬間、悠真は静かに言った。


「なるほど」


 将太は悠真を見る。


「怖くないのか」


「怖い」


 悠真は即答した。


「でも、分かった」


「何が」


「ここは、逃げたら負ける場所だ」


 その言葉に、孔明の影がほんの少しだけ笑った気がした。


 世界が揺れる。


 白い光が遠ざかる。


 駅前広場が戻っていく。


 悠真の姿が少しずつ薄くなる。


「おい」


 将太が手を伸ばす。


 悠真は消えかけながら言った。


「明日、塾で話せ」


「覚えてるのか」


「忘れない」


 悠真はそう言った。


 だが、その声は遠かった。


「忘れたら、もう一回聞く」


 そして、世界が戻った。


 時計が動く。


 音が戻る。


 現実。


 将太は自室の椅子に座っていた。


 荒い息。


 冷たい汗。


 机の上のノートが開いている。


 そこには、あの途中だった文字の続きが浮かび上がっていた。


『一人目は待っている』


『二人目は近づいている』


『三人目は見つけてしまった』


 将太はその文字を見つめた。


 三人目。


 それが誰を指しているのか。


 もう、考えるまでもなかった。


 森岡悠真。


 停止世界を見てしまった者。


 そして、白い駅に名前を刻まれかけた者。


 将太はノートを閉じる。


 だが、閉じる直前に、最後の一行が見えた。


『四人目は、まだ夢を見ている』


 将太は息を止めた。


 天堂。


 その名前が、頭の中に浮かんだ。

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