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憑いてる。  作者: 受験孔明
観測者たち
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第49話 見覚えのない記憶

第49話 見覚えのない記憶


 将太は、その夜ほとんど眠れなかった。


 ベッド。


 暗い天井。


 静かな部屋。


 目を閉じるたびに浮かぶ。


 駅前。


 月明かり。


 ベンチ。


 田中真心。


 本当に見たのか。


 それとも見間違いだったのか。


 分からない。


 だが、妙に現実感だけが残っていた。


 見えたのに、思い出せない。


 知っているのに、知らない。


 田中真心という名前は、頭の中にある。


 顔も分かる。


 塾の窓際で問題を解いている姿も思い出せる。


 それなのに。


 いつからいたのか。


 何度話したのか。


 どんな成績だったのか。


 そこだけが、霧の中にある。


 将太は寝返りを打った。


 枕元のノートを見つめる。


 そこには、昨夜書いた文字が残っている。


 如月心陽を見失うな。


 田中真心を忘れるな。


 その二つの名前が、妙に重かった。


   *


 翌朝。


 冬期講習。


 教室は模試直前の空気だった。


 誰も騒がない。


 問題集。


 単語帳。


 過去問。


 全員が数字を追っている。


 偏差値。


 順位。


 志望校。


 将太も席につく。


 前方には悠真。


 後方には天堂。


 少し離れた席に心陽。


 そして窓際。


 田中真心。


 今日も静かだった。


 講師の解説を聞いている。


 問題を解いている。


 特別なことは何もない。


 なのに、視線が向いてしまう。


 妙な違和感。


 説明できない何か。


 真心は目立たない。


 いや、目立たないというより、視線が残らない。


 見ることはできる。


 だが、意識から滑る。


 まるで、そこだけ記憶に定着しない。


 将太はペンを握ったまま、窓際を見つめた。


 すると、真心がふと顔を上げた。


 目が合う。


 真心は少しだけ首を傾げた。


 昨日と同じ仕草。


 見覚えがある。


 だが、いつ見たのか思い出せない。


 その感覚が気持ち悪かった。


   *


 昼休み。


 将太が廊下へ出ると、声をかけられた。


「綾小路」


 麻里だった。


 心陽と仲の良い女子。


「最近さ」


「何?」


「心陽、変じゃない?」


 将太の動きが止まる。


「変?」


「うん」


 麻里は首を傾げた。


「ぼーっとすること増えたし」


「あと」


 少し迷う。


「知らない場所の話する」


 将太の胸がざわつく。


「例えば?」


「昨日さ」


 麻里は困ったように笑う。


「東京駅行ったことある?って聞かれた」


 将太の呼吸が止まる。


 東京駅。


 停止世界。


 巨大な影。


 観測地図。


 全部が繋がる。


「行ったことないって言ったら、なんか不思議そうな顔してた」


 麻里は苦笑した。


「心陽も東京に行ったことないって言ってたのにね」


 将太は何も言えなかった。


「それだけ?」


「ううん」


 麻里は少し声を落とした。


「あと、赤い駅舎って言ってた」


 将太の背中に冷たいものが走る。


「赤い駅舎?」


「うん。テレビで見たのかなと思ったけど」


 麻里は廊下の向こうを見る。


 心陽は友人たちと話している。


 いつも通り笑っている。


「でも、なんか変だった」


「どう変だった」


「懐かしそうだった」


 将太は心陽を見る。


 心陽は笑っている。


 明るく。


 普通に。


 だが足元の影だけが、ほんの少し遅れて動いた気がした。


「行ったことない場所なのに」


 麻里が言う。


「懐かしそうにしてた」


 将太は、その言葉を何度も頭の中で繰り返した。


 行ったことのない東京駅。


 それを懐かしむ心陽。


 そして、真心が夢で見たという駅。


 観測地図の記憶が、現実側へ漏れ始めている。


 そう考えるしかなかった。


   *


 授業終了後。


 廊下。


 真心が一人で歩いている。


 将太は声をかけた。


「田中」


 真心が振り返る。


「何?」


「昨日どこにいた?」


 真心は少し考える。


「家だけど」


 即答だった。


 自然だった。


 嘘には見えない。


 だが、次の瞬間、真心は首を傾げる。


「綾小路くん」


「何?」


「東京駅って行ったことある?」


 将太の心臓が跳ねた。


 昨日の心陽。


 今日の麻里。


 そして真心。


 全員が同じ場所を口にする。


「……何で」


 真心は困ったように笑った。


「分からない」


「最近見るから」


「夢で?」


 真心は頷く。


「赤い駅舎」


「人がいない駅」


「すごく静かな場所」


 将太の背筋に寒気が走った。


 人がいない。


 静かな駅。


 それは、停止世界の東京駅だった。


「他には?」


 真心は少し考える。


 そして、小さく呟いた。


「誰かいる」


「誰か?」


「顔は見えない」


「でも」


 真心の声が少し低くなる。


「ずっと探してる」


 将太は何も言えなかった。


 探している。


 黒コートか。


 二人目か。


 白い駅の何かか。


 それとも。


 一人目か。


「田中」


「何?」


「その誰かは、お前を探してるのか」


 真心は少しだけ目を伏せた。


「分からない」


 そして、静かに言った。


「でも、私が忘れてる何かを探してる気がする」


 将太は息を呑んだ。


 忘れている何か。


 本人が忘れた影。


 忘れられた者は、白い駅に近い。


 前の紙にあった言葉が蘇る。


「田中真心」


 将太は無意識に名前を呼んだ。


 真心が顔を上げる。


「何?」


「いや」


 名前を呼ぶと、真心の輪郭が少しだけはっきりする。


 そんな気がした。


 見えているのに忘れる存在。


 それを現実へ留めるためには、名前が必要なのかもしれない。


   *


 その夜。


 停止世界。


 駅前広場。


 静かな街。


 止まった信号。


 止まった人々。


 将太は一人で歩いていた。


 そして、広場へ着いた瞬間、足を止める。


 ベンチ。


 その上に、一冊のノートが置かれていた。


 誰もいない。


 だが、明らかに誰かが置いた。


 将太は近づく。


 学校で使う普通のノート。


 表紙。


 名前欄。


 そこに書かれていた文字を見て、将太は凍りつく。


 田中 真心


 間違いない。


 本人の名前だった。


 将太はゆっくり表紙を開く。


 一ページ目。


 白紙。


 二ページ目。


 白紙。


 三ページ目。


 白紙。


 そして最後のページ。


 そこだけ文字があった。


 東京駅


 その下。


 思い出せない


 さらに下。


 もう一人いる


 将太の心臓が大きく鳴る。


 その瞬間、ページの余白にゆっくりと新しい文字が浮かび上がった。


 二人目


 将太は息を呑む。


 そして、ページの隅。


 小さく、もう一つだけ文字が現れた。


 まだ気づいていない


 それは、これまで残されてきたメモと全く同じ筆跡だった。


「三成」


『ああ』


 三成はいつの間にか隣に立っていた。


 表情は険しい。


「これ、田中が書いたのか」


『分からん』


「でも名前がある」


『名前はある。だが、書いたとは限らん』


 将太はノートを見る。


 田中真心。


 東京駅。


 思い出せない。


 もう一人いる。


 二人目。


 まだ気づいていない。


 言葉が、真心の記憶のようにも見える。


 誰かからのメッセージのようにも見える。


 どちらなのか分からない。


   *


 その時、ノートのページが勝手にめくれた。


 風はない。


 停止世界に風はない。


 なのに、ページだけが動く。


 白紙。


 白紙。


 白紙。


 そして、見開きの中央で止まった。


 そこには、うっすらと絵のようなものが浮かび上がっていた。


 赤い駅舎。


 人のいない広場。


 高層ビル。


 そして、駅の奥へ続く白いホーム。


「東京駅……」


 将太が呟く。


 だが、それだけではない。


 白いホームの端。


 そこに二つの影が描かれていた。


 一つは光の中に立っている。


 もう一つは、輪郭が薄い。


 消えかけている。


 将太は直感した。


 心陽。


 真心。


 見られすぎた者。


 忘れられた者。


 光と空白がそろう時、白い駅は開く。


 その言葉が、頭の中で響いた。


「三成」


『何だ』


「白い駅って、東京駅の奥にあるのか」


 三成は答えなかった。


 ただ、絵を見つめている。


『奥というより』


「より?」


『重なっているのかもしれん』


「重なってる?」


『東京駅は見られすぎている場所だ』


 三成は低く言う。


『ニュース、旅行、通勤、歴史、別れ、出会い。無数の人間が見て、使い、記憶している』


 将太は絵を見る。


『観測されすぎた場所は、境界になりやすい』


「だから白い駅と重なる」


『おそらくな』


 将太は息を呑んだ。


 見られすぎた人間。


 心陽。


 見られすぎた場所。


 東京駅。


 忘れられた人間。


 真心。


 それらが重なる時。


 白い駅が開く。


 いくつかの伏線が、少しずつ形になり始めていた。


   *


 ノートの最後に、また文字が浮かんだ。


 二人目は、東京駅を思い出す。


 将太の背筋が冷える。


 続けて、もう一行。


 もう一人は、東京駅を忘れている。


 心陽は、行ったことのない東京駅を懐かしむ。


 真心は、夢で東京駅を見るのに思い出せない。


 逆だ。


 二人は対になっている。


 心陽は、見たことのない記憶を持ち始めている。


 真心は、見ているはずの記憶を忘れている。


 将太はノートを握りしめた。


「これ、どっちが危ないんだ」


 三成は静かに答えた。


『両方だ』


 その言葉は重かった。


『片方は見られすぎている。片方は忘れられすぎている』


「その二人がそろうと白い駅が開く」


『そういうことだろうな』


「じゃあ、止めればいいのか」


『止めるだけでは無理だ』


 三成は言った。


『名前を留める必要がある』


「名前?」


『如月心陽を見失うな』


『田中真心を忘れるな』


 将太は黙る。


 前にノートへ書いた言葉と同じだった。


 いや。


 もしかすると、自分が書かされたのかもしれない。


 白い駅は、名前で開くのか。


 名前で止めるのか。


 まだ分からない。


 だが、名前が鍵になることだけは分かった。


   *


 現実に戻った時、将太は自分の机の前にいた。


 ノートは手元にない。


 停止世界に置いてきたはずだった。


 だが、机の上には一枚だけページが残っていた。


 破り取られたような紙。


 そこには、細い文字が浮かんでいる。


 二人目は、見覚えのない記憶を持つ。


 もう一人は、見覚えのある記憶を失う。


 将太は息を止めた。


 さらに、もう一行。


 白い駅は、二つの名前で開く。


 将太は紙を見つめ続けた。


 二つの名前。


 如月心陽。


 田中真心。


 その二人が、白い駅を開く。


 心陽を見失えば、二人目が通る。


 真心を忘れれば、道が開く。


 将太は震える手で紙をノートに挟んだ。


 そして、新しいページに大きく書いた。


 如月心陽。


 田中真心。


 その二つの名前を、絶対に忘れないように。


 その瞬間。


 窓ガラスに映る将太の影が、わずかに揺れた。


 まるで、その二つの名前を聞いて、何かが目を覚ましたように。

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