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憑いてる。  作者: 受験孔明
観測者たち
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45/80

第45話 分類

第45話 分類


 停止した駅前は静かだった。


 信号は赤のまま止まり、車は道路の途中で凍り付き、人々は歩きかけた姿勢のまま時間に閉じ込められている。


 いつも通りの停止世界。


 だが、将太の頭の中だけは騒がしかった。


 観測される側だ。


 リンの言葉。


 あれから何日も経っていない。


 それなのに、頭から離れなかった。


 観測者ではない。


 観測される側。


 黒コート。


 一人目。


 巨大な影。


 薄くなる影。


 そして、将太自身。


 全部が繋がりそうで、まだ何も繋がっていなかった。


   *


 冬期講習帰り。


 将太は再び停止世界へ入っていた。


 以前より短時間。


 三成に何度も止められているからだ。


 頭痛が増えた。


 疲労も残る。


 記憶も曖昧になることがある。


 それでも来てしまう。


 知りたいからだ。


 駅前広場。


 ベンチ。


 リンは既にそこにいた。


 まるで最初から待っていたかのように。


 止まった自動販売機の横。


 缶コーヒーを持ったまま座っている。


「来たな」


「待ってたのか」


「少し」


 リンは答えた。


 相変わらず感情の起伏が少ない。


 だが、初めて会った時よりは人間らしく見えた。


 将太は真正面に立つ。


「聞きたいことがある」


「だろうな」


「観測される側って何だ」


 リンはすぐには答えなかった。


 しばらく空を見上げる。


 止まった雲。


 止まった雪。


 止まった夜。


 そして、小さく息を吐いた。


「その前に」


 リンは将太を見る。


「お前、自分を何だと思ってる」


「何だって」


「観測者だろ?」


 将太は頷いた。


 それ以外の答えがない。


 だが、リンは首を振った。


「違う」


 将太は眉をひそめる。


「何が」


「お前は、まだ観測者じゃない」


 三成の目が細くなる。


『説明しろ』


 リンは少し笑った。


「中国では呼び方が違う」


「呼び方?」


「見るだけの奴がいる」


 リンは指を一本立てた。


「ウォッチャー」


 続けて、二本目。


「記録する奴がいる」


「ウィットネス」


 そして三本目。


「世界へ影響する奴がいる」


「オブザーバー」


 将太の心臓が跳ねた。


 オブザーバー。


 その単語だけが妙に重かった。


「違いは」


 リンは即答した。


「ウォッチャーは見る。ただ見る」


「ウィットネスは記録する。歴史を知る。事実を覚える」


「オブザーバーは違う」


 リンは将太を見た。


「世界の方が見る」


 将太は眉をひそめる。


「意味分からん」


「そのままだ」


 リンは静かに言った。


「オブザーバーが生まれると、人だけじゃない。場所も、影も、観測世界そのものも、そいつを認識し始める」


 駅前の空気が少しだけ冷えた気がした。


 将太は何も言えない。


 黒コート。


 巨大な影。


 東京駅。


 白い駅。


 全部が頭をよぎる。


 三成が初めて口を開いた。


『なら私は』


「ウィットネスだ」


 リンが即答した。


 三成は黙る。


 否定しない。


 将太は驚いていた。


 リンの言葉にではない。


 三成自身が反論しなかったことに。


『……なるほどな』


 三成は小さく呟いた。


 何か納得したようだった。


「じゃあ俺は」


 リンは少しだけ迷う。


 そして、言った。


「まだ分からない」


「は?」


「オブザーバー候補」


「候補?」


 リンは頷く。


「本物なら、いずれ世界が反応する」


 将太の背筋に寒気が走った。


「世界が反応するって何だよ」


 リンは答えない。


 代わりに、駅前の大型ビジョンを見上げた。


「そのうち分かる」


 将太はため息を吐く。


 三成と同じだ。


 肝心なことを言わない。


   *


「一人目は?」


 将太が聞いた。


 リンの表情がわずかに変わる。


「一人目は、その分類に入らない」


「ウォッチャーでも、ウィットネスでも、オブザーバーでもないってことか」


「そう」


「じゃあ何だ」


 リンは少しだけ沈黙した。


「観測される側」


 また、その言葉だった。


「見られすぎた人間」


「人に」


「怪物に」


「世界に」


 リンはゆっくり言った。


「見られることで、地図になった人間」


 将太は黙った。


 地図になった。


 まだ、その意味を完全には理解できない。


 だが、怖い。


 人間が地図になる。


 見られることで、世界への道になる。


 そんなものが本当にあるなら。


「二人目は?」


 将太は聞いた。


「二人目も、観測される側なのか」


 リンは答えなかった。


 代わりに、将太の足元を見た。


 影。


 将太の影。


 冬の月明かりに伸びた、普通の黒い形。


 だが、その沈黙だけで嫌な予感がした。


「おい」


 将太の声が低くなる。


「何で俺の影を見る」


「まだ分からない」


「そればっかだな」


「分からないものは、分からない」


 リンは言った。


「でも、影は危ない」


「心陽の影もずれてる」


 将太が言うと、リンは顔を上げた。


「その子のことは、前にも言ってたな」


「ああ」


「本人は気づいてる?」


「たぶん、少しだけ。でも認めてない」


「なら急いだ方がいい」


「何を」


「本人が自分の影を自分のものだと思っているうちに」


 三成と同じことを言った。


 将太は息を呑む。


「それを過ぎたら?」


 リンは答えなかった。


 その代わり、止まった駅前の影を見た。


 人々の足元。


 車の下。


 信号機の根元。


 ビルの陰。


 すべての影が、静かに沈んでいる。


「影が人間を持つ」


 リンは小さく言った。


   *


 その時だった。


 景色が揺れる。


 停止世界の終わり。


 将太は顔をしかめる。


 頭痛が始まっていた。


「帰る」


 リンは頷く。


「またな」


「お前、いつもここにいるのか」


 リンは少し考えた。


 そして、不思議そうな顔で言った。


「近いから」


「上海だろ」


「ここでは近い」


「意味分からん」


「そのうち分かる」


 将太は苦笑した。


 本当に、どいつもこいつも同じことを言う。


 世界が揺れる。


 駅前の景色が薄くなる。


 リンの姿も遠ざかる。


 最後に、リンは言った。


「将太」


「何だ」


「オブザーバー候補は、観測するだけじゃない」


「じゃあ何をするんだ」


 リンの声が、白いノイズの向こうから届く。


「観測されたものを、変えてしまう」


 次の瞬間、世界が戻った。


   *


 翌日。


 正月特訓。


 昼休み。


 天神の塾ビルは、いつも通り騒がしかった。


 廊下では生徒たちが参考書を開き、教室では上位者たちが次のテストの話をしている。


 学校ではない。


 塾だ。


 だから、ここに悠真がいる。


 天堂がいる。


 心陽がいる。


 それぞれ違う学校の生徒が、順位という一つの基準で同じ教室へ集められている。


 将太は無意識に教室の奥を見た。


 悠真は問題集を読んでいる。


 天堂は後方で誰かと話している。


 心陽は女子グループの中心で笑っていた。


 何も変わらない。


 そのはずだった。


 将太はふと床を見た。


 冬の日差し。


 窓から差し込む光。


 心陽の影。


 細い影が床へ伸びている。


 そして、一瞬だけ。


 その影が動いた。


 本人とは違う方向へ。


 将太の方へ。


 ゆっくり。


 首を回すように。


 顔を向けるように。


 そして、笑った。


 将太の呼吸が止まる。


 目もない。


 口もない。


 輪郭すら曖昧だ。


 なのに、確かに笑った。


 冷たいものが背中を流れる。


 次の瞬間、影は普通に戻った。


 誰も気づいていない。


 天堂も。


 悠真も。


 心陽自身も。


 だが、将太だけは見てしまった。


 あれは影ではない。


 少なくとも、普通の影ではない。


「綾小路」


 声。


 悠真だった。


「大丈夫か」


「……ああ」


「顔色悪いぞ」


「最近、そればっか言われる」


 悠真は少しだけ心陽の方を見る。


 それから、将太を見る。


「如月がどうかしたのか」


 将太の心臓が跳ねた。


「何で」


「お前、最近よく見てる」


「天堂にも言われた」


「だろうな」


 悠真は静かに言った。


「何かあるのか」


 将太は答えられない。


 心陽の影が笑った。


 そんなことを言えるはずがない。


 悠真はしばらく黙っていた。


 そして、低く言った。


「綾小路」


「何だ」


「お前が見ているものって、こっち側にも影響してるのか」


 将太は固まった。


「どういう意味だよ」


「最近、変なんだよ」


 悠真は問題集を閉じる。


「順位表を見てる時だけじゃない。普通に歩いてても、距離が変に見えることがある」


「距離?」


「近いはずの人が遠い。遠いはずの人が近い」


 将太は言葉を失った。


 観測地図。


 現実側に滲み始めている。


「いつから」


 将太が聞く。


 悠真は少し考えた。


「お前が全国二百位以内に入ったあたりから」


 将太の背筋が冷える。


 自分が伸びた。


 観測した。


 現実の順位が変わった。


 そして、その影響が悠真にも出ている。


 リンの言葉が蘇る。


 オブザーバー候補は、観測されたものを変えてしまう。


   *


 その日の帰り道。


 夕暮れ。


 長く伸びた影。


 商店街。


 人混み。


 冬の風。


 将太は何も気づかなかった。


 自分の足元。


 アスファルトへ伸びる影が、一瞬だけ心陽の影と同じ方向を向いていたことに。


 まるで、誰かがそこから将太を見上げていたように。


 そして、そのさらに後ろ。


 夕暮れのビルの反射の中で。


 大型ビジョンに映った東京駅の映像が、一瞬だけ白く滲んだことにも。


   *


 夜。


 将太はノートを開いた。


 ウォッチャー。


 ウィットネス。


 オブザーバー。


 観測される側。


 一人目。


 二人目。


 影が人間を持つ。


 観測されたものを変えてしまう。


 書けば書くほど、分かった気になっていく。


 だが、本当は逆だった。


 言葉が増えるほど、分からないことも増えていく。


 将太はペンを置く。


 その時、ノートの端に文字が浮かんだ。


 ――分類は終わった。


 将太の手が止まる。


 続けて、もう一行。


 ――次は選別。


 背筋に冷たいものが走った。


 選別。


 誰が。


 何を。


 どうやって。


 将太は窓を見る。


 ガラスに映る自分。


 足元に伸びる影。


 その影が、ほんの一瞬だけ、将太より先にこちらを見た。

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