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憑いてる。  作者: 受験孔明
観測者たち
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第37話 見えていたもの

第37話 見えていたもの


 冬休みも半ばを過ぎていた。


 窓の外では冷たい雨が降っている。


 街灯に照らされた雨粒が、夜の闇の中で白く浮かんでいた。


 将太は机へ向かっていた。


 数学の問題集は開いていない。


 理科の演習も途中のまま。


 代わりに置かれているのは、一冊のノートだった。


 最近起きたことを整理するためのものだ。


 このままでは頭が追いつかない。


 そう思った。


 ページには、箇条書きが並んでいる。


 石田三成が見える。


 他の人には見えない。


 人の後ろに何かがいる。


 天堂の後ろには信長。


 悠真の後ろには孔明。


 心陽の後ろには光の女。


 歴史上の人物だけではない。


 現代の有名人、偶像、集団の願望も影になる。


 分霊には強弱がある。


 弱いものは、影や気配にしか見えない。


 停止した世界がある。


 観測地図。


 観るほど遠ざかる。


 追うなら、見るな。


 東京駅。


 巨大な影。


 黒コート。


 一人目。


 二人目。


 オブザーバー。


 観測者。


 将太はペンを止めた。


 眺める。


 改めて見ると、意味不明だった。


「何だこれ……」


 自分でも笑えてくる。


 もし誰かに見られたら、病院を勧められるだろう。


 だが、全部事実だった。


 少なくとも、将太にとっては。


「意味分かんねぇな」


『当たり前だ』


 声がした。


 窓際。


 石田三成が腕を組んで立っている。


 将太はため息を吐いた。


「勝手に出てくるな」


『勝手に見えるようになったのはお前だ』


「それもそうか」


 三成は少しだけ笑った。


 珍しい。


 最近の三成は、どこか余裕がない。


 停止した世界へ入るようになってから特に。


 何かを警戒している。


 ずっと。


 将太はノートへ目を落とした。


 そして、ふと気になっていたことを口にする。


「なあ」


『何だ』


「最初に会った時」


 三成の表情が、わずかに止まった。


「何で俺に話しかけた」


 静寂。


 雨音だけが聞こえる。


 将太は続けた。


「覚えてるぞ」


『……』


「お前、本当に見えてないのか、って言ったよな」


 三成は答えない。


「何が見えてないと思ったんだ」


 数秒。


 沈黙。


 そして、三成は小さく息を吐いた。


『覚えていたか』


「そりゃな」


『当然か』


「何が」


 三成は将太を見た。


 真っ直ぐ。


 珍しいほど真面目な目だった。


『私は、お前を同類だと思った』


「同類?」


『観測者だ』


 将太は眉をひそめる。


 観測者。


 オブザーバー。


 今なら、少しは意味が分かる。


 だが、最初の頃は何も知らなかった。


「だから話しかけたのか」


『そうだ』


「でも違った」


『違った』


 三成は即答した。


 その言い方が、少しだけ気になった。


 ただの間違いではない。


 もっと根本的な違い。


 そんな響きがあった。


   *


「何が違ったんだ」


 三成は少し考える。


 言葉を探しているようだった。


『普通の観測者なら見える』


「何が」


『後ろだ』


 将太は反射的に振り返った。


 もちろん誰もいない。


「後ろ?」


『そうだ』


 三成は静かに言う。


『私は、お前の後ろを見ていた』


 将太の背筋に冷たいものが走った。


 何となく、嫌な話になる予感がした。


『天堂の後ろには信長がいた』


 三成の声は静かだった。


『悠真の後ろには孔明がいた』


『心陽の後ろには、あの女がいた』


『だから分かる』


『誰が、何に選ばれているか』


 将太は黙る。


『人間の願望、執着、憧れ、恐怖。そういうものが強ければ、何かが寄る』


 三成は窓の外を見る。


『歴史上の怪物であることもある。現代の偶像であることもある。名もない影であることもある』


「それは、聞いた」


『だから私は思った』


 三成は将太へ視線を戻した。


『お前も何かに選ばれていると』


 雨音。


 静寂。


『だが』


 三成の声が低くなる。


『何も見えなかった』


 将太は目を瞬いた。


『何も』


『本当に何もだ』


「だから空席なんだろ」


 将太が言う。


 今までそう思っていた。


 自分だけ何もいない。


 だから空席。


 単純な話だ。


 だが、三成は首を横に振った。


『違う』


 将太は固まる。


『空席なら理解できた』


 三成は窓の外を見る。


『空席という前例は少ないが存在する』


「存在するのか」


『ああ』


 三成は短く答えた。


『普通、人は小さい頃から何かに染まる。親、学校、憧れ、劣等感、勝利、承認。だから何も座っていない席は珍しい』


「じゃあ俺もそれじゃないのか」


『そうなら説明できた』


 三成の目が細くなる。


『だが、お前は違った』


 将太の鼓動が速くなる。


『見えなかった』


『空いている、という感じですらなかった』


『何もない』


『本当に何もない』


 その言葉には、今でも消えていない違和感が滲んでいた。


 将太は初めて理解した。


 三成自身も、答えを知らない。


 あの石田三成ですら、分からないのだ。


   *


「じゃあ俺は何なんだよ」


『知らん』


「嘘つけ」


『本当に知らん』


 三成は苦笑した。


『だから気味が悪い』


「ひでぇな」


『褒めてはいない』


「分かってるよ」


 将太はノートへ目を落とした。


 空席。


 観測者。


 中の者。


 一人目。


 二人目。


 言葉だけが増えていく。


 でも、どれも自分にはぴったり当てはまらない。


「じゃあ何で、ずっと俺のそばにいるんだよ」


 三成は少し黙った。


 そして言った。


『見届けるためだ』


「何を」


『お前が、何に見つかるのか』


 その言葉に、将太は何も言えなかった。


 見つけた。


 見つけ返せ。


 一人目は、もう見ている。


 二人目が近い。


 それらの文字が、頭の中でつながりかけて、またほどけていく。


 三成は続けた。


『最初は、お前が見えていないだけだと思った』


「俺が?」


『そうだ。自分の後ろにいるものに気づいていないだけだと』


「でも、違った」


『違った』


 三成はまた即答した。


『私は見えなかった。お前自身も見えていなかった。周囲の影も、お前を空席として扱った』


「じゃあ何なんだよ」


『分からん』


 三成の声には苛立ちではなく、警戒があった。


『ただ一つ言えるのは』


「何だよ」


『お前の後ろに何も見えなかったことが、一番おかしかった』


 雨が窓を叩く。


 その音が、急に遠く感じた。


   *


 その時だった。


 視界の端。


 机の横。


 姿見。


 鏡。


 そこに、一瞬だけ何かが映った。


 黒い影。


 人影。


 将太の真後ろ。


 息がかかりそうなほど近い距離。


「っ!」


 将太は反射的に振り返った。


 誰もいない。


 部屋には自分だけ。


 雨音だけが続いている。


 心臓が速い。


「……」


『どうした』


 三成が眉をひそめる。


「いや……」


 将太は鏡を見る。


 何も映っていない。


 自分。


 机。


 本棚。


 それだけ。


 だが、嫌な感覚だけが残っていた。


 後ろにいた。


 今、確かに。


 将太はゆっくり息を吸う。


「三成」


『何だ』


「今、何か見えたか」


 三成は鏡を見る。


 しばらく黙る。


『いや』


 その答えが、逆に怖かった。


 三成には見えなかった。


 でも、将太には見えた。


 それはつまり。


 あれは、他人の後ろにいる影とは違う。


 三成が見てきた怪物とも違う。


 観測者に見えるものではない。


 将太だけが、自分の奥で見てしまう何か。


 将太はもう一度、ノートを見る。


 そこには、自分で書いた文字が並んでいる。


 石田三成が見える。


 他の人には見えない。


 停止した世界がある。


 自分以外にも動く人間がいる。


 一人目。


 二人目。


 観測者。


 観測。


 その下の空白に、いつの間にか薄い文字が浮かんでいた。


 将太の字ではない。


 鉛筆でこすったような、細い文字。


 ――見えていたものは、後ろではない。


 将太の手が止まる。


 続けて、もう一行。


 ――中だ。


 雨音が消えたような気がした。


 三成の表情が強張る。


 将太は息をするのも忘れた。


 後ろではない。


 中。


 黒い影。


 鏡。


 白い駅。


 空席。


 すべてが、違う意味を持ち始める。


 将太もまだ気づいていなかった。


 停止した世界。


 巨大な影。


 黒コート。


 一人目。


 それらよりも先に。


 本当はずっと近くにいたことを。


 誰よりも近く。


 最初から。


 将太のすぐ後ろではなく。


 将太の中に。


 それがいたことを。

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