第34話 足跡
翌朝、将太のノートから三つの決まりが消えていた。
残っているのは、一行だけ。
『綾小路将太を、空席に戻せ』
「最初から空席だろ」
返事はない。
文字へ触れると、紙の上に黒い点が落ちた。
一つ。
また一つ。
点は線になり、ページの外へ続いていく。
机から床へ。
床から廊下へ。
誰かの足跡だった。
◇
夜。
将太は自分から停止世界へ入った。
机に座り、目を閉じる。
白い駅のことだけを考える。
音が遠ざかり、時計が止まった。
部屋の床には、朝と同じ足跡が続いている。
「三成」
呼んでも現れない。
「都合悪くなると消えるよな」
将太は一人で足跡を追った。
住宅街を抜け、駅へ向かう。
停止した交差点。
動かない車。
空中で止まる落ち葉。
足跡は迷わず進んでいる。
まるで、何度も同じ道を歩いた者のように。
駅前で、二つに分かれた。
一方は白い駅へ。
もう一方は塾へ。
将太は塾を選んだ。
◇
無人の教室。
心陽の席。
足跡は、その前で止まっていた。
机の上に、一枚の古い答案がある。
将太が見たことのない模試。
受験者名の欄は黒く塗り潰されていた。
だが、裏面に鉛筆の文字が残っている。
『見える者を、観測者にしてはならない』
続いて。
『見えないものを選べる者だけが、空席に座れる』
「何だよ、これ」
答案を持ち上げる。
その下に写真があった。
七人の中学生。
古い制服。
同じ塾の教室。
写真の中央だけが白く抜け落ちている。
誰かがいたはずの場所。
その右端に、黒い羽織の男が立っていた。
三成だった。
今と同じ姿。
今と同じ顔。
「一度見たことがあるだけ、じゃないだろ」
『見つけたか』
背後から声がした。
将太は振り返らない。
「前の観測にいたんだな」
『いた』
「失敗した観測者は、白い少年?」
『答えられん』
「心陽と同じ第二観測点だったのは誰」
『答えられん』
「じゃあ、何なら答えられる?」
三成は沈黙した。
将太は写真を突きつける。
「これ、誰が消えた」
『消えたのではない』
三成の声が低くなる。
『誰も、その者を本人として見なくなった』
「同じだろ」
『違う』
三成は、白く抜けた場所を見る。
『覚えている者が一人でもいれば、名前は戻る』
その言葉と同時に、写真の白い部分へ輪郭が浮かんだ。
小柄な少年。
白い駅にいた少年と同じ背丈。
顔はまだ見えない。
「こいつの名前、知ってるんだろ」
『知っていた』
「過去形?」
『私も奪われた』
三成は初めて、将太から目をそらした。
『名前だけを』
◇
教室の外で、靴音がした。
将太と三成が同時に振り返る。
廊下の先。
黒い服の人物が立っていた。
心陽が見たという者。
顔は見えない。
だが、その足元に跡はなかった。
将太は床を見る。
ここまで続いていた足跡。
靴底の形。
三成の足元。
同じだった。
「この足跡、お前のか」
三成は答えない。
「俺をここへ連れてきたのも」
沈黙。
黒い人物が、ゆっくり手を上げた。
指先が三成へ向く。
そして、初めて声を発した。
『証言者を、信用するな』
世界が軋む。
将太の集中が切れた。
現実へ戻る直前、写真の裏へ新しい文字が浮かんだ。
『接続まで、残り六時間』




