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憑いてる。  作者: 受験孔明
目覚め
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第27話 空席・・・

# 第二十七話 空席・・・


 授業が終わっても、将太はしばらく席を立てなかった。


 教室の中では、生徒たちが一斉に帰り支度を始めている。


 問題集を鞄へ入れる音。


 椅子を引く音。


 今日の問題について話し合う声。


 いつもと変わらない塾の教室だった。


 将太は窓ガラスへ目を向ける。


 夜の窓には、教室の中が鏡のように映っていた。


 机に座る生徒。


 その後ろに立つ、名前の見えない者たち。


 悠真の背後には、羽扇を持った老人がいる。


 今日も目を閉じ、何も語らない。


 ほかの生徒たちの背後にも、それぞれ違う姿があった。


 鎧をまとった武者。


 細身の軍人。


 長い衣をまとった老人。


 西洋風の服を着た男。


 誰もが決められた位置に立っている。


 まるで、そこが自分の場所であることを知っているように。


 将太は窓の中から、自分の姿を探した。


 教室の端。


 机に座る自分。


 その後ろには、やはり誰もいない。


 ただ、空いている。


 昨日までは、それを「何もない」と思っていた。


 けれど今は違う。


 何もないのではない。


 場所だけがある。


 誰かが来るのを待つように、空けられている。


「将太。」


 悠真に呼ばれ、将太は我に返った。


「帰らないの?」


「ああ。」


 将太は机の上の教材を鞄へ入れた。


「ちょっと考え事。」


「珍しい。」


「俺だって考えるわ。」


「数学以外のことも?」


「たまには。」


 悠真が小さく笑った。


 教室に残っていた生徒たちも、少しずついなくなっていく。


「今日も残る?」


 将太が尋ねる。


「うん。」


「毎日よくやるな。」


「将太も残れば?」


「今日はいい。」


「そっか。」


 悠真はそれ以上引き止めなかった。


 将太は鞄を肩へ掛け、教室を出ようとする。


 その直前。


 もう一度だけ窓を見る。


 悠真の背後では、羽扇を持った老人が静かに目を開いていた。


 老人は悠真ではなく、将太の後ろにある空白を見ている。


 その目には、警戒にも似た鋭さがあった。


 将太が振り返る。


 そこには壁しかない。


「どうした?」


 悠真が尋ねる。


「……何でもない。」


 将太は教室を出た。


     ◇


 塾から駅へ向かう道には、冷たい風が吹いていた。


 少し前まで雨の匂いが残っていた街も、今日は乾いている。


 コンビニの前では高校生が笑っている。


 信号を待つ会社員は、スマートフォンへ目を落としている。


 自転車が将太の横を通り過ぎる。


 普通の夜だった。


 将太は歩きながら、自分の背後を気にしていた。


 誰かがいる感覚はない。


 視線も感じない。


 足音も、自分のものしか聞こえない。


 それでも、自分の後ろには空いている場所がある。


 そう考えると、背中が落ち着かなかった。


 誰かがそこへ来るのか。


 それとも。


 すでにいるのに、自分には見えていないだけなのか。


「何なんだよ。」


 小さく呟く。


 答える者はいない。


     ◇


 駅のホームには、帰宅する人々が並んでいた。


 将太はいつもの場所へ立つ。


 接近メロディーが流れる。


 電車が入ってくる。


 音は消えない。


 人々も止まらない。


 白い駅も現れなかった。


 将太は電車へ乗り込む。


 窓際へ立ち、黒いガラスを見る。


 車内の人々が映っている。


 座席で眠る会社員。


 単語帳を読む高校生。


 母親に寄りかかる小さな子ども。


 そして。


 将太。


 その背後。


 何もいないはずの場所に、座席の輪郭が映っていた。


 電車の座席ではない。


 白い椅子。


 細い背もたれ。


 教室で見たものと同じだった。


「……また。」


 将太はゆっくり振り返る。


 当然、そこには何もない。


 立っている乗客がいるだけだった。


 もう一度、窓を見る。


 白い椅子は消えている。


 将太の背後には、見知らぬ会社員が映っていた。


 会社員はスマートフォンを見ている。


 将太を見てはいない。


 将太は窓から目をそらした。


 疲れている。


 そう考えればいい。


 第23話で白い少年も言っていた。


 見えることには代償がある。


 疲労で目がおかしくなっている。


 それだけだ。


 だが。


 そう思おうとするほど、白い椅子の輪郭は鮮明によみがえった。


     ◇


 家へ帰ると、康子が台所から顔を出した。


「おかえり。」


「ただいま。」


「ご飯、温める?」


「うん。」


 将太は鞄を置き、洗面所へ向かった。


 鏡の中に、自分の顔が映る。


 目の下に、少しだけ影ができている。


「ひどい顔。」


 自分で呟き、水を出す。


 冷たい水で顔を洗う。


 タオルで拭き、もう一度鏡を見る。


 いつもの自分だった。


 背後にも、誰もいない。


 将太は鏡へ近づいた。


 自分の顔。


 自分の肩。


 その後ろにある、廊下の壁。


 何もない。


 少し安心して、洗面所を出ようとする。


 その瞬間。


 鏡の中で、将太の背後に白い椅子が映った。


 将太は足を止める。


 椅子は廊下の真ん中に置かれている。


 誰も座っていない。


 白い。


 教室でも、電車でも見たものと同じ。


 将太は振り返らなかった。


 鏡の中だけを見つめる。


 椅子は動かない。


 その周囲にも、誰もいない。


 やがて。


 白い椅子の座面が、ほんのわずかに沈んだ。


 誰かが腰を下ろしたように。


 将太は勢いよく振り返った。


 廊下には何もなかった。


「将太?」


 康子の声が聞こえる。


「どうしたの?」


「……何でもない。」


 将太は洗面所の照明を消した。


 暗くなった鏡の中には、もう何も映っていなかった。


     ◇


 その夜。


 目を開けると、白い駅だった。


 霧は薄い。


 ホームの先まで、いつもよりよく見える。


 白い少年は、木製のベンチの横へ立っていた。


 将太は少年へ近づく。


「見た。」


 少年は何も言わない。


「白い椅子。」


 その言葉で、少年の表情がわずかに変わった。


「学校でも。」


「電車でも。」


「家の鏡にも出た。」


 将太は少年の顔を見る。


「あれ、何なんだ。」


 少年は答えなかった。


「また教えられない?」


「……そうだね。」


「じゃあ、質問を変える。」


 将太はホームを見回した。


「ここにあるのか。」


 白い少年の視線が、ホームの奥へ向く。


 答えはない。


 だが、それだけで十分だった。


 将太も同じ方向を見る。


 ホームの先。


 霧の向こう。


 今まで何度も歩いた場所だった。


 柱。


 ベンチ。


 白い壁。


 何もない。


 将太はゆっくり歩き始めた。


「行くの?」


 背後から白い少年が尋ねる。


「見つけるんだろ。」


 将太は振り返らない。


「自分で。」


 白い少年は止めなかった。


 将太はホームの奥へ進む。


 一歩。


 また一歩。


 以前、足音に追われた場所を通り過ぎる。


 今日は何も聞こえない。


 風もない。


 視線も感じない。


 ただ、白い霧が左右へ分かれていく。


 しばらく歩くと、ホームの幅が少しずつ広くなった。


 見覚えのない景色だった。


 白い柱が等間隔に並んでいる。


 その間に。


 椅子が置かれていた。


 一脚。


 二脚。


 三脚。


 すべて白い。


 同じ形。


 同じ大きさ。


 誰も座っていない。


 将太は足を止めた。


 さらに奥にも、椅子が続いている。


 霧の中へ消えるほど、多く。


「何だよ、これ。」


 声が白い空間へ響く。


 返事はない。


 将太は最初の椅子へ近づく。


 座面には、薄く文字が刻まれていた。


 黒く塗り潰されている。


 読むことはできない。


 隣の椅子にも。


 その隣にも。


 すべての椅子に、名前らしきものが刻まれている。


 けれど、どれも黒く潰されていた。


 将太は椅子の列の間を歩く。


 どの席も空いている。


 人の気配はない。


 それなのに。


 誰かが立ち上がった直後のような。


 まだ温度だけが残っているような。


 奇妙な感覚があった。


 やがて、椅子の列が途切れた。


 その先。


 少し離れた場所に、一脚だけ別の椅子が置かれていた。


 将太が何度も見た白い椅子。


 背もたれも。


 細い脚も。


 同じだった。


 ほかの椅子とは違い、座面に黒い文字はない。


 何も刻まれていない。


 真っ白だった。


 将太は椅子の前へ立った。


「これが。」


 声が震える。


「俺の後ろにあったやつか。」


 白い少年は、いつの間にか少し離れた場所へ立っていた。


 何も言わない。


 将太は少年を見る。


「誰の席なんだ。」


 沈黙。


「俺の?」


 少年の目が、わずかに細くなる。


「それとも。」


 将太は白い椅子へ視線を戻した。


「俺の後ろに来るやつの席?」


 白い少年は、長い間答えなかった。


 やがて。


「座らないで。」


 それだけ言った。


 将太は椅子を見る。


「座ったらどうなる?」


「分からない。」


「お前にも?」


「うん。」


 白い少年の声には、嘘がなかった。


 将太は初めて、少年にも分からないことがあるのだと知った。


 その時。


 白い椅子の背もたれに、薄い線が浮かび始めた。


 墨が染みるように。


 ゆっくりと。


 文字になる。


 将太は目を凝らした。


 名前ではなかった。


 たった二文字。


 『空席』


 将太は息をのんだ。


 その瞬間。


 ホームのどこかで、椅子を引く音がした。


 ギィ――。


 将太は振り返る。


 並んでいた椅子の一つが、わずかに前へ出ている。


 さっきまでは、すべて同じ位置に並んでいた。


 誰かが引いた。


 誰かが座ろうとしている。


 将太は椅子の列を見つめた。


 人影はない。


 白い少年が低い声で言う。


「戻って。」


「でも。」


「今すぐ。」


 今までにない強い口調だった。


 次の瞬間。


 別の椅子が動いた。


 ギィ――。


 さらに奥。


 もう一脚。


 ギィ――。


 椅子を引く音が、霧の向こうから次々と響き始める。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 誰もいないはずの席が。


 何者かを迎えるように、ゆっくりと動いていく。


 白い少年が将太の腕をつかんだ。


「走って。」


 二人は同時に駆け出した。


 背後で、椅子を引く音が重なる。


 ギィ。


 ギィ。


 ギィ。


 将太は振り返らなかった。


 ホームへ戻る。


 霧を抜ける。


 古いベンチが見える。


 その瞬間。


 カラン――。


 白い駅にベルが鳴った。


 将太の視界が白く染まる。


     ◇


 目を開けると、自分の部屋だった。


 時計は午前二時を指している。


 将太はベッドの上で、激しく息をしていた。


 右腕には、白い少年につかまれた感触が残っている。


 夢ではない。


 将太はゆっくり起き上がった。


 机。


 本棚。


 閉じたカーテン。


 何も変わっていない。


 将太は部屋の隅を見る。


 そこには、いつもの椅子がある。


 勉強机の前へ置かれた、ごく普通の椅子。


 誰も座っていない。


 将太はしばらく見つめた。


 やがて。


 椅子が、ほんの少しだけ後ろへ動いた。


 床を擦る音が、静かな部屋に響く。


 ギィ――。


 将太は声を出せなかった。


 椅子はそれ以上動かない。


 誰も座らない。


 ただ。


 空いたまま。


 何かを待っていた。


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