第26話 それぞれの席
# 第二十六話 それぞれの席
十一月の空は高かった。
朝の空気は澄み切っていて、吐く息が少しだけ白く見える。
「寒っ。」
来海が肩をすくめた。
「まだ十一月なのに。」
「もう十一月だろ。」
将太が笑う。
「毎年言ってるじゃん。」
「寒いもんは寒い。」
そこへ天堂が合流した。
「福岡の冬は風が刺さるな。」
「大阪も寒いだろ。」
「種類が違う。」
「何が?」
「説明できん。」
「また始まった。」
三人は笑いながら校門をくぐる。
朝の教室には、いつもの騒がしさが戻っていた。
ここだけ見れば、世界は何も変わっていない。
白い駅も。
止まる時間も。
誰にも見えない影も。
全部、自分だけが知っている夢のようだった。
◇
「今日は席替えをする。」
担任の一言で教室が沸いた。
「やった!」
「窓側!」
「一番後ろ!」
くじ引きが始まる。
将太は紙を開いた。
一番後ろ。
窓側。
「またか。」
「またって何だよ!」
来海が笑う。
「俺なんか一番前だぞ。」
「先生の真ん前。」
「終わった……。」
天堂も紙を見て肩を落とす。
「俺は真ん中か。」
三人で机を運び始めた。
席が変わるだけ。
それだけなのに。
教室は別の場所のように見えた。
◇
一番後ろへ座る。
黒板は少し遠い。
その代わり。
教室全体が見渡せた。
先生。
友達。
窓。
廊下。
誰がどこで何をしているのか、一目で分かる。
「見え方が違うな。」
将太は小さく呟く。
席が変わるだけで。
世界はこんなにも違って見える。
その時だった。
将太は気づいた。
人の後ろに立つ影が、いつもよりはっきり見える。
来海の後ろ。
優しそうな老人。
天堂の後ろ。
腕を組んだ大男。
窓際の女子。
静かに立つ和服の女性。
誰もが。
誰かを背負っている。
自分だけを除いて。
将太は窓ガラスへ目を向けた。
映る教室。
映る生徒。
映る影。
そして。
自分。
その後ろだけが空いている。
ぽっかりと。
最初から誰かの場所だったように。
空席。
将太は目を逸らした。
◇
放課後。
塾でも席替えが行われた。
悠真は少し離れた席になった。
「残念。」
将太が笑う。
「何が?」
「カンニングできない。」
「したことないだろ。」
「一回くらい。」
「ない。」
二人は笑った。
その時。
「場所が変わると。」
後ろから声がした。
心陽だった。
「同じ景色でも、見えるものは変わるよ。」
「今日も同じこと言うんだ。」
将太が笑う。
心陽も少しだけ笑った。
「本当だから。」
「じゃあ、一番いい席は?」
「何を見るかで決まる。」
「黒板を見る人。」
「友達を見る人。」
「教室全体を見る人。」
「みんな違う。」
心陽は将太を見つめる。
「将太くんは。」
一瞬だけ間を置く。
「最近、見えすぎてる。」
将太は息を止めた。
「……何のこと?」
心陽は答えない。
軽く会釈すると、そのまま歩いて行った。
残された将太だけが、その言葉を何度も反芻していた。
◇
夜。
気づくと将太は白い駅に立っていた。
白い霧。
白い柱。
古びた木製のベンチ。
何度も見てきた景色。
けれど今日は違った。
「……いない。」
白い少年がいない。
いつも立っていたホームの端にも。
ベンチにも。
線路の向こうにも。
どこにも姿がなかった。
「おい。」
返事はない。
霧だけが静かに流れている。
「いるなら出てこい。」
沈黙。
将太はホームを歩き始めた。
コツ。
コツ。
靴音だけが響く。
すると。
「いる。」
低い声がした。
将太は足を止める。
霧の向こう。
一人の男が立っていた。
黒い羽織。
細い体。
静かな眼差し。
長い刀を帯びている。
どこか現代の人間ではない。
それでも異様な威圧感はない。
ただ。
そこに立っていた。
「……誰だ。」
男は少しだけ将太を見る。
「ようやく会ったな。」
「初めてだ。」
「お前にとっては。」
男の声は静かだった。
「白い奴は?」
「今日は来られぬ。」
「何で。」
「役目が違う。」
将太は眉をひそめた。
「何なんだ、お前。」
男は少しだけ笑う。
「知りたいか。」
「当たり前だ。」
「なら、一つだけ教えよう。」
男は霧の向こうへ視線を向ける。
「私は勝者ではない。」
将太は首をかしげた。
「負けた者だ。」
「負けた?」
「だから、お前に会えた。」
意味が分からない。
将太が問い返そうとした時だった。
男はゆっくりと将太を見る。
「名を聞いたな。」
「ああ。」
男は静かに答えた。
「石田三成。」
一拍置く。
「敗軍の将だ。」
白い霧が静かに揺れた。
将太は、その名前だけを何度も頭の中で繰り返していた。
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