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憑いてる。  作者: 受験孔明
目覚め
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第26話 それぞれの席

# 第二十六話 それぞれの席


 十一月の空は高かった。


 朝の風には、少しずつ冬の冷たさが混じり始めている。


 校門へ向かう生徒たちも、いつの間にか制服の袖へ手を隠すようになっていた。


「寒っ。」


 来海が両腕をさすりながら、将太の隣を歩く。


「昨日まで雨やったからな。」


「冬、早すぎん?」


「まだ十一月だろ。」


「もう十一月やろ。」


「どっちでもいいわ。」


 将太が笑うと、来海も笑った。


 その後ろから、聞き慣れた声が飛んでくる。


「二人とも、朝から元気やなぁ。」


 振り返ると、天堂がポケットへ両手を入れたまま歩いてきた。


「天堂、寒そう。」


「大阪より寒い気ぃするわ。」


「そんな変わらんだろ。」


「風がちゃうねん、風が。」


「それ、絶対気のせい。」


「住んどった俺が言うてんねんから間違いない。」


 天堂は真顔で言い切った。


 来海が吹き出す。


「じゃあ、大阪の風はどんな感じなん?」


「もっとこう……大阪っぽい。」


「説明になってない。」


「大阪の風は大阪の風や。」


「便利やな、それ。」


 三人で笑いながら昇降口へ入る。


 将太は上履きへ履き替え、廊下を歩いた。


 足音。


 笑い声。


 教室から聞こえる騒ぎ。


 何も変わらない朝だった。


 昨夜、白い駅で交わした言葉も。


 広告に浮かんだ文字も。


 学校へ来れば、遠い場所の出来事に思える。


 ――教えられた者は、辿り着けない。


 将太はその言葉を振り払うように、教室の扉を開けた。


     ◇


 朝のホームルームが始まる前。


 担任が教卓の上へ、細長く折った紙を何枚も置いた。


「今日、席替えするぞ。」


 教室の空気が一気に変わった。


「マジ?」


「一番後ろがいい。」


「窓側!」


「先生、自由に決めたら駄目なん?」


「駄目。」


 担任は即答した。


「くじ引き。文句なし。」


 生徒たちが一斉に騒ぎ始める。


 将太は今の席を見回した。


 窓から二列目。


 黒板も見やすい。


 来海も近い。


 特に不満はなかった。


「将太、どこがいい?」


 来海が振り返る。


「どこでも。」


「そういうやつに限って、めっちゃいい席引くんよ。」


「席なんて、そんな変わらんだろ。」


「全然違うやん。前とか先生に当てられるし。」


「後ろでも当てられる。」


「気持ちの問題。」


 天堂が横から口を挟む。


「俺は窓側やな。」


「外見るため?」


「ちゃうわ。光合成や。」


「植物なん?」


「朝弱いから、太陽ないと無理やねん。」


 来海が笑う。


 将太も笑いながら、教卓の前に並んだ。


 箱から紙を一枚引く。


 開く。


 窓側の一番後ろだった。


「ほら!」


 来海が声を上げる。


「やっぱりいい席引いた!」


「ただのくじだろ。」


「俺、前から二番目……。」


 来海は絶望したように紙を見つめた。


 天堂が自分の番号を確認し、静かに頷く。


「廊下側の真ん中か。」


「光合成できんやん。」


「終わったわ。」


 天堂は深刻そうに言った。


     ◇


 机と椅子を動かす音が、教室中に響いた。


 同じ教室。


 同じ机。


 同じ生徒。


 ただ座る場所が変わっただけ。


 それなのに、自分の席へ座ってみると、見える景色は想像以上に違っていた。


 黒板が少し遠い。


 教卓の向こうまで見渡せる。


 前を向けば、クラス全体の背中が並んでいる。


 窓の外には校庭と、その向こうの住宅街まで見えた。


「どう?」


 前の席へ移った来海が、わざわざ振り返って尋ねる。


「何が?」


「一番後ろ。」


「普通。」


「絶対いいやん。」


「先生から丸見えだけどな。」


「じゃあ代わる?」


「嫌。」


「ほら。」


 来海が顔をしかめる。


 将太は笑い、机の中へ教科書を入れた。


 授業が始まる。


 教師が黒板へ文字を書く。


 将太はノートを取りながら、教室全体を眺めた。


 席が変わるだけで、これほど見え方が変わる。


 以前の席からは、前の生徒の背中しか見えなかった。


 今は、ほとんど全員が見える。


 生徒たちの背後に立つ影も。


 窓際の女子の後ろにいる、年老いた女。


 中央の男子へ寄り添う、鎧をまとった武者。


 教卓近くに座る生徒の背後では、背の高い男が腕を組んでいる。


 将太が見えるようになる前から、彼らはそこにいた。


 自分が気づいていなかっただけ。


 白い少年の言葉が、ふいによみがえった。


 ――世界は、最初からここにある。


 将太はノートへ視線を戻した。


 見過ぎるな。


 そう自分へ言い聞かせる。


 けれど、一度気づいたものを、見えなかった頃のように無視することはできなかった。


     ◇


 放課後。


 塾の廊下には、一枚の紙を囲むように生徒たちが集まっていた。


「何これ?」


 将太が人の隙間からのぞく。


「来週からの座席表。」


 隣にいた生徒が答える。


「席替え?」


「クラス編成は変わらないけど、席だけ変えるらしい。」


 掲示板には、教室ごとの座席表が貼られていた。


 印刷された四角の中に、生徒の名前が並んでいる。


 将太は自分の名前を探した。


 今より一列前。


 窓側ではなく、中央。


 少し離れた位置に悠真の名前がある。


「あ。」


 声に振り向く。


 心陽が、参考書を胸に抱えて立っていた。


「心陽さんも席替え?」


「私のクラスも。」


 心陽は掲示板を見上げる。


 将太は心陽の名前を探した。


 一つ上の学年。


 教室も別だった。


「席なんて、どこでも同じじゃない?」


 将太が言う。


「そうかな。」


 心陽は少し考える。


「違う?」


「場所が変わると、同じものでも違って見えることがあるよ。」


「窓側なら外が見える、とか?」


「うん。」


 心陽は頷いた。


「前なら、黒板がよく見える。」


「後ろなら、教室全体が見える。」


「じゃあ、一番いい席は?」


 将太が聞く。


 心陽は座席表から目を離し、将太を見た。


「何を見たいかによるんじゃないかな。」


 静かな声だった。


「黒板を見たい人と、教室全体を見たい人では、いい席は違うから。」


 将太は掲示板へ視線を戻した。


 同じ教室でも、座る場所によって見えるものが変わる。


 そんな当たり前の話だった。


 なのに、なぜか胸へ引っかかった。


「心陽さんは、何を見たいの?」


 将太が尋ねる。


 心陽は一瞬だけ答えに迷ったように見えた。


「まだ、分からない。」


 やがて小さく笑う。


「だから、いろんな席に座ってみる。」


 その言葉を残し、心陽は別の教室へ向かっていった。


 将太は遠ざかる背中を見送る。


 また、うまくごまかされた気がした。


     ◇


 教室へ入ると、悠真はすでに席についていた。


 問題集を開き、数学の問題を解いている。


「席替え見た?」


 将太が隣へ座る。


「見た。」


「離れるな。」


「少しだけ。」


「カンニングできなくなる。」


「したことないだろ。」


「まあな。」


 悠真が笑う。


 将太も教材を取り出した。


「学校でも今日、席替えだった。」


「どうだった?」


「一番後ろ。」


「いいな。」


「やっぱり、みんなそう言うんだな。」


「教室全体が見えるから。」


 心陽と同じ言葉だった。


 将太は悠真の顔を見る。


「前より後ろの方がいい?」


「場合による。」


「何を見たいか?」


 悠真の手が一瞬止まった。


「心陽さんに言われた?」


「何で分かるんだよ。」


「言いそうだから。」


 悠真は小さく笑い、また問題へ戻った。


 将太は教材を開いたが、すぐには問題を解き始めなかった。


 教室を見回す。


 授業前の生徒たち。


 席に座り、友達と話す者。


 単語帳を開く者。


 机へ伏せて眠る者。


 その背後には、それぞれ違う影が立っている。


 生徒の動きに合わせて立つ場所を変える者もいれば、彫像のように動かない者もいる。


 影同士が会話をすることはない。


 互いを見ることもない。


 ただ、自分が憑いている相手の後ろに立っていた。


 まるで。


 そこが自分の席であるかのように。


 授業開始のチャイムが鳴る。


 先生が教室へ入ってきた。


「始めるぞ。」


 生徒たちが前を向く。


 将太も姿勢を正した。


     ◇


 授業の途中。


 将太は何気なく窓ガラスへ目を向けた。


 夜の暗さを映した窓には、教室の中が鏡のように映り込んでいる。


 並んだ机。


 座っている生徒たち。


 背後に立つ者たち。


 窓の中では、全員が二人一組に見えた。


 人と。


 その後ろにいる誰か。


 悠真の背後には、羽扇を持つ老人。


 老人は静かに目を閉じている。


 別の生徒の後ろには、甲冑姿の武者。


 また別の生徒の背後には、西洋風の衣服をまとった男。


 将太はゆっくり、自分の姿を探した。


 窓の端。


 机に座る自分。


 その後ろには。


 やはり誰もいなかった。


 何もない。


 空白。


 以前から、何度も見てきた光景だった。


 けれど今日は、それまでとは違って見えた。


 自分だけに何も憑いていない。


 そう思っていた。


 だが。


 本当に、何もないのだろうか。


 他の者たちは、決められた場所に立っている。


 悠真の背後にも。


 来海の背後にも。


 見知らぬ生徒の背後にも。


 全員に、それぞれの場所がある。


 なら。


 自分の背後だけが空いているのは。


 そこに誰もいないからではなく。


 誰かのために、空けられているからではないのか。


 その考えが浮かんだ瞬間。


 窓に映る教室が、ほんのわずかに揺れた。


 将太は目を凝らす。


 照明のちらつき。


 それだけだったのかもしれない。


 けれど一瞬。


 自分の後ろの空白が、座席の形に見えた。


 誰かが立つ場所ではない。


 誰かが座るための席。


 白く。


 輪郭だけが浮かんでいる。


 将太は思わず振り返った。


 当然、何もない。


 机の後ろ。


 通路。


 教室の壁。


 誰もいなかった。


「綾小路。」


 先生の声が飛ぶ。


「どうした。」


「あ……いや。」


「授業に集中しろ。」


「はい。」


 将太は前を向く。


 黒板には数式が並んでいる。


 周囲の生徒は、何事もなかったようにノートを取っている。


 窓へ映る白い席も、もう消えていた。


 それでも。


 将太の中に生まれた疑問だけは消えなかった。


 全員に席がある。


 学校にも。


 塾にも。


 順位表の中にも。


 そして。


 人の背後に立つ者たちにも。


 ならば。


 自分の後ろに空けられているあの場所は。


 いったい、誰の席なのだろう。


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