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憑いてる。  作者: 受験孔明
目覚め
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24/82

第24話 静寂

# 第二十四話 静寂


 朝の教室は、いつもより少しだけ騒がしかった。


 昨日まで降り続いていた雨が上がり、窓の外には久しぶりの青空が広がっている。


 教室へ差し込む光も明るい。


 誰かが窓を開けると、湿った空気がゆっくりと外へ流れていった。


「やっと晴れたな。」


 来海が大きく伸びをする。


「体育できるやん。」


「お前、そればっかり。」


 将太が笑う。


「だって昨日できんかったし。」


「勉強しろ。」


「それは塾で十分。」


「開き直るな。」


 二人が笑っていると、後ろから軽く頭を叩かれた。


「朝からうるさいわ。」


 天堂だった。


 片手に牛乳を持ったまま、大きくあくびをしている。


「お前ら、元気やなぁ。」


「天堂こそ眠そう。」


「昨日な、サッカー見よったら三時や。」


「アホや。」


「しゃあないやろ。延長やったんや。」


「授業寝るなよ。」


「一時間目だけ起こして。」


「全部寝る気やん。」


 三人は声を上げて笑った。


 教室のあちこちからも笑い声が聞こえる。


 誰かが消しゴムを投げる。


 女子が文句を言う。


 先生がまだ来ない教室は、いつもの朝だった。


 将太はその空気に少しだけ安心した。


 ここ数日。


 白い駅。


 止まる時間。


 霧の向こうの足音。


 そんなことばかり考えていた。


 だからこそ、この何でもない時間が少し懐かしく感じられる。


 先生が教室へ入ってくる。


「席着けー。」


 騒がしかった教室が、一斉に静かになった。


     ◇


 昼休み。


 体育館ではバスケットボールをする生徒たちの歓声が響いていた。


「将太!」


 来海からボールが飛んでくる。


 将太は軽く受け止め、そのままドリブルで走った。


 右。


 左。


 フェイントを入れる。


「止めろ!」


 相手が前へ出た瞬間、股の下をボールが抜ける。


「うわっ!」


 歓声が上がる。


 将太はそのままレイアップを決めた。


「ナイス!」


「今日キレキレやん!」


「昨日休んだから。」


「寝不足じゃなかったん?」


「今日はちょっとマシ。」


 来海が笑う。


「なら昼休み全部やろうぜ。」


「死ぬわ。」


 息を切らしながら将太も笑った。


 体を動かしている間だけは、何も考えなくて済む。


 白い駅も。


 白い少年も。


 心陽の言葉も。


 全部忘れられる。


 そんな気がした。


 試合が終わる。


 汗を拭きながら体育館を出る。


 廊下へ出た瞬間だった。


 急に周囲が静かになった気がした。


 笑い声が遠い。


 足音も小さい。


 将太は立ち止まる。


 耳を澄ます。


 普通だ。


 みんな普通に歩いている。


 先生も話している。


 何も変わっていない。


「将太?」


 来海が不思議そうに振り返る。


「どうした?」


「……いや。」


 将太は首を振った。


「何でもない。」


 そう答えたものの、胸の奥に残る違和感だけは消えなかった。


 **静かすぎる。**


 何も起きていない。


 だからこそ、不自然だった。


     ◇


 放課後。


 塾へ向かう電車の窓から、夕日が街を赤く染めていた。


 将太はガラスへ映る自分を見つめる。


 今日は何も映らない。


 白い袖も。


 人影も。


 誰もいない。


 それなのに。


 胸騒ぎだけが、朝からずっと消えなかった。


 まるで。


 何かが息を潜めているようだった。



 塾へ着く頃には、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。


 自動ドアが開く。


 見慣れた受付。


 壁に貼られた模試の日程。


 廊下には、授業へ急ぐ生徒たちの足音が響いている。


 何も変わらない。


 昨日までと同じ景色だった。


「将太。」


 後ろから声がした。


 振り向く。


 悠真が立っていた。


「お疲れ。」


「お疲れ。」


「今日は元気そうだな。」


「昨日よりは。」


 悠真は安心したように笑う。


「よかった。」


「昨日はさすがにきつかった。」


「今日は無理するなよ。」


「分かってる。」


 二人は並んで教室へ向かった。


     ◇


 授業は数学だった。


 先生の声が教室に響く。


 黒板を走るチョークの音。


 ページをめくる音。


 問題を解く鉛筆の音。


 将太は久しぶりに集中できていた。


 昨日まで頭を覆っていた重さが、少しだけ薄れている。


 式を書き進める。


 答えを出す。


 見直す。


 間違いはない。


 自然と笑みがこぼれた。


 授業が終わる。


 先生が教室を出ていくと、生徒たちは一斉に立ち上がった。


 友達と答え合わせをする者。


 急いで次の教室へ向かう者。


 自販機へ走る者。


 いつもの放課後だった。


     ◇


 将太は廊下へ出る。


 窓の外では、夕焼けが校舎を赤く照らしていた。


 ふと、廊下の先に心陽の姿が見える。


 参考書を胸に抱え、一人で歩いている。


「心陽さん。」


 思わず声を掛ける。


 心陽は立ち止まり、静かに振り返った。


「こんにちは。」


「こんにちは。」


 少しだけ沈黙が流れる。


 将太の方から口を開いた。


「今日は普通だった。」


「普通?」


「変なこと。」


「何もなかった。」


 心陽は少しだけ目を細めた。


「それは、よかったね。」


 そう言ったあと、小さく首を傾げる。


「でも。」


 将太は心陽を見る。


「何もない日ほど、安心しすぎない方がいいよ。」


 その一言だけだった。


 心陽は軽く会釈すると、そのまま廊下の向こうへ歩いていく。


 将太は呼び止めようとして、やめた。


 あの人は、いつも説明をしない。


 必要なことだけを言って去っていく。


 それが心陽だった。


     ◇


 授業がすべて終わる。


 外へ出ると、昼間の暑さはもう残っていなかった。


 夜風が心地いい。


 将太は駅までの道を一人で歩く。


 車が通る。


 信号が変わる。


 コンビニから学生が出てくる。


 全部、普通。


 それなのに。


 胸の奥だけが落ち着かなかった。


 静かすぎる。


 昨日まで感じていた視線もない。


 駅のガラスに映る白い袖もない。


 誰かに見られている感覚もない。


 まるで。


 何かが息を潜めているようだった。


「……考えすぎか。」


 自分に言い聞かせるように呟く。


 ホームへ着く。


 接近メロディーが流れる。


 電車が入ってくる。


 何も起きない。


 音も消えない。


 時間も止まらない。


 将太は小さく息を吐いた。


「今日は、本当に終わりか。」


 そう思った。


 その時だった。


 ホームへ滑り込んできた電車の窓。


 そこへ映った自分と、一瞬だけ目が合った。


 違和感。


 ほんの一瞬だった。


 何が違ったのか分からない。


 電車のドアが開く。


 将太は首を振り、そのまま車内へ乗り込んだ。


 違和感の正体だけが、胸の奥に小さく残り続けていた。



 その夜。


 将太は、ゆっくりと目を開けた。


 白い霧が漂っている。


 古びたホーム。


 白い柱。


 木製のベンチ。


 見慣れたはずの景色が、今日はどこか違って見えた。


「……またか。」


 将太は小さく息を吐く。


 白い駅。


 もう驚きはしなかった。


 ここへ来ることにも。


 白い霧を見ることにも。


 少しずつ慣れ始めている自分がいた。


「おい。」


 ホームを見回す。


「いるんだろ。」


 返事はない。


 白い少年の姿は見当たらなかった。


 いつもなら。


 柱にもたれかかっている。


 ベンチへ座っている。


 線路を見つめている。


 どこかには必ずいた。


「……どこだ。」


 将太はホームを歩き始めた。


 コツ。


 靴音だけが静かに響く。


 列車は来ない。


 ベルも鳴らない。


 風も吹かない。


 世界から音が消えたようだった。


 ホームの端まで歩く。


 何もない。


 振り返る。


 やはり誰もいない。


 将太は苦笑した。


「今日は休みか。」


 冗談のつもりだった。


 もちろん返事はない。


 そのまま歩き続ける。


 一歩。


 また一歩。


 霧の中を進むたび、自分の足音だけが白い駅へ吸い込まれていく。


 不思議だった。


 誰もいないはずなのに。


 一人ではない気がする。


 将太は立ち止まった。


 耳を澄ませる。


 静かだ。


 本当に静かだった。


 だからこそ。


 聞こえた。


 コツ。


 将太は顔を上げる。


 自分の足音ではない。


 もう一度。


 コツ。


 ホームのどこかで、誰かが歩いている。


 将太はゆっくりと振り返ろうとした。


 その瞬間。


「振り返るな。」


 声がした。


 白い少年だった。


 すぐ後ろで聞こえた。


 将太は息を止める。


 だが、振り返らない。


 姿は見えない。


 気配もない。


 それでも、その声だけは間違えようがなかった。


「そのまま歩け。」


 将太は何も聞き返さなかった。


 一歩。


 また一歩。


 前だけを見る。


 背中では、足音がゆっくり近づいてくる。


 コツ。


 コツ。


 一定の速さ。


 焦らせるでもなく、急ぐでもなく。


 ただ、将太の歩幅に合わせるように。


 背後にいる。


 汗が背中を伝う。


 心臓の音だけがやけに大きい。


「止まるな。」


 再び白い少年の声がした。


 今度は少し遠い。


 将太は拳を握り締める。


 歩く。


 ただ歩く。


 どれほど歩いただろう。


 時間の感覚が消えていた。


 ふいに。


 背後の足音が止まる。


 静寂。


 何も聞こえない。


 将太は唇を噛んだ。


 振り返りたい。


 何がいるのか見たい。


 その衝動を必死に押さえ込む。


 その時だった。


 カラン――。


 澄んだベルの音が、白い駅に響いた。


 同時に霧がゆっくり流れ始める。


 世界へ音が戻ってくる。


 将太は目を閉じた。


 次に目を開けた時、自分は自室のベッドに横になっていた。


 朝日がカーテンの隙間から差し込んでいる。


 目覚まし時計が鳴っていた。


 夢。


 そう思おうとした。


 だが。


 右手だけが、小さく震えていた。


     ◇


 登校途中。


 将太はいつもの交差点で天堂と合流した。


「おはよう。」


「おう。」


 天堂は将太の顔を見るなり笑った。


「何やその顔。」


「ひどい?」


「昨日、一睡もしてへんみたいや。」


 将太は思わず苦笑する。


「ちゃんと寝たよ。」


「ほんまか?」


「ほんま。」


「ほんなら、ええけど。」


 天堂はそれ以上聞かなかった。


 二人は並んで学校へ向かう。


 朝日を浴びた街は、昨日までと変わらない。


 車が走り、人が歩き、子どもたちが笑っている。


 どこにでもある日常だった。


 将太はその景色を見つめながら、小さく息を吐く。


 昨夜、自分は眠っていたのだろうか。


 それとも――。


 歩いていたのだろうか。


 白い駅を。


 たった一人で。



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