第14話 軍議
# 第十四話 軍議
その夜だった。
眠ったはずの将太は、気づくと白いホームに立っていた。
白い駅。
風はない。
音もない。
天井の見えないほど高い空間に、一本のホームだけが静かに続いている。
何度も訪れた場所。
それでも今日は、空気が違っていた。
静かだ。
だが、静かなだけではない。
何かが始まる直前のような張り詰めた気配が漂っている。
将太はゆっくり歩き出した。
古びた木製のベンチ。
白い案内板。
文字の読めない駅名標。
景色は変わらない。
なのに、胸だけがざわついていた。
その時だった。
霧の向こうから、規則正しい足音が聞こえてきた。
コツ。
コツ。
コツ。
一人ではない。
何人もの足音が重なっている。
やがて霧が静かに揺れた。
最初に姿を現したのは、甲冑姿の老人だった。
白髪交じりの髷。
深い皺。
それでも背筋は一本の槍のように真っ直ぐ伸びている。
続いて法衣をまとった僧。
羽織姿の武士。
軍服の男。
洋装の紳士。
着物姿の女性。
さらに老人、青年、僧侶、学者……。
時代も国も違う人々が、静かにホームへ集まってくる。
誰一人として同じ空気をまとっていない。
ただ、一つだけ共通していた。
胸元に刻まれているはずの名前が、黒く塗り潰されている。
将太は息を呑んだ。
(みんな……見える。)
誰も将太を不思議そうには見ない。
一度だけ視線を向けると、そのままホームの中央へ歩いていく。
最初から将太がそこにいることを知っていたように。
将太も思わず後を追った。
◇
ホームの中央。
集まった者たちは自然と円を描くように立ち止まった。
誰も中央には立たない。
誰も上座を譲り合わない。
命令する者もいない。
それなのに、不思議な統一感があった。
長い沈黙。
やがて、一人の老人が静かに口を開く。
「空席が増えている。」
別の男が応じる。
「予想より早い。」
「いや。」
「遅いくらいだ。」
短い言葉だけが交わされる。
「二人目も動いた。」
「確認した。」
「まだ確定ではない。」
将太は眉をひそめた。
(何の話だ……。)
意味が分からない。
それでも、無駄な言葉が一つもないことだけは伝わる。
まるで本物の軍議だった。
「軍議。」
隣から小さな声がした。
いつの間にか白い少年が立っていた。
「やっぱり。」
将太は小さく息を吐く。
「軍議なんだ。」
少年は静かに頷く。
「世界が動き始めた。」
その一言だけだった。
将太は聞き返せなかった。
世界。
その言葉だけで、胸が重くなる。
軍議は続く。
「観測が追いつかぬ。」
「止めるべきか。」
「止められぬ。」
「ならば。」
「見届けるしかあるまい。」
意味は分からない。
だが、自分と無関係な話には思えなかった。
◇
しばらくして、将太は違和感に気づく。
円陣の外。
少し離れた柱の横に、一人だけ立っている人物がいた。
黒い羽織。
静かな眼差し。
いつも将太のそばにいる青年だった。
青年は軍議へ加わらない。
口も開かない。
ただ全員を見渡している。
まるで、見届ける役目を負っているかのように。
将太は近づいた。
「参加しないの?」
青年は視線を動かさない。
「役目が違う。」
「何の役目?」
「見届けること。」
「何を。」
「お前を。」
将太は言葉を失う。
「俺?」
青年は答えない。
その代わり、円陣の方へ目を向けた。
ちょうどその時だった。
軍議に集まった全員が、一斉に将太へ視線を向けた。
誰も敵意は見せない。
歓迎もしない。
ただ、静かに見つめる。
その視線だけで、身体が動かなくなった。
長い沈黙。
やがて一人の老人が呟く。
「……まだか。」
別の男が答える。
「まだだ。」
「早い。」
「焦る必要はない。」
それだけで終わる。
何事もなかったように軍議は再開された。
将太は青年を見た。
「今の何。」
「気にするな。」
「気になるだろ。」
「今は、まだ。」
また、その言葉だった。
将太は苦笑するしかない。
◇
カラン――。
ホームのどこかでベルが鳴る。
軍議が止まる。
全員が同じ方向を見る。
霧の向こう。
白い列車が音もなく姿を現した。
ホームへ滑り込み、静かに停車する。
扉が開く。
集まっていた者たちは、一人ずつ列車へ乗り込んでいく。
誰も急がない。
誰も振り返らない。
まるで、それぞれ向かう場所が決まっているようだった。
最後尾まで乗り込もうとした時。
一人だけ足を止める者がいた。
黒い羽織の青年だった。
青年は将太の前まで歩いてくる。
「聞こえたか。」
「全然。」
「意味も分からない。」
青年は小さく頷く。
「それでよい。」
「え?」
「聞こえぬうちは、まだ戦場に立っておらぬ。」
将太は眉をひそめる。
「戦場って、受験じゃないのか。」
青年は静かに首を横へ振る。
「受験は入口に過ぎぬ。」
その言葉だけを残し、青年は列車へ乗り込んだ。
ベルがもう一度鳴る。
扉が閉まる。
白い列車は静かに動き始めた。
将太はホームの端まで歩き、その姿を見送る。
霧へ溶けるように列車が消えていく。
最後の最後。
窓越しに青年が一度だけ将太を見た。
そして、ごくわずかに口元が動く。
声は聞こえない。
それでも将太には、何と言ったのか分かった気がした。
――予想より早い。
列車は白い霧へ消えた。
静寂だけが戻る。
「何が早いんだよ……。」
返事はない。
白い少年も、もうそこにはいなかった。
広いホームに残されたのは将太一人。
その時。
遠くで、低く重い音が響く。
ギィ……。
白い列車とは違う。
錆びた鉄を引きずるような、不気味な音。
将太はゆっくり振り返る。
霧の向こうには、まだ何も見えない。
だが確かに。
もう一つの列車が、この駅へ近づいてきていた。




