第13話 敗因
# 第十三話 敗因
終了のチャイムが鳴った。
教室を包んでいた緊張が、一気にほどける。
鉛筆を置く音。
椅子を引く音。
深いため息。
「終わった……」
「英語きつかった」
「国語、最後まで読めなかった」
「数学の大問、解けた?」
あちこちから声が上がる。
将太は問題冊子を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
数学は手応えがあった。
最後まで解けた。
英語も以前より読めた気がする。
だが。
国語だけは違った。
最後の評論文。
残り時間を何度も時計で確認しながら読み進めた。
焦った。
読み飛ばした。
最後の記述は、自信のないまま書き終えた。
「どうだった?」
廊下へ出ると、天堂が声をかけてきた。
「数学はいけた」
「やっぱり」
「でも国語は微妙」
「俺も」
天堂は苦笑した。
「最後まで読めんかった」
「時間?」
「うん。途中から時計ばっかり見てた」
将太は思わず天堂を見た。
自分と同じだった。
「英語は?」
「七割くらいかな」
「いいな」
「将太よりは」
「その言い方やめろ」
二人が笑っていると、少し遅れて悠真が教室から出てきた。
「終わった?」
将太が聞く。
「終わった」
「どう?」
悠真は少し考えてから答えた。
「悪くはない」
「悪くないってことは良いんだろ」
「一問落とした」
「数学?」
「うん」
悠真はそれだけ言って歩き出した。
将太と天堂も後を追う。
三人で駅へ向かう道を歩く。
「一問くらいならいいじゃん」
将太が言うと、悠真は首を横に振った。
「理由がある」
「理由?」
「焦った」
短い言葉だった。
それ以上は続かなかった。
駅へ着くと、それぞれ乗る電車が違う。
「また月曜」
天堂が手を振る。
「おう」
悠真も軽く手を上げ、別のホームへ向かった。
将太は一人になった。
◇
電車の窓へ街の景色が流れていく。
ガラスへ映る自分の顔。
その隣へ、白い少年の姿が映った。
将太は驚かなかった。
もう、この現れ方には慣れ始めていた。
「浮かない顔だね」
「そんなことない」
「あるよ」
少年は窓の外を見たまま言う。
「国語。」
将太は苦笑した。
「分かる?」
「見てたから」
「全部?」
「全部じゃない」
少年は首を振る。
「でも、一番大事なところは見えた」
「何。」
「時計を見た。」
将太は黙った。
「何回も。」
「……。」
「それが敗因。」
その言葉が胸へ刺さる。
「問題が難しかったんじゃない。」
「時間が足りなかったわけでもない。」
「君が、自分で時間をなくした。」
反論できなかった。
確かにそうだった。
残り時間ばかり気になり、文章へ集中できなくなっていた。
「敗因……」
将太は小さく呟く。
「受験って勝ち負けなのかな」
少年は少しだけ考えた。
「勝ち負けじゃない。」
「でも。」
「勝つ人と、負ける人はいる。」
その言葉は、不思議と残酷には聞こえなかった。
ただ事実を言っているだけだった。
◇
夜。
机の上には、今日の問題冊子が広げられていた。
将太は時計を外し、机の引き出しへしまう。
「今日は見ない。」
独り言だった。
国語の評論文を最初から読む。
一文。
二文。
三文。
焦らず読む。
すると。
「あ……」
思わず声が漏れた。
冒頭の二行。
そこに、設問全体の鍵になる一文があった。
試験中は読み飛ばしていた場所だった。
「こんなところに……」
赤ペンで丸をつける。
記述を書き直す。
驚くほど自然に答えがまとまる。
難しい問題ではなかった。
難しくしていたのは、自分だった。
「分かったか。」
静かな声。
振り返らなくても分かる。
黒い羽織の青年。
いつものように部屋の隅へ立っていた。
「……うん。」
将太は素直に頷く。
「問題じゃなかった。」
青年は静かに歩き、机の横へ来る。
問題冊子ではなく、解き直した答案へ目を向けた。
「勝因は多い。」
低い声が響く。
「努力。」
「才能。」
「体調。」
「運。」
「仲間。」
「教師。」
一つずつ数えるように言う。
「だが。」
そこで言葉を切る。
「敗因は、一つで十分だ。」
将太は息を止めた。
青年は続ける。
「百点を取った数学は、お前を勝たせたか。」
「……。」
「勝たせていない。」
「六十一点の英語。」
「五十八点の国語。」
「その隙が、お前を負けさせた。」
机の上へ視線を落とす。
英語。
国語。
どちらも苦手だから、とどこかで言い訳していた。
だが、それでは勝てない。
「戦とは。」
青年が静かに言う。
「強い兵を育てることではない。」
「弱い兵をなくすことだ。」
その瞬間。
将太の中で、何かがつながった。
数学をもっと伸ばすことばかり考えていた。
百点を維持することばかり考えていた。
違う。
勝つために必要なのは。
英語であと十分。
国語であと十五点。
その積み重ねだった。
「じゃあ俺は……」
将太はゆっくり顔を上げる。
「弱いところから逃げてたんだ。」
青年は初めて小さく笑った。
「ようやく見えたな。」
部屋に静かな沈黙が流れる。
机の上には、解き直した問題冊子。
赤ペンで書き込まれた答え。
そして、英語の単語帳。
将太は国語の問題冊子を閉じると、英語の単語帳を手に取った。
「今日は、こっちからやる。」
青年は何も言わない。
だが、その目は少しだけ穏やかになっていた。
窓の外では、冷たい夜風が木々を揺らしている。
将太は単語帳を開いた。
今日負けた相手は、問題ではない。
時間でもない。
自分が作った「隙」だった。
ならば。
次に埋めるべきものも、もう分かっている。
白い紙が胸ポケットの中で、かすかに熱を帯びた。
だが将太は、もう取り出さなかった。
今、見るべきものは未来ではない。
目の前の一ページだった。




