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53 二十年前

 水を足し、温め直すメイベルの背に視線が刺さる。身動いで振り返った。


「あの、見られてると気になるんですけど……」


 気軽に苦情を言う。すっかりこの男性に対する警戒心はなくなっていた。


 使用人達が使う粗末な椅子に腰掛けた男性も放たれた苦情に慌てはしなかった。困ったように頭をかいた。

 

「申し訳ない。この地方では屋敷の御息女もお料理をなさるのかと思ったもので」


「この地方でというより、どこの地域でも田舎なら大きな屋敷の娘も料理をすると思いますよ。普段はわたしの母もお料理をしますから。今日みたいな正式な晩餐ではさすがにしませんけど、伯爵様が来られた時は母も張り切って手伝ってます。伯爵様は母の作る鴨のパイがお気に入りなので」


「それは食べてみたかったな。しかしいただいた夕食は本当に美味しかった。特にパンが絶品でしたよ。王都でもあんなに美味しいものはなかなか食べられない」


「バターが良いからかしら。うちでは山羊も飼ってるんです。毎日搾りたてのミルクを使ってバターを作っているんですよ」


 言いながらスープが出来上がったが、メイベルはちょっと困ってしまった。


 自分一人ならスープで十分だが、男性も一緒となると、何かもう一品出してあげたほうがいいか?


 とはいえ今から作ったのではスープが冷めてしまう……。


 悩みつつ戸棚を開けたメイベルは破顔した。


「アン。あなたったら最高だわ」


 戸棚の中にあったのは、たった今お貴族様のお褒めに預かった我が家お得意のバターたっぷりパンが二つ。


『金色子ネズミのお嬢様へ。寝る前に歯はちゃんと磨くように!』とのメモが添えられていた。




 残った火で温め直したパンに、お野菜のスープ。この時間のお夜食にしてはなかなか豪華だが貴族様にとっては粗末なものだろうこれを、男性は喜んで食べた。


 パンを褒めるのはもちろん、ご令嬢たるメイベルがささっと作ってしまった野菜スープもいたく気に入ったらしい。


 あっという間に食べて、鍋を名残惜しそうに見つめる姿に、またメイベルは笑ってしまった。


 秘密のお夜食を終えて、ここにいた証拠を消し、部屋へと戻ろうとすると男性が躊躇いがちに言った。


「明日は、明るい陽の下で貴女とお会いできるだろうか」


 廊下の拙い灯でも男性の頰は赤くなっているように見える。


「……もしかして、今度こそ正式に誘われています?」


「君はすぐそちらに話を持って行くな!」


 小声ながらもしっかりとした抗議が返ってくる。慌てながら男性は「私には妻がありますのでそのようなつもりは一切ありません!」と叫んだ。


「まぁ……」


 咄嗟にそれしか言えなかった。


 この時メイベルの心に落ちた気持ちは、言葉に当てはめるなら『落胆』が相応しい。


 奥様がいらっしゃるのか。そっか。

 この御年齢のお貴族様なら当然よね。


 そう思ううちにさっさと頭を下げて部屋へと戻ったメイベルは、今度こそベッドに入ってさっさと寝てしまうことにした。




 翌朝も朝食は部屋で取らされ、陽が高くなった頃、屋敷の外が騒がしくなった。


 窓からそっと庭を覗き見ると立派な拵えの二頭立ての馬車がある。お貴族様を迎えに来た馬車だ。


 あの人も一緒に帰るのだろう。


 そう思っていたら、こげ茶の頭が見えて、慌てて両手を窓につけて見下ろした。


 その頭が上がり、屋敷を見上げる。


 大して多くはない窓のうち、メイベルが外を覗く窓へと視線を向けて、わずかに微笑んだように見えた。


 騒ぐ心臓を押さえていると、男性は小さく手を振った。


 思わずこちらも振り返そうとして──止める。


 少しでも視線を外すことを遅らせようとしているのか、男性はゆっくりと馬車へと乗り込み、見えなくなる。


 馬車に繋がれた馬は元気よく歩を進め、その姿が見えなくなるまでメイベルは目を離さなかった。


 相手は貴族だ。お嬢様と呼ばれていようともただの地方郷士の娘である自分とは住む世界が違う相手だ。おまけに妻帯者でもある。


 さっさと忘れるが勝ちだ。




 母の呼ぶ声がする。


 一日を部屋に閉じ込められて過ごした娘を案じてくれていたのだろう。


「はーい! 今行きまーす!」


 貴族令嬢には有り得ない大声で返事をし、部屋を飛び出した。


 嵐の後は良い天気になると相場がきまっている。


 今日は気持ちの良い日になりそうだ。




 そうしてメイベルが普段と変わらない生活を過ごして丸ひと月。


「あなたがメイベルさんですわね。お兄様からお話を伺って、是非ともお会いしたいと思いましたのよ」


「急にごめんね。その……い……いもうとが、君に会いたいと言うものだから」


 さっさと忘れよう忘れようと思っていた相手と、こんなに早く再会することになるとは夢にも思わなかったのだ。

ありがとうございました。

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