54 二十年前
再び現れたお貴族様を、屋敷はまた大慌てで受け入れた。とは言え今度は連絡が来てからの訪問だ。前回とは違って万全の態勢が整えられている。
しかし彼が会いに来たのが隠していたはずの娘だと知った父の怒りは凄まじかった。だからあれほど隠れていろと言ったのにと騒いで伯爵様の元へと手紙を出していたくらいだ。本当に娘を取られそうになったら泣きつくつもりらしい。
「心配しなくても大丈夫よ、お父様。あの方、奥様がいるそうだから」
父は「奥方が居られようともっ……」と言いかけ口を噤んだ。妻がいようとも妾を取るのにはなんの関係もないのだというのだろうが、あのお貴族様本人がそう言っていたくらいだ。
この訪問は娘さんをください(嫁ではなく妾に)という目的でのものではないことはメイベルが一番よく分かっている。
あの人が妾を持てるほど器用とも思えない、というのは父には内緒だ。
そうして父を宥めつつ日々は過ぎ、いらっしゃったお貴族様は妹様を連れていたのだ。
「お兄様の仰るとおり、なんて可愛らしい方なのかしら! ねぇ、今おいくつになられるの? ああ、ごめんなさい! わたくしったら一人で話してばかりで!」
妹様はきゃあきゃあはしゃいだ。貴族令嬢といえば慎ましく淑やかに、父や兄に問われるまで口を聞いてはならないとまで教育される方々と聞いていたが、このご令嬢は兄を差し置いてメイベルを独占している。
「貴族のお嬢様にそのように言っていただけますことは、とても光栄に存じます。ブランドン・リンドールの娘、メイベルにございます」
「いやだわ、そんなに硬くならないで。是非とも貴女とお友達になりたくて、お兄様に無理を言って連れてきていただいたのだから」
そこで言葉を区切り、貴族令嬢は優雅にスカートの裾を摘み、膝を折った。
「イレーナ・エドワーズです。どうかイレーナと呼んでくださいな」
エドワーズ!
お客様の前だというのに、メイベルは頰を引きつらせた。
建国から続く大家、エドワーズ公爵家の名はド田舎出身のメイベルでも知っている。
そのエドワーズ家のご令嬢のお兄様ということは……。
ちらりと目を向けると男性は居た堪れないとばかりに目を逸らした。
その、逃げるような仕草を恨まずにいられるものか。
下っ端などとんでもない。よりにもよって貴族の最高位、大公爵家の嫡男だとは!
メイベルの頭は目まぐるしく回転し、エドワーズ家の公爵様はこんなに若くはなく、お子様は三男一女であったことを思い出す。
全身が総毛だった。
ああ、どうか総領ではありませんように!
家畜用の野菜の端切れスープを喜んで飲む変わり者の公爵家の総領息子ではありませんように!
「──さん? メイベルさん?」
いつのまにか両手を組み天に祈っていたメイベルはハッとした。
「どうかなさったの? 顔色がお悪いようだけど……」
公爵令嬢がメイベルのことを心から心配そうに見つめてくる。公爵令嬢が、だ!
「いいえ、なんでもありません! あ、えっと、その、こっ今年で十五になります!」
取り繕うように手を振り、年齢を聞かれていたことを思い出して大慌てで答えた。
なけなしの作り笑顔は気付かれなかったらしい。
メイベルがいたって元気よく答えたからか、公爵令嬢は心配そうな表情を消して、目を輝かせて手を打った。
「まぁっ! なんて偶然なんでしょう。わたくしと同じ歳なんですのね」
「ええっ!?」
大変失礼なことだが、メイベルは野菜スープの衝撃も忘れて驚きに目を見張った。
はしゃいでいるとはいえ洗練された身のこなし、温かみはあるが生まれ持った貴族のご令嬢としての、下々の者へと向けられる親しみのこもった眼差し。
目の前にいる公爵令嬢はどう見てもメイベルより一回りは歳が上の大人の女性にしか見えなかったのだ。
「都会の方は皆様そう、大人びていらっしゃるのでしょうか……わたし、てっきり年上のお姉様だとばかり……」
改めてまじまじと見ても、同じ歳とはとても思えない。いや、これはもしやお化粧のせいか、とメイベルは思い直した。
まぶたに乗せられた華やかなアイシャドウ、長い睫毛、唇には艶のある口紅が塗られ、全体的に大人びた印象をこちらに植えつけてくる。
途端にメイベルはちらりと自らの姿を見下ろして居心地の悪さを感じた。
目の前にいる都会の公爵令嬢は、ドレスから装飾品、そもそものお顔の美しさを際立たせる洗練されたお化粧、と全てが完璧な装いだというのに。
一応は一張羅のドレスに時代遅れのアクセサリーを付けた自分がなんだか恥ずかしくなる。
──これじゃあ、相手にする候補にすら上がらないはずだわ。
そんな自虐的な気分のメイベルとは対照的に、令嬢はいたって嬉しそうに微笑んで言った。
「まぁ、そんなことを言われたのは初めてだわ。ね、せっかく歳が同じなのですもの。是非ともお友達になっていただきたいわ。……ダメ、かしら?」
そうして心配そうに上目遣いになるところは確かにお可愛らしい。
メイベルにとって公爵家とは、膝をついて目も合わせてはいけないくらい遠いお相手だが、この方は悪い人には思えなかった。
型遅れのドレスもこの方は笑ったりなさらないだろう。
なぜだか、根拠もなくそう思った。
「わたしでよければ、是非。よろしくお願い致します。イレーナ様」
二人でにっこり笑い合う。
良ければ我が家のお庭を見ていただけませんかと初めて訪問されたお客様への決まり文句を伝えると令嬢は手を叩いて喜んだ。
そうしていそいそと部屋を後にしたメイベルはこの部屋に残る一人を完全に忘れていたわけだが、この人物も衝撃に頭を抱えていたのだから仕方ない。
「妹も……十五歳も。無理がありすぎるよ……」
ため息混じりの声はメイベルには届かない。
やがて大きく開け放たれた窓から二人の笑い声がして、再び男性は大きく息を吐いたのだ。
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