27
用意された客間で、魔王は驚きに目を見張っていた。
「すまないが、もう一度言ってくれるか?」
思わずそう聞き返すほど、対面する相手から言われた言葉は予想の範囲を大きく外れていたのだ。
聞き返された相手は居住まいを正し、再び先ほどと同じ言葉を口にした。
「彼女はとても明るく愛らしく、皆から好かれる素晴らしい女性です。彼女を望む方は魔族に限らず人間にも多くおられることでしょう。とても私には勿体のないお話です、と申しました」
ゆったりと魔王の首が傾く。
彼の言いたいことは分かる。その言葉に隠された本心も。いや、これは本心なのか? そんな思いから首が傾いたのだ。
魔族は総じて素直な生き物だ。
何を聞くにも率直な答えが返るし、その言葉の裏を読むということをする必要がない。そもそも言葉に裏がない。
しかし人間は厄介だった。
この国の王ですら、友好国となるのにのらりくらりと言葉を濁して何日も城に滞在させられる羽目になったのは一年ほど前のことだ。
どうやらその王の息子は、父親よりも厄介らしい。
「まさかとは思うが、君は──断っているのかな?」
「……率直に申し上げるならば、その通りです」
浅い海の色なの! と可愛らしい声が言った瞳は、今や死んだ海のように濁り、視線は決して交差しない。
「フェリシア嬢との婚約は私にはあまりにも勿体のないお話です。お受け致しかねます」
硬い声が「人と約束がありますので下がらせていただいてもよろしいですか」と続けた。
手で扉を示すと、目の前の青年は丁寧に腰を折って扉へと歩いていく。
横目に見たその背中は、全てを拒絶しながらも計り知れない怒りを背負っているように見えた。
「サラ。サラ、いるかい?」
キースが去ってすぐ、続き間の扉に声をかけると、すんなり扉は開いて仏頂面の大人の女性が入ってくる。
高いヒールの靴音を響かせ憤然と歩いてくるその姿に、魔王は問いかけた。
「あれはどういうことかな?」
「私が知るわけないでしょ」
子供の姿ならば可愛らしい膨れっ面だが、人間の姿をとったサラは年相応の大人の女性そのものの姿で、ほっそりとした頬を膨らませている。
「私がどれだけ苦労したと思ってるのかしら。大使殿は。魔王様の説得はほんとに気持ち悪くてしつっこくて面倒だったのに! やっと腹を括らせたかって安心していたのに、まさか断るなんて!」
怒りの矛先は私か、と。
魔王はこっそりと天井を仰いだ。
憤然と歩いているのはこちらも同じだった。
廊下には長い絨毯が敷かれているから、靴音はしない。
険しい表情のキースから放たれた痛烈な舌打ちだけが、廊下に響いた。
フェリシアが来てくれた日、嬉しくて嬉しくて、嬉しすぎて浮かれていたキースは彼女をお茶会に招待した。
二人きりのお茶会だ。浮かれていなければ絶対にしなかっただろう。少なくとも魔族の方々を招いての、という形をとれば良かったと激しく後悔しているがもう遅い。
『女性を寄せ付けなかった末の王子殿下に、遂に恋の予感! そのお相手はなんと魔王様がお連れになった人魚のご令嬢!』
との噂が城中を駆け巡り、キースの迂闊さのせいで、フェリシアは今や一躍時の人となってしまったのだ。
王城にはいくつもお茶会や会合に開放されている談話室があるが、廊下から続く小さな部屋には扉がない。
使用する際には、衝立を用いて廊下からの視線を遮るのだ。当然中の会話は耳をそばだてれば聞こえてしまうが、足を止めて盗み聞くような不届き者はいない。
しかしあの日。フェリシアとのお茶会がすっかり噂の種となった日。
この談話室から聞こえてきた会話を思い出して、キースは血の気が引くほど強く拳を握りしめた。
※
「どうして女性を避けられるのかしらと思っていたけれど、人ではなく動物趣味だとか?」
「だからどなたとも親しくなろうとなさらないのね」
「それでも、獣でないだけマシかしら。人魚なら上半身は人間だものね」
「ですけど、下半身は魚でしょう? ドレスだって一人では着られないのではなくて? あらあら、お付きの女官達の苦労が今から目に浮かぶわ」
品よく転がされた笑い声に、胃がひっくり返るのではないかと思うほどの不快感に襲われる。
いつもなら無視して通り過ぎてしまうが、この時のキースは冷静ではいられなかった。
わざと足音を立てて部屋へと入る。
その無礼な振る舞いに眉を寄せて振り返った令嬢方は、キースを見てほんの僅かに『まずい』と顔に出した。
しかしそれもすぐに消して、嫣然と微笑んで見せる。
その目が言っている。
貴方にわたくし達を罰する力がお有りなのかしら、と。
「これは、キース殿下。お珍しいこと。何かわたくし達に御用でも?」
それは事実だ。どれだけ腹立たしくとも、この女に対してキースにできることは少ない。
当たり前の事実を心に刻んで、この場にいる者全員に順番に視線を移す。全てが目を逸らさないわけではない。数人は慌てて視線を逃したのだから、彼女らもご苦労なことだと、むしろ冷静になれた。
「いいえ。何も。ただ……耳障りな虫の鳴声がしたもので。──失礼する」
冷たく言って、さっさと背を向け談話室を後にしたキースの背中に、憤慨する声はわざとらしく大きく、刺さった。
「田舎者の息子がなんという口を聞くのかしら」
「まったくだわ。王太子殿下や弟殿下とは大違い。本当に陛下の御子であるかも疑わしいわ」
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