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「『こ……こっち、来なさい』」


 手招きを交えてゴードンが口にしたのは魔族語だった。

 人魚は目を大きく見開いて慌てて近づいて来て、少し怯えつつゴードンを見上げている。


「『俺は魔族語は、下手だ。許して欲しい。──この人は、俺の大切な人だ。危ない目には、遭わせたくない。だから君を、怒った。でも君は、謝ってくれた、だろう。だから俺はもう、怒ってない。怒って、すまなかった。許して欲しい。………………この顔は、生まれつき、だ。これも、許して欲しい』」


 辿々しく言われた魔族語だが、人魚は真剣そのものの顔で聞き、首が折れるのではと思うほど大きく上下して言った。


「『わたしのこと、許してくれる?』」


 ゴードンも真剣な眼差しで頷いた。


「『許す。俺も、剣を抜いたことを、許して欲しい。怖かっただろう。すまなかった』」


 剣を人魚からわずかに遠ざけて、ゴードンは頭を下げた。これには人魚は首を左右に振ったが、その直後、目を輝かせて早口で言い募ったのだ。


「──! ──、──? ──!!」

「なっ……は、早すぎてなんと言っているか分からないぞ! 落ち着いて喋りなさい!」


 ゴードンは困ったように注意したが、人魚は聞いていない。

 どうやら彼女は興奮すると早口になるらしい。こうなるともう何を言ってるのかはあまり聞き取れない。

 仕方ないので単語をいくつか記憶するかと思ったが──それにしても、だ。


 キースは目を、キラキラと輝く表情で話し続ける人魚から困り果てた表情の堅物な友人へと移動させた。


「……お前はいつもそうだ」


「で、殿下……? なんですか、急に」


 唐突な苦情にゴードンは慌てるが、キースはふてくされて言った。


「どうして強面のお前ばかりがそう懐かれるんだ」


「ですから、なんの話で……」


 キースが同意を求めて残る友人を仰ぎ見ると、ライルも大きく頷いた。


「あの時の怪我をした小鳥も三人で世話をしていましたのに、一番にゴードン殿に懐きましたからねぇ……」


 三人で池の中へと視線を向ければ、少女はあの日の小鳥のように完全に心を許した目でゴードンを見ている。


「野生生物は正直な人間によく懐くのでしょうかね……」


「野生生物は止めろ。それを言うなら可愛らしい生き物は、だ」


「それもどうかと……しかし揺れる尾びれはまるで子猫の尻尾みたいですねぇ。そういえば猫もゴードン殿にはよく懐いていましたね」


「それをいうなら子犬の尾だろう。嬉しい時によく振っている姿は可愛らしい子犬みたいだ。……ゴードンの屋敷には可愛らしい子犬も多くいたなぁ……」


 二人の掛け合いに、ついにゴードンが声を張り上げた。


「──どちらも失礼だろう、二人とも! 年若いご婦人が相手だというのに犬や猫にも例えるんじゃない!」


 たっぷり三秒待って、ゴードンはしまったとばかりに口元を手で押さえたがもう遅い。

 叱られたうちの一人、キースはみるみるうちに満面に喜色を浮かべ、残る一人のライルは呆れもあらわに苦情を言った。


「ゴードン殿……我々はもう十にも満たない少年ではないのですから……」


「お、俺だけが悪いのか!? お前だって楽しそうにキースと話していたじゃないか!」


「ゴードン! 今、僕の名前を呼んだか!? やっぱり、なし崩すならお前からだったなぁ」


「「殿下!!」」


 途端に二人分のお説教を食らったキースだが、その表情は嬉しそうで、二人もあまり強くは言えない。


 その心情を味方につけて、今後も名前で呼ぶよう畳みかけてやろうとして──キースはふと、人魚の少女はどうしただろうかと池に目を向けたのだ。


 そこにいたのはまさに猫だった。目をきらりと光らせて獲物を見定め、尻尾を振り──獲物に飛びつく前の、猫だった。


 しかしその獲物というのが、キースの手にあるクッキーだという少し間抜けな違いはあったが。


 彼女の中で恐らくは、ゴードンの許しを得たから『これ』は食べてもいいものだという図式が出来上がっていたのだろう。理解できない言葉の応酬に退屈していたというのもあっただろう。


 腰までをよいしょと水面から出し、細い首をするりと伸ばして──人魚は、油断しきっていたキースから、その手にあるクッキーを見事奪い取ることに成功したのだ。


「ん〜〜っ」


 さくさくと、人魚は至福に酔いしれている。


 もっとちょうだいとばかりに輝かせた目をキースへと向けたが、その瞳の中にある自らの顔面は──真っ赤だった。


 キースの頭の中にはひとつしかなかった。


 今、確実に、指先に。


 ──柔らかい唇が当たっ……。


「なっ、なな、な……なにをしているんだ、お前は!!!」


 同じく顔を真っ赤に染め上げたゴードンの怒りの声に、やっと我に返ったキースだった。


「お、お、男の手から食べ物を口にするなど……っ場末の酌取り娘でもあるまいに!! 以前から思っていたが、お前はもはや御転婆では足りんぞ! 慎みというものが足りなさ過ぎる!!」


 まるで娘が外で男といるところを見た父親のように、ゴードンは人魚を叱り付けた。

 その顔面が真っ赤なのは怒りと照れが同居しているらしい。


 そのあまりの形相に止めに入ろうとしたが、叱られている人魚はと言えば、至って神妙にお説教を聞いている。口元がもぐもぐと動いてはいるが……。

 その表情は、自分はまた何かいけないことをしたらしいなぁという、叱られ慣れている者の呑気な顔だった。


 悪戯っ気をおこして再度クッキーを手に取り差し出すと、人魚はまた目を輝かせて口で受け取った。


 むふふと頰に手を当てて咀嚼するのがなんとも可笑しい。

ありがとうございました。

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