13
与えられた部屋へと向かう最中も頭の中はふわふわと浮いたようだったが、不意に声をかけられた。
「大使殿。お顔が真っ赤ですが、お風邪でも召されましたか」
「うぇっ!?」
サラだった。
心配そうに眉を下げる妖精を前にして、キースはようやく我に返った。
「い、いえ……長い時間日に当たったからでしょう。体調に問題はありません。ご心配をお掛けして申し訳──」
また無意識に謝罪しようとして口を噤む。しかしそれには気付かなかったらしいサラは安心したように笑みを浮かべたのでこっそりと安堵した。
「今日はとても良いお天気でしたものね。お散歩はいかがでしたか。楽しんでいただけました?」
「ええ、それはもう……全てが目新しくて驚きの連続でした」
サラの大きな黒い瞳は悪戯めいた光を浮かべていて、ようやくふわふわした気持ちが引き締まる。そういえば、と手を打った。
「サラ殿の御母君からお預かりしたものがあるのですが、ここでお渡ししてもよろしいですか?」
「まぁ、母が? 大使殿にお使いをさせるなんて、なんと申し訳ないことを……」
と言いつつサラの頰はピクピクと痙攣し、どこか嬉しそうだ。妖精の村を訪ねればこうなると分かっていたらしい。ちゃっかりした妖精だ。
後ろからライルが進み出てサラの母から預かった布袋を両手で手渡すと、多少重かったそれを難なく受け取ったサラはとうとう我慢できないと笑み崩れた。
「母の作るピクルスが絶品なのですがここのところ実家に戻ることができなくて、寂しく思っていたのです。ああ、この甘酸っぱい香り! 早く丸かじりしたい!」
最後のは独り言だろう。宙に浮きながらビンを抱きしめてくるくると回る妖精を生暖かく見守っていると、しばらくしてハッと我に返ったらしいサラが誤魔化すように咳払いした。
「し……失礼しました。城の料理人はみんな当然料理上手ですが、私の舌には母の料理が一番合って……あっ、もちろん大使殿のお食事に出しては失礼になるような家庭の味ではあるのですけどね」
「失礼だなど、とんでもない」
大きく首を振って否定する。
キースも同じだった。城の料理人が作るご飯よりも何よりも、母親の作ってくれた料理が一番美味しかったのだ。
「是非食べさせていただきたい。私もピクルスは大好物です」
サラはこの言葉が社交辞令かどうか判断に迷ったようだった。
本当に家庭の味なんですよと念を押してくるのをわかっていると宥めている中で、ふと、ひとつ気になっていたことを思い出した。
「──とはどのような意味でしょう?」
これは先程の人魚の少女が去り際に口にした言葉だ。全てを聞き取れたわけではないが、あのキラキラとした瞳でなんと言っていたのかが少し気にかかっていたのだ。
変な人が話しかけて来たーとかいう悲鳴ではないとは思うが……。
尋ねられたサラは黒目の多い瞳をパチクリと瞬いた。
「誰かにそう、言われたのですか?」
やはり悪い言葉だったかと密かに身構えつつ「魔族の方々の間で話されていた言葉を聞き齧りまして」と誤魔化す。
もしも悪い言葉だったら彼女が叱られてしまうかもしれない。
しかしそんな心配は無用だった。
なるほどと納得したらしいサラはあっさりと教えてくれたのだ。
「それは別れの際の再会を望む挨拶ですよ。さようならではなくて……そうですね。またね、というような意味になります」
「…………そう、ですか……」
予想外の言葉にそれしか言えず、与えられた部屋へと送ってくれたサラは瓶を大事そうに抱えて早々に飛び去っていった。
部屋は全員が個室をもらっている。キースの部屋は、ライルとゴードンの部屋に挟まれた主賓室だ。
一人で使うには広すぎるその部屋は扉を開くとゆったりと寛げる居室になっていて、寝室へは居室から繋がるドアがあり、中は国の自室にも劣らない豪華な作りになっている。
一人で扉をくぐり、柔らかいソファに腰を下ろした。
ひと息ついた途端、顔から火が出たように熱くなって、全身から汗が噴き出した。誰もいないとわかっていても、赤面しているだろう顔面を手で覆う。
「またね……またねって……?」
たくさん話す中でその言葉を拾ったのは偶然だろうか。またねとはまさか、また明日ねという意味か?
もしも明日自分が行かなければ、彼女をがっかりさせてしまうのかなと思いつつ、明日また会えるかもしれないと思うと心臓が騒がしくなる。
時間にしてほんの数分、会話に至っては全くできていない人魚の少女の姿が頭の中を埋め尽くして、弾けるような輝かんばかりの笑顔がまぶたに焼き付いている。
「また、会えるのか……彼女に……」
呟いた言葉は誰にも聞かれることはなく、そこにどれほどの熱が込められていたかも誰にも知られることはなかった。
翌日、また散歩に出たいというキースの申し出に、サラは何も疑問を持たずに準備を整えてくれた。
走り抜ける馬車の樹上からハーピーが手を振り、横をケンタウロスが走る。ドライアドに妖精、スライムの住む森を通って、猫人達に会釈して、人魚の住む池へ。
今日も極上の煌めきを放つ水面が見えて、騒ぐ心臓を服の上から必死に抑えた。
輝いているのは青だけではなかった。
馬車のガタガタとした騒がしい音を聞きつけたのか、青い水面からポッカリと浮かぶ金色の何かがするりと振り返った。
途端、桜色の瞳は水面の輝きにも増して、キースを映した。
「タイシ!」
思わず転けそうになったキースだった。
バシャバシャと尾びれを振って再会を喜んでいるらしい人魚はどうやらキースの名前を間違えて認識してしまったらしい。
それは名前じゃないんだよという魔族語は分からないから、キースは池の淵に膝をつき、自らを指差して言った。
「こんにちは、人魚のお嬢さん。僕はキースだ。大使は役職だよ。キースが名前で──」
「タイシ、──。──?」
少女は、まったく聞いてくれていなかった。まるで「タイシ、あのね」とでも言っているようなはしゃいだ様子でしゃべり続けている。
「──、タイシ? ──、──」
「えっと、ごめんね。言葉はわからないんだけどとにかく僕の名前はタイシじゃなくて……」
「タイシタイシ! ──、──!? ──!」
「ああ、うん……聞いてくれてないね……」
瞳をこれでもかと輝かせて一生懸命に話す姿に苦笑して、まぁいいかとキースは諦めた。
この可愛らしい人魚に呼ばれるタイシという名が少し気に入ったのもある。
本格的に池の淵に腰を下ろして、笑顔で話し続ける少女を見下ろした。
「僕のことはタイシでいいけど、いつか君の名前は教えてもらいたいな」
ようやく声が届いたらしい少女が小首を傾げる仕草は可愛らしく微笑ましい。
人魚が一方的に話し、聞き役に徹すること数刻、楽しい時間はあっという間だった。
そろそろ城に戻りましょうとライルに促されて腰を上げた。
「タイシ、──?」
恐らくは帰るのかと聞かれたのだと判断して頷く。少し残念そうな表情になった人魚は一転して笑顔で手を大きく振った。
「『またね』、タイシ!」
期待に満ちた目で見つめられて、心臓が跳ねる。
人間の言葉は分からないはずなのに、こちらの反応を待つ人魚に、気が付いたら言っていた。
「うん。またね」
小さく手を振ると人魚はさらに目を輝かせて嬉しそうに更に大きく手を振る。
この日から、キースの日課に魔王城の散歩が加わった。
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