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獣人族の中の猫人の村の族長は、山猫のように鋭く長い耳と斑点のある毛皮が美しく凛々しい美丈夫だった。二本足で立つ猫の、美丈夫だ。
しばらく歓談したのちに、雄々しい見た目とは裏腹な丁寧な口調で猫人の族長が言った。
「この先の、道を少し外れた辺りに広い池があるのですが、運が良ければ人魚達の美しい歌声を聞くことが出来るのですよ」
人魚とはお伽話にも登場する、キースにも親しみ深い種族だった。
人魚の涙は真珠であるといった神秘的な話もあれば、その歌声を聴いたものは魅了されて海で溺れ死ぬというホラーめいた話もあるが、人間に伝わる魔族達に関する伝承のほとんどは迷信であると魔王様からすでに聞いていた。
それが本当かはさておき、すっかり魔族達に魅せられていたキースは声を弾ませたのだ。
「それは是非聞かせていただかなくては!」
猫人の族長に教えてもらった池への道はまたしても酷い悪路ではあったが、ワクワクと胸を弾ませていたキースにはなんの障害にもならない。
木々の隙間から挿す木漏れ日を映す水面の煌めきが見えると胸が躍ったが、残念なことに人魚の姿はなかった。
馬車から降りて水面を覗き込んでも深い青が広がるばかりだ。人魚達は深い海の底に住んでいるというし、声をかけたところで聞こえそうにもない。
「残念だが、人魚の歌声はまた次回の楽しみにして、少し休憩しようか」
近習達を振り返ってそう言うと、数人が頷き、馬を馬車から外した。
池へと連れて行って水を飲ませる気のようだが、海につながる池の水は果たして淡水だろうか?
気になって再び池へと顔を向けて──キースは眼を見張った。
青しかなかった池の水面に、眩いばかりの金色が浮かんでいる。ぬけるように白い額の下にある大きな丸い桜色の瞳がキラキラと輝いてキースを映していた。
「──人魚だ」
感動に声を震わせながら、池へと近づき膝を付く。そして今日初めて、キースは自分から魔族の少女に話しかけていた。
「こんにちは。人魚のお嬢さん。僕は人間のキースだ。人魚の歌声はとても素晴らしいと猫人の族長殿から聞いて来たんだけど、もし良ければ一曲聞かせてもらえないかな?」
しかし人魚はパチクリと目を瞬かせるだけで、歌どころか答えてすらくれない。
「えっと……駄目、かな……?」
もしかして、初対面で歌を聞きたいと言うのは失礼にあたることだったかと内心少し焦る。
そんなキースの心を知ってか知らずか、少女はするすると泳ぎ寄ってきて、肩より上を水面から出し、桜色の鱗が散る細い首を可愛らしく傾げて口を開いた。
「────」
大変だ。何と言っているのか、わからない。
これまで出会った魔族の人達は練度に差はあってもみんな人間の言葉を話してくれていたが、ちょっと困ったように微笑むこの人魚の少女は人間の言葉が分からないらしい。
そもそもキース達は魔族が自分達と違う言葉を操ることを、この国に来るまで知らなかった。魔王が流暢に人間の言葉を使うからまさか言葉が違うとは思いもよらなかったのだが、この数日で困ることは一度もなかった。
人魚の住む池は本来の散歩道から外れたところにあったのだから、それも無理のない話だと納得しつつ、こちらの返事を待つ彼女には申し訳ないことをしてしまったとひどく焦ったが、長年の習慣でなんとかその心を隠してキースは笑顔を返した。
「失礼しました。僕は数日前から魔王城に人と魔族の友好大使として滞在しているキースと言います。ええっと……次は通訳の人を連れてくるから、その……今日は失礼します、ね……?」
突然話しかけて来た男が何を言ったか分からないうちに去ってしまうというのは、魔族のみならず人間にとっても失礼な話だ。
変な人間に声をかけられたなどと不気味に思われたりはしないだろうかと心配になるキースに、人魚の少女は「タイシ?」と可愛らしく問いかけて来た。
「うん、そうだよ。大使として魔王城に──」
無意識に頷き、言葉を繰り返そうとして、息を呑んだ。
桜色の瞳は水面の煌めきにも勝る輝きを称え、頬は生き生きと薔薇色に染まって、人魚は顔中に喜びを表していたのだ。
「──、────! ──、タイシ! ────!」
思わず見惚れたキースを置いて、何かを捲し立てた少女は手を大きく振ると、するりと身を翻してあっという間に池の底へと潜って行ってしまった。
力が抜けて、どさりとその場で尻餅をついたキースに近習達が慌てて駆け寄り口々に声をかけてくるが、答える余裕などなかった。
煩く騒ぐ心臓が痛くて、頰が焼けるように熱い。
どうやって魔王城に戻ったかすら分からないほどだったのだから、それはそれは重症だった。
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