第七話 怪物ジャガー・ロード
シャルロットはコハクに連れられて無事に、重鎮達が居る部屋に着いた。初めての殺しの場を見て、気持ち悪くなる彼女だが、これでも帝王の娘だ。それを耐えて、心を落ち着かせ冷静に重鎮達に、指示を出していた。
「ご無理をなさらないで下さい。姫様」
指示をしている彼女に、そう声を掛けた人物が居た。近衛騎士のシード・リーバリオンだ。彼は王女が無理をしているのではないかと心配をしていた。それは侍女であるメルティアも同じで、シャルロットの事を見ていた。
「大丈夫です。皆さんが頑張っているのに、私だけが休めません」
そこにコハクが知っている、あの無邪気な女の子は居なく、正しくこの国に相応しい姫であった。その姿にコハクは凄いと驚く。
「レジアスさん。新たな敵兵が来ます。残りの兵士で動きを止められますか?」
「はっ‼︎ 可能で御座います姫様」
「では、向かわせてください」
レジアスと呼ばれた重鎮は、恭しく頭を下げた後、急ぎ足で部屋から出て行き、シャルロットの言った通りにその命令を遂行した。彼女が見ているのは魔具の『遠見水晶』だ。遠くにある光景を見る、この魔具で彼女は逐一戦況を確かめていた。戦況を見て思った事は、勝ち目がないと言う答えだった。相手の方が数が多く、それに彼方側には最強の暗殺者達が居る。
それに加え、此方の戦力は少数だ。そんな中で最も強力な手札であるルドルフが何処に居るか分からないと来た。追い込まれている状態にある。彼女はアルバートに教えて貰った知恵で、思考する。如何すれば良いのか。如何すれば勝利出来るのか。
「くっ⁉︎ こんな時に貴様の相方は何処に居るっ‼︎」
「あ、ははは。何処に居るんでしょう」
思考するシャルロットの後ろで苛立ちを隠せずに、コハクに向かって声を荒げた。対する彼は苦笑いでしか答えられない。何故なら、自分でもあの人が何処に居るか分からないからだ。とは言っても、大体の場所は検討が付いていた。先程、轟音が奔り半分の林が消滅した。恐らくマークは、あそこに居るのだろう。あのような芸当を簡単に行う存在は、彼しか居ないのだから。だが、それを言った所で今は如何にもならない。それに。
(マークさんも、戦ってるみたいだからなぁ)
あの一撃で分かったが、現在進行形でマークは戦っていると分かる。あの人を相手にまだ、敵が平気だと思うと驚きしかないが、すぐにただ遊んでいるのだろうと予想出来た。
(マークさんの事だから、如何せ相手の何処かを気に入って、遊んでるんだろうなぁ)
そんな姿が手に取るように思い浮かぶ。伊達に濃い時間を過ごした訳ではない。何故かマークと出会った頃や、今までの出来事を振り返って眼から汗が流れるが気にしない。決して涙ではない。
「やはり、あの男は信用出来ないっ」
言葉を濁すコハクに、舌打ちを鳴らす近衛騎士。申し訳なさで一杯の彼は頭を下げた。それを見たシードだが、何も言わずに不機嫌そうに顔を逸らす。
「マークさん恨みますよ」
何処ぞで戦う青年に、コハクは涙目を浮かべて小さく呟いた。とばっちりである。
「これは………マズイですね」
すると、『遠見水晶』を見ていたシャルロットが口を開いた。気になったコハクは、水晶を覗き込んでみる。と、兵士が敵兵に押されていた。それは当たり前の光景である。敵兵には多くの名の知れた兵がおり士気を上げているのに対して、此方は優秀な兵達が寝返り、果てには帝国最強の戦士まで居ない。その事に味方の兵は、如何考えたのか。それは『もしかしたら、ルドルフ将軍も彼方側に居るのではないか?』と。あながち間違いではないが故に、士気が落ちてしまっている。
戦いという物は、気持ちの問題で戦況を大きく変える要因があるのだ。自分達の敗北が分かって尚、気持ちが高ぶる訳がない。女であるシャルロットには、如何しても解決法が分からなかった。いや、あるにはある。見せつければ良い。此方側にも強力な戦力が居る事を。しかし、それも難しいと理解している。ならば、如何するか? 思考を巡らすシャルロットは、そこで爆音を聞いた。
「っ⁉︎ これは………っ⁉︎」
バッと水晶を覗き見て絶句する。『遠見水晶』には、怪物が映っていた。大きな巨躯を誇る怪物が、自分達の兵士を蹂躙していたのだ。雄叫びを上げれば爆音が響いて、周りの兵士を吹き飛ばす。腕を振るえば塵のように兵士が飛んでいく。徐々にシャルロットが居る方向にへと、重くそれでいて力強く近付いていく。暴力の化身と化した存在が、兵士達を叩き潰しながら、ゆっくりとした動作で進む。その怪物の瞳を見たシャルロットは、悪寒が奔った。
(ーーーーッッッ⁉︎ まさか、私を狙っているのですか⁉︎)
確証はない。しかし、怪物の視線はシャルロットを、いや彼女が居る場所を見ているのだ。鋭い眼光で。自分を何の為に狙うかは、予想が付く。
(私を亡き者にして、完全に士気を落とすつもりなのでしょう)
というより、それしかなかった。士気は無いと言っても、それはまだ戦える範囲内だ。が、もしもここで王女が殺されれば如何なるか? 分かり切っている。唯一の残り少ない士気の象徴である彼女が殺されれば、一気に瓦解するのは眼に見えている。あの怪物は、それを狙ってきたのだ。如何すれば良い。焦るシャルロットの肩に手が置かれた。
「え? …………コハクさん」
「シャルロットさんは、ここに居て下さい。僕が行きます」
「戦うと言うのですかっ⁉︎」
「はい」
事もなげに、まるで散歩でも行く気軽さでコハクは笑顔で頷いた。
「大丈夫です。伊達に幾つも修羅場を潜ってません」
笑みを絶やさずに言うコハクに、シャルロットは何も言えない。此方は護られる立場なのだ。
「お気を付けて」
「はい‼︎」
鎮痛そうな表情で、シャルロットは言う。それにコハクは、返事を返して、部屋から飛び出た。目指す先は暴れ狂う怪物の所。人形師相手に【転身】を使った影響で、今のコンディションは下の下だ。所謂、最悪である。だが、その程度で護衛を投げ出す事はしない。最悪? 良いではないか。最悪の状況など、あの青年と出会った時に何度も腐る程に経験した事がある。
魔力が空になった絶体絶命の時、龍に追いかけられた事。三日三晩何も食わずに、樹海を歩いた事。四方八方に万を超える魔物に囲まれた事。思い出せば切りが無い最悪な状況。それらに比べれば、少し疲弊した程度では最悪になりはしない。コハクは笑う。これならば、この程度の状況など何度も切り抜けたのだ。懐から札を数枚取り出す。眼を瞑り、残り少ない魔力を無駄なく込めて行く。完璧な魔力操作。本来なら驚くべき事だが、コハクは胸を張らない。あの青年と共に居れば、簡単に出来る芸当なのだから。
そして札を投げた。己を鼓舞するかのように叫びながら。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ‼︎」
指で印を結び、振り払う。投げられた札が、同調するかの如く光り輝き、分裂を繰り返して数百の数を誇る光の棘になって怪物めがけて飛来した。怪物の周りに居た敵兵を含めた符術は、容赦無く敵を刺し貫く。しかし、
「やっぱりね」
「…………」
怪物が無傷の状態で静かに立っていた。無駄だと直感で分かっていたコハクは、それ程驚きがない。それよりも、怪物に自分を見せる事に成功した。ここからが本番だ。札を出して背後に数十の札を投げた。と、同時に魔力を込めて符術を発動する。自分が作った強力の符術だ。投げられた札は空中で止まると、燐光を出して線を引く。線が札と繋がり、また線を出す。全ての札が線で繋がって一つの陣が出来上がった。
「これは、如何ですか‼︎」
生半可な攻撃では、怪物に傷が付けられない。ならば、最大火力を何度もお見舞いすれば良い。札によって構成された陣が閃光を迸らせる。自分が持ち得る中で火力が高い符術。
「放てっ‼︎」
「………ッッッ」
符術『札陣の煌き』を発動。構成された陣から幾重ものレーザーが放たれる。その威力に怪物も瞬時に理解したのか、防御の姿勢をとった。全てのレーザーが殺到して、爆音を、破砕音を響かせる。それでも止めるつもりはない。休む事なくレーザーを叩き込み続ける。減り続ける魔力に、顔を歪める。が、終わらせない。響き続ける爆音が轟く。それが数分間、続いて終わった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息が荒くなる。脱力感が全身を襲った。このまま、倒れてしまいたい。だが、そんな事は許されない。今は戦闘中なのだ。レーザーによって巻き上げられた煙を睨み付けた。そして姿を現す。火傷のような小さな傷を付けた怪物が。
「………驚いた。オレ、傷を付けられたの初めて」
怪物が、ここで初めて口を開いた。重音に等しい言葉がコハクを襲う。ただ在るだけで、押し潰されそうな圧力があった。巨岩のような体を動かす。
「………お前、凄い」
驚きと賞賛の声を上げる。仲間以外に傷を付けられたのは初めての事だった。怪物の強靭な肉体は、鉄すら弾き、魔法さえ物ともしない。
「はは、それはありがとうございます。ですけど、僕は貴方より頑丈な人を知っていますよ」
頑丈というより、理不尽の塊を。あの人に傷を付けられる存在は居るのだろうか。全くもって不明だ。それ程までの理解不能。疲れを見せずに、余裕だと言う風に笑う。
「………強がりは、辞めろ。お前、満身創痍」
だが、怪物は見抜いていた。コハクが精神的に余裕がない事を。これが怪物の恐ろしい所だ。驚異的にまでの洞察力。ただ暴力を振るうだけではなく、時には弱点を見付け、相手の力量を測る。ただの暴力の化身にはならない。暴力的な力を持つ知的の怪物。それがジャガー・ロードだ。
「………今度は、オレの番」
「ーーーーーくっ⁉︎」
その言葉と同時に地面を踏み砕いた。巨躯に似合わず、凄まじい速度で近付く怪物に、コハクは顔に焦りの色を見せて、すぐさま後退しようとする。が、疲労感からか、後退するのが間に合わず、怪物の一撃が襲った。全身を揺さぶるのは、尋常ならざる衝撃。血を口から吐き、ゴミのように中を舞った。
「………まだ、終わりじゃない」
頭上に舞うコハクを視界に収めて、右手を握り締める。すると、魔法陣が展開され、右腕を通った。使う魔法は、ただの強化魔法。しかし、最初から暴力的な力が強化されれば、それだけで強力だ。ギリッと握り込んだ拳を、落ちてくる彼に合わせて解き放った。音が消えた。余りの威力に、拳の音が鳴らない。シーンと異常な程の無音が辺りに流れた。そしてーーー
「ぐっーーーーーッッッ⁉︎」
コハクに拳が当たった瞬間ーーー音が戻った。ドゴォォォォォンンンッッッと、想像を絶する音が耳朶に響いた。骨を何本も折り、より高くコハクを頭上に飛ばした。そして、また拳を曲げて落ちてくる少年に狙いを定める。朦朧とする意識の中、彼は反射的に逃げる為ようの符術を発動する。コハクの全身が光に覆われると、姿を消して、遠く離れた場所に移動する。怪物と戦う前に、彼は札から札に転移する符術を設置していた。
少年が消えた事に驚かず、移動したであろう場所に鋭い眼光を向けた。そこには、息も絶え絶えで、立つのがやっとなコハクが居た。それでも眼の色は死んでいない。
「はぁ……はぁ……はぁ……【転身】」
荒い息を吐きながらコハクは奥の手を使った。変わる。彼の姿が、人から獣のソレにへと変化した。それは神狼フェンリルの眷属。最速にして神すら殺す絶対の牙を持つ獣。白銀の狼となったコハクは、覚束ない足取りながら、腰を低くして、地面すれすれで構えた。次の瞬間ーーー走った。一瞬にして最速に入り、怪物ジャガー・ロードに迫る。その速度は、怪物でも見えない。懐に潜り込むと、両手に魔力を集めた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ‼︎」
そして裂帛の気合いと共に、掌底を叩き込めたと同時に、集めた魔力を爆発させた。魔力爆発により、威力が増した掌底がジャガーの体に殺到する。止めるな。動け。相手が動かなくなるまで、動きを止めるな。辺りを奔る暴風がジャガーの体を回りながら襲う。コハクの姿を周りは見る事が出来ない。速すぎて風としか認識していない。限界まで全身を駆使して過去最強の一撃を放ち続ける。限界? 動きたくない? 立つ事すらも億劫? それが如何した。
ここで動けなくなれば、敗北は確定。すぐさま王女は殺され、それにより残り少ない士気もガタ落ちになれば、結末は馬鹿でも分かる。故に動きを止める事は許されない。自分がやられても後ろにはマークが居る。彼ならば、このような状況など鼻で笑って意図も簡単に脱出出来るだろう。だが、彼には頼れない。あの人は良い言い方をすれば、興味を持てばどんな事でもやってくれる。が、悪い言い方をすれば興味ある物以外は本当に無頓着なのだ。故に彼が常に助けてくれるとは考えずらい。
ここは自分が何とかしなくてはいけないのだ。だからこそ、力を込める。後先の事は考えない。今の状況を何とかしなければ、先など訪れる事は無いのだから。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーッッッ」
喉が潰れんばかりに叫び、息をするのすら辞めて一心不乱に手足を動かす。過度な無呼吸運動に心臓が張り裂けそうに高鳴るが関係ない。ジャガーの強靭な体が、遂に傷付き始めた。そこを勝機と見たのか、一層に力を込めて全力の符術を行使する。発動するは『符陣爆』。所々に貼られた札が連動するかの如く大爆発を齎す。それは傷付いた場所を、集中的に狙った。巻き起こる爆音と、それに生じる衝撃波。土煙が巻き上げられ、尚も止まらぬ爆発。
連鎖的に起きる爆発に、差しもの怪物も苦痛に顔を歪めた。流石に傷がある所に集中放火をされて耐えられる訳がない。この好機は見逃さない。蒼の瞳を鋭くさせ、驚異的な身体能力で掌底を叩き込む。だが、その一撃は虚しくも届きはしなかった。
「ウォォォォォォォォォォォォォッ‼︎」
腹の底から震撼するような雄叫び。それが轟いたと同時に、コハクの体は後方に吹き飛んだ。
「がっ………⁉︎」
行き成り吹き飛ばされ、地面に激突して苦悶の声を上げる。そして止めていた呼吸を戻し、欲していた空気を吸い始めた。忘れてたかのようにドッと汗が勢い良く流れ出し、服を濡らした。痙攣する全身を気合いで抑え込み、目の前に視線を向ける。そこには、全身を傷だらけになったジャガーが、悠然と立っていた。
「………お前、やるな」
ジャガーが口を開く。
「ここまで、やるとは思わなかった」
本当にここまで出来るとは思いもしなかった。ジャガーはコハクの力に見切りを付けた。だが、戦った結果はコレだ。こんなに傷を付けられたのは、本当に久しぶりの事だ。
「だから、一瞬で終わらせる」
故に怪物は、全身を震わせた。手負いの者ほど何をするか分からない。だからこそ、今上手く動けない所を全力で叩き潰す。足元に魔法陣が浮かび上がり、上に浮かんでいき、全身を魔法陣が通る。そして呟く。
「ーーー『暴虐の戦場』」
怪物が怪物足らしめる魔法の力。それがこの固有魔法だ。己の魔法名を唱えた瞬間。ジャガーの体に異変が起きた。ドス黒い痣のようなモノが全身に広がり、怪物を包み込んで行く。それは暴力の体現。何者にも寄せ付けない圧倒的な暴力を振るう魔法だ。怪物の全身だけではなく、周りの領域も異変が起きた。荒れ果てた大地。周りに居た兵士達は居なく、怪物とコハクだけが、その大地に立っている。まるで、戦場のような荒れ果て廃れた大地をコハクは見渡した。
「………こ、ここは?」
「ここは、オレの結界内」
自分の暴力に耐え得る領域。それがこの領域結界。ここでなら、全力で己の固有魔法が使えるのだから。説明は終わりとばかりにジャガーは、自分の右手を頭上に掲げる。すると、痣のようなドス黒いモノが手に集中していき、一つの巨大な大剣を形作った。その大剣を無造作に頭上から振り下ろした。
ーーー轟ッ‼︎
「………うっ⁉︎」
突如、襲うのは大剣から発生した風圧だった。そんな風圧が、コハクの体を浮かし、宙に舞わせた。それにジャガーは、異常な速度で肉薄し、大剣を横に振るった。暴力的に振るわれた大剣をコハクは、辛うじて防御の符術で防ぐ。が、容易く砕かれ後ろに吹き飛び転がった。ジャガーの使った固有魔法の効果は三つしかない。一つは全身の超強化、そして自身に合わせて変化するドス黒い痣。最後にこの結界である。己の暴力を余す事なく行使できる結界。
戦場を彷彿させるソレは、間違いなく怪物ジャガーの領域である。だが、それを見て尚もコハクは笑ってしまう。余りに虚しい。ジャガーの暴力を見て、それでも彼は思う。
「確かに凄い。貴方の暴力は」
だが、ただそれだけ。コハクにとって、ジャガーの暴力は凄いだけに過ぎない。
「だけど僕は貴方以上の暴力を知ってるよ」
だからこそ、挑発気味にそう口にした。自分は知っていると。余りに理不尽で、規格外で、出鱈目で、理解不能な暴力の塊を。
「………ふんっ」
それに何も返さず、怪物は深く踏み込み、大剣を横一閃に振るった。馬鹿げた威力を伴った一撃が迫り来るも、コハクはそれをフラフラながら、腰を落として躱し、ジャガーの腹部に拳打を突き立てた。魔力強化もしない、打撃だが怪物はよろける。そんな隙を見逃さず、札を二枚取り出し、前方に放り投げ、そしてーーー
「くら、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ‼︎」
投げた札に握った拳を突き入れた。拳に二枚の札が貼られ、魔力が解き放たれる。放つは符術『滅砕撃』。自分が持ち得る体術系最強の符術だ。魔力スパークを放ちながら脇腹に拳が突き刺さる。肉を壊す感触が伝う。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「…………ぬぅっ⁉︎」
力を込めるコハクと、耐えるジャガー。バリバリバリと魔力スパークを起こしながら、力強く踏み込むコハク。だが、すぐに終わりを迎えた。
「お前、強かった」
そんな声が上から聞こえた気がした。と、同時に。
「ーーーーーぐふっ」
全身を揺さぶる衝撃と、浮遊感。そして地面との衝突。ドサッと音を鳴らし、コハクは離れた場所に吹き飛ばされていた。全身から血が滴り落ちる。口から血が吐血される。もう満身創痍だ。立とうにも、力が入らず立てない。怪物がゆっくりと近付いてくる。何とかしなければいけないのに、何も出来ない。もう駄目なのか。コハクの脳裏に敗北の二文字が浮かんだ。その時、コハクは歯を食いしばって立ち上がった。
敗北? それは許される物ではない。こんな形で、敗北など自分は認めない。震える手を気合いで抑え込み、笑う膝を踏ん張って押さえ付ける。
「あな、たみたいな犯罪者には負けられない」
視界がボヤける。気を抜けば、体が崩れ落ちそうだ。しかし、それでも彼は立った。懐に手を入れて、取り出すのは札だ。が、何時もの札とは何か違っていた。綺麗な銀の札。これはコハクの造った符術の中でも破格な代物。余りに強過ぎて、反動が大きい為に使えなかったモノ。だが、それが如何した。ここで死ぬかも知れないなら、僅かに生きる可能性があるなら、使いたい。
銀の札を胸に貼った。もう魔力は枯渇寸前。が、関係ない。コハクは全ての魔力を込めた。そして口にする。符術を発動する為の一言を。
「ーーー『完全解放』」
瞬間ーーー銀の光に包み込まれた。ソレは未完全なコハクの【転身】を完全にする為の符術。コハクの銀狼族は、彼の有名な神狼フェンリルの眷属だ。彼等の一族や、獣人達は何%かの確率で、そんな偉大な存在の【転身】が可能になる。だが、コハクは思っていた。何故、彼の眷属であるモノに【転身】して未だに二足歩行で立つのか、獣人だった時の面影があるのか。先祖は完全な獣であった筈なのに。
そこでコハクは【転身】が不完全なモノだと判断して、ソレを完全なモノにする符術を開発したのだ。それがこの『完全解放』。獣人の姿から、完全に解き放たれ真の【転身】を成す力。バキバキと全身から音を鳴らし、姿を変えていく。牙がより鋭利に尖っていき、蒼の瞳が一層に澄んだ色になる。そして手や足も変わり、二足歩行から四足歩行に変わる。銀の光が止んだ時、そこには一人の、いや一匹の銀狼が居た。
「………それは、なんだ」
変化を黙って見ていた怪物は、眼を見開いて口を開く。目の前の銀狼から感じる力の波動が馬鹿げている。魔力が枯渇寸前の筈だった。なのに関わらず、感じ取るのは膨大な魔力だ。渦巻く巨大な魔力の奔流に、ジャガーは気付かぬ内に戦闘態勢を取っていた。そして銀狼と化した彼は、その場で体を低くさせると、全身を弾いた。
「ーーーーーッ」
その時にはジャガーの左腕が消えていた。切断された箇所は、やっと斬られた事に気付いたのか鮮血を噴き出した。何が起きた。直感的に視線を横に投げたジャガーは、驚愕した。何時の間にか銀狼が、遠く離れた場所に居り、その口には自分の腕が咥えられていたのだから。次いで咥えた腕を離し、再度銀狼は全身を落として、体を弾かせる。瞬間には、目の前には居なく横に移動していた。
「…………ふんっ‼︎」
だが、そこは怪物。視認は出来ずとも反応は出来た。黒の大剣を上段から振り下ろし、飛び掛かる銀狼に接触した。しかし、大剣は脆くも鋭い爪により破砕される。と、同時に蒼の双眸が煌めいた。その次の瞬間ーーー辺りは氷に包まれる。
「これ、は………⁉︎」
突然の景色の変化に戸惑いを浮かべながら、後退をしようと足を動かすが、まるで地面に縫えつけられたかのように両足が動かない。気になったジャガーは、視線を自分の足に投げて硬直する。ジャガーの両足は氷の氷像と化していた。如何なっている。そう疑問を感じた怪物に、答えが前方から返ってきた。
『………神狼フェンリルは、氷結の力を操るらしい。なら、そんな存在の眷属である僕も使えるのは当たり前です』
銀狼に成って初めて口を開いたコハクだ。フェンリルは、絶対に癒える事の無い傷を付け、圧倒的な速度で動くと言われ、最後には氷結の力を宿していたと謳われていた。ならば、眷属であるコハクも使えるのは道理と怪物に答える。
『さぁ、そろそろ終わりにしましょう。この変化にはまだ慣れてなくて、凄く疲れますから』
そしてこれが最後の攻防と告げて、魔力を解き放った。白銀の魔力が周りを覆い、パキパキと地面を凍らせていく。その気迫と眼光に、本当に終わらせるつもりだと理解した怪物も、砕かれた大剣を造り直し、全身から覇気を漲らせた。ここは全力全開でやらなければ、殺られる。そんな確信がジャガーにはあった。それ程までに強大な力の波動が、此方に向けられている。冷気が銀狼となったコハクを覆い尽くす。黒の大剣にドス黒い覇気が纏われる。
これで恐らくは最後の攻防なのだろう。お互いがお互い、最強の一撃を放つ。負けるつもりはない。蒼の双眸を向けて、コハクは睨み付ける。そしてーーー
「ーーーーーッ‼︎」
「…………ッ‼︎」
一人と一匹は同時に前に出た。結界を震わせながら、ドス黒い覇気を纏わせた一撃を、上段から振り下ろす。周りを氷の大地に変えながら、口から氷結させる咆哮を放った。大剣と白銀の息吹が衝突して、せめぎ合う。だが、それも一瞬の事。大剣が氷像に変わり、息吹がジャガーを襲った。次の瞬間ーーーパキンッ‼︎ と空気が凍る音を響かせ、怪物ジャガー・ロードの体が氷と化した。そして氷に罅が入り、崩壊する。
「……くっはぁ‼︎……はぁ‼︎……はぁ‼︎……」
それを見届けた少年は、銀狼から人の姿に戻り倒れこんだ。と、同時に所有者が居なくなった結界が砕け、現実世界に戻る。彼は立つ事すら出来ずに、その場に倒れる。
「はぁ……はぁ……やった、倒した。やりましたよ」
倒れながら、空を見上げコハクは呟いた。だが、戦いの喧騒に紛れて虚しく木霊するだけだった。こうして一つの戦いは終わりを迎えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
人工林。その半分が消滅している林の中で、一人の青年が、膝を付いている異形となった男性の前に立っていた。青年は傷らしい傷が付いておらず、逆に男性の方は傷だらけである。
「如何した? もう終わりか」
膝を付く男性に青年ーーーマークは首を傾げながら口を開いた。それに対しての男性ーーールドルフの返答は、地面から紅き魔剣を突き出すので答えた。が、それもマークが腕を振るうだけで粉々に砕かれる。しかし、それはこれまでの戦いで分かっていたのか、突き出した時にはもう後ろに回り込んでいた。そして手から出した魔剣を、首筋に向けて一閃する。
「………おっと」
だが、それすらも彼には傷が付けられず、簡単に避けられてしまった。とはいえ、まだ諦めきれず、マークを追い掛けて魔剣を振るうルドルフだ。それを避けながら、マークは戦いに飽きが来ていた。さっきと同じ展開ばかりでつまらないのだ。そろそろ終わらせるかと、思うマークだが、何故かルドルフから違和感を感じて終わらせるにな至っていない。その違和感を探しながら、魔剣の斬撃を避け続ける。
(ん〜? 何だろうな、この違和感)
先程から感じる違和感の正体が掴めず、首を傾げてしまう。より強く感覚を広げると、朧げだがルドルフの頭から変な感覚を覚えた。これが違和感の正体か? と思いながらも彼は探った。そして見付けた。
「なんだこれ? 別の人間の魔力が入ってるぞ」
ルドルフの中に、脳から全体を通るように別人の誰かの魔力が通っていた。それを圧倒的な【才能】で看破する。張り巡らされている魔力には、洗脳の効果がある事を。そこまで分かると、全てが理解出来た。何故、総大将とも言うべき、恐らくは帝国の切り札が敵対行動を取っているのか。その全部が、この魔力により分かった。即ち、この男はーーー
「はぁ、情けなく操られてるって事か」
帝国の総大将がそれで如何する。と、ため息を溢して呟く。ルドルフには、最早言葉など聞こえてなく、我武者羅に剣を振るうばかりだ。
「しょうがない」
マークはルドルフを殺さずに、洗脳からの解放を選んだ。これは単に、自分の弱点を教えてくれた事と、楽しませてくれた礼に過ぎない。でなければ、助ける事などせずに、遊びはお終いだという風に殺していただろう。まぁ、ともあれマークは行動に出た。如何やらこの洗脳は、ただの洗脳ではなく、体の全身に魔力が浸透されており、本来ならもう解けない程の洗脳術だ。これ程までの洗脳術に、マークですら感心した程である。
とはいえ、もうその洗脳術も彼は覚えた訳だが。マークならば、行われた洗脳術を読み取り、過去まで遡って如何いう風に行ったのかを理解するのは容易い事だ。確かに完璧な洗脳術である。恐らくはマークさえ、居なければ絶対に解けないモノであったろう。しかし、ここには彼が居る。右手を前に出し、親指と中指で輪を作って、そのまま弾いた。
ーーーパチンッ‼︎
小気味が良い音が林に響き渡り、その瞬間。暴れていたルドルフが停止して、ドサッと倒れ伏した。『洗脳されている』から『洗脳されていない』と言う事象を【反転】しただけ。それだけで、ルドルフに施された洗脳が、意図も容易く解けた。
「序でに、寿命も戻してやったぞ」
倒れるルドルフに、彼はそう言葉を放つ。魔剣の禁じ手により、削れた寿命を文字通り【反転】した。これで寿命は元通りになった筈だ。
「さて、と。少し時間を食っちまったな」
ルドルフから視線を外し、王城の方に向ける。所々に聞こえるのは戦いの音。ルドルフから離れて彼は、王城の方角を見据えたまま、膝を折り曲げた。
「よし、行くか」
そして、跳んだ。ズンッ‼︎ と音を響かせ、小さなクレーターを足元に穿ち、マークは跳躍する。向かう方向は勿論、王城だ。一人の人外が戦いに参戦するのも近い。
コハク君が辛くも勝利しました‼︎




