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嫌われし鳥の生涯  作者: 鳥無し
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最終話『自殺』

 いつかの時代、どこかの海に、一艘の小舟が浮かんでいた。

 乗っている人間は一人。一九、二十くらいの青年だ。


 青年は衰弱し、船に横たわったまま動かない。

 普通に考えれば、青年は嵐に巻き込まれ、船から小舟ごと投げ出された遭難者に見えるだろう。

 しかし青年は遭難者ではない。自殺志願者だった……。



 青年は別に、貧困に苦しんでいるわけではない。ただ、自分の将来に絶望したのだ。

 絶望とはいっても、破滅が約束されている訳ではない。だが、栄光も約束されているわけではないのだ。


 青年は欲深かった。本や噂に聞く金持ち達、皆が口々に讃える政治家や権力者達、自分もいつかはああなりたい。願えば……行動さえすればきっと得られるものだと信じていた。

 だが、生きるうちに……歳をとるごとに、それを手に入れるには、生まれ持った好条件が絶対的に必要なのだと思い知らされた。


 青年は至って普通の百姓のうちの生まれだ。他に兄弟は居ないから、自分が家を継ぐことは間違いない。

 それをすべて投げ出し、己の欲望のために行動してもいいのだが、その程度で得られるほど、青年の願いは甘くない。


 青年は絶望していた。自分がこれ以上成功することも、落ちぶれることもなく、ただただ平坦な生涯を歩んで行くという気持ちの悪い閉塞感に……。

 それを思った時、青年は自殺を考えた。



 そして考えた末に、青年が選んだ自殺方法がこれだった。

 小舟に乗り、海を漂っていれば、嵐や何かに遭遇して海に落ちる。荒々しい波にもまれ、自分よりも遥かに巨大な存在である海に殺害される。それが青年の選んだ自殺だった。


 自殺はしたい。しかし恐ろしい。

 首を吊ったり、心臓を突き刺したり、頭を拳銃で撃ち抜くなんて恐ろしくてできない。だから逃げ場をなくし、後戻りできない状況を作り出すことにした。小舟についていたオールは、ずいぶん前に海に捨てた。


 そして、自殺するにしても親には迷惑をかけたくない。

 家で死ねば死体の処理をさせなければならない。どのような方法をとったとしても、自分の息子の死体は、親に恐怖と悲しみの感情を起こさせるだろう。死体が見つからなければそれはわずかでも軽減される。

 遺書は残してきた。これで、無駄に自分のことを探すようなことはしないだろう。さすがに少しは捜索するだろうが、死ぬと言って出掛けた者を何年も探し続けるなんてことはしないはずだ。


 恐怖から逃れられ、周りの人間に迷惑のかからない方法。青年はそれを考え、実行した。

 ところが、もう海に出て三日は経つというのに、青年はいまだ生きていた。

 今は、照りつける太陽や船酔いよりも、飢餓の方が苦しい。水は持ってきていたが、それもついさっき無くなった。

 例え餓死であったとしても、死ぬことには変わりはない。だが、出来れば海に殺して欲しかった。


 海は偉大だ。その巨大な懐から、多くの生き物たちを生み出し、今も多くの生き物たちをその腹に孕んでいる。

 生き物は母から生まれ、母へと帰る。

 少し気取ってみたかったというのも、この自殺方法を選んだ理由に入っている。だが、このまま餓死すれば、遭難者の死と変わらない。それでは当初想像していた最後とかなりずれてしまう。


「ふん……母はその胸に子供を抱くことを拒否したか……」

 できそこないの子供だからな……。青年は心の中でそう自虐し、眠った。


   *    *    *


 青年の乗っている小舟を、大きな衝撃が襲った。何かにぶつかったらしい。

 海の真ん中で一体何にぶつかったんだ? 青年は不思議に思い、久しぶりに体を起こした。


「島……か?」

 船は沈むことなく、島に流れ着いたようだった。大陸ではない。海の真ん中にポツンと浮かんだ小さな島だ。


 青年は少し迷ったあと、船を島に引き上げて上陸した。

 人の気配はまるでない。見渡しても、木や崖ばかりで建物らしいものは一つもなかった。

「無人島か……」

 青年はそう一言呟いて歩き始めた。


 海岸の近くに、大きな果実を付けた木を見つけた。

 何気なくその木を蹴ると、果実が簡単に落ちてきた。飢餓に苦しむ青年は、その果実を食べるべきか迷う……。


「……俺が望んでいるのは餓死じゃない。自殺だ。この果物に毒があったなら、俺は毒を使って自殺することになるし、この果実に毒がないなら、体力が回復して、また海に出ることができる」

 言い訳のように呟いて、青年はその果物にかじりついた。

 ……うまい。

 果物は甘く、大量の水分を含んでいた。青年は勢いよくそれを食べ、それが無くなるとまた木を蹴って果物を取った。


 今のところ体に異変はない。遅効性の毒でないなら、この果物は食べても問題ないもののようだ。

 腹が膨れると、青年はそこに倒れ込み、また眠りについた。


   *    *    *


 青年は目を覚ますと、島の中を探検し始めた。

 これから死のうという人間を引き入れたこの奇妙な孤島に興味がわき、少し島の様子を見て回ろうと思ったのだ。海に出ることなどいつでもできる。


 島の中は、虫や小動物達の声でとても心地よかった。木々の間から降り注いでくる太陽の光が、とても幻想的で美しく、一つの芸術作品の様な感動を生みだしている。

 この島はやはり無人島らしい。人の姿はまるでないし、人が踏み込んだ様子もない。

 救助などまるで期待していない、むしろ邪魔に思っている青年には好都合だ。


 しばらく歩いていると開けた場所に出た。島中を一望でき、爽やかな風が吹いている。

 遠くに水平線が見える。空と溶け合い、その境界はゆらゆらと揺れていた。

 近くに島はないようだった。無論大陸もない。船も見当たらないが、これだけ遠くまで見えるなら、一艘や二艘通りかかるかもしれない。それに助けを求める気はないが。


「……おや?」

 青年は奇妙な物を見つけた。小さな石が、数十個積み上げられた山のようなものだ。周りを見ると、同じような物がいくつかある。

 それは明らかに意志を持って制作した者の存在を感じさせた。


「墓……だろうか?」

 なぜそう思ったかは分からない。しかし、その石の山を見ていると、どこか厳かな雰囲気を感じる。それは墓の前に立った時の感覚と似ていた。

 ならばこれは人が作ったものか? この島は墓場島なのだろうか?


 だが、その石の山は随分と古い物のようだった。

 昔この島に流れ着いた者達が、仲間を埋葬したものかもしれない。ならば、仮にこの島で死んでも一人になることはないのだ。

 ……この場所は自殺するのに適しているのかもしれない。


「なんにしても、もう少しこの島を見て回ってみよう。まだ何かあるかも……あれ?」

 足場に崩れた場所があった。その断面は滑りやすくなっており、青年は無警戒にその場所を踏んでしまったのだ。

 この場所は高い。どれくらいの高さかは知らないが、落ちればまず助からないだろう。青年はそこから落ちてしまった。


 これが自分の最後か? なんとあっけない……。

 青年は自分の体がどんどん加速して行くのを感じながら、そう心の中で呟き目を閉じる。

 意識を失う寸前、鳥が羽ばたく音を聞いた気がした。


   *    *    *


「ん……うぅ……」

 青年は鈍い痛みによって目を覚ました。叩きつけられた痛みではない。硬い岩の上に長い間眠っていたことから来る痛みだ。

「生きている……?」

 あれだけの高さから落ちていながら? 体を見回しても、特に怪我をしている様子はない。


 いま自分が落ちてきた高さを確かめるために崖を見上げた。

 ……恐ろしく高い。途中に引っ掛かる場所はないし、何か下に敷いてあったとしても確実に死んだはずの高さだ。しかも、自分の周りは岩だらけ、助かるはずがない。

 そう言えば、意識が消える瞬間に鳥の羽ばたきを聞いた気がしたが……?


 その時、青年は翼がはためく音を聞いた。とても大きく、力強い翼のはためきを。


「と……り……?」

 そこには鳥がいた。赤く大きく、恐ろしく美しい鳥が。


 いや、これは、はたして鳥なのだろうか? 

 全体を見れば間違いなくそれは鳥の姿をしている。だが、鋭い嘴と鋭利な爪は、すべてを引き裂く悪魔のような凶悪さを持っている。

 だが、一枚一枚の羽根、頭から生えている長く美しい冠羽、風に麗しく揺れる数本の尾羽は、天使のような神聖さを感じさせた。

 そして、全身を覆う赤。その赤は、全ての色を圧倒し、強力な存在感を示していた。

 ただ赤い鳥ならいくらでもいる。しかしこの赤い鳥は、まるで神格を持ったような雰囲気があった。


 青年はしばらく言葉を失い、その赤い鳥に見とれていた。そうしているうち、青年はこの鳥が自分を助けてくれたのではないかと考えた。

「まさか、俺を助けてくれたのはお前か……?」

 鳥は答えない。ただ不思議そうに首を傾げただけだった。だが青年は確信した。この鳥が助けてくれたのだと、あの翼のはためきはこの鳥のものだったのだと。


「あ……ああ、そうだッ! 鳥よ! 俺の願いを聞いてはくれないかッ!」

 青年はあることを思いつき、鳥に向かって手を伸ばして叫んだ。鳥は動かない。そのままじっと青年のことを見つめている。


「俺を殺してくれッ!」

 その青年の声があたりに響き渡った瞬間、冷たい風が吹いた気がした。


「聞いてくれ! 俺は死ぬために船を出した! 海に出て、今までの人生を振り返りながら小舟に揺られていれば、いつかは海が私を抱きしめ、その命を奪ってくれるに違いないと思ったんだ」

 気のせいか、鳥が目を細めたような気がする。


「海に抱かれ、海に殺される。それは偉大な者に殺されるという名誉な死だと俺は思う。だが、そうして死んでいった者達は多い。私は大勢の者達の一人で終わりたくない。特別な存在として死んでいきたいのだッ!」

 青年は言葉に熱を込める。諦めた願い。叶うことはないと知った願い。それを叶える方法が今目の前にあるのだ。


「お前だ! 私はお前に殺されたいッ! 世界中の誰であっても、お前の様に立派な存在は無く、お前ほど稀有(けう)な存在はいないだろうッ! ならば、お前に殺された者も多くはないはず」

 稀有な死。それをもって、青年は特別な存在になることを考えたのだ。

 青年は信じた。目の前の鳥がそれを与えてくれるに違いないと。


「できることなら、私のすべてを引き裂き、私のすべてを喰らって欲しい。私の死体を見ることで親を悲しませるのは忍びない。私の死体で海を汚すこともできることならしたくはなかった」

 迷惑をかけない死。それも青年が願ったことだ。

 青年の死は自分勝手なものだ。死ねば迷惑は少なからずかけることになるだろう。だが、出来る限りそれは少ない方がいい。


「私の死体は永遠に消えさり、お前の腹も膨れる。これほど完全な自殺はない。これほど迷惑のかからない自殺はない。これほど有意義な自殺はきっとないはずだ!」


 青年は一気にまくし立てた。鳥にどの程度の知性があるのか分からないが、これだけ騒ぎ立てれば、危険を感じて襲いかかってくるはずだ。

 自らを死に追いやる。自らを殺す。完全な自殺だ。


 しかし鳥は動かなかった。動かず、静かに青年を見つめている。

 青年は石をぶつけるくらいしなければダメかと、近くに落ちている石に手を伸ばした。すると、鳥が動いた。


「あなたは生きるべきだ」

 自分以外の声。その声を、鳥が出したものだと気付くまで少し時間がかかった。


「と……鳥! 鳥が喋ったッ!?」

 青年は当然驚いた。驚いたが、妙に納得してしまった。

 これほど見事な鳥なのだ、言葉を話して何の不思議があるだろう?

 それより気になるのは、鳥が言った言葉だ。生きるべきだと? 自分は生きるべきだというのか?


「と……鳥よッ! お前は私に生きるべきだと言ったのか? なぜだ?」

 青年は思い切って鳥に話しかけてみた。すると鳥はすぐに答えてくれた。

「あなたは絶望したというわりには、自殺しなければならないほど追いつめられているようには見えない」


 そうとも。青年は追い詰められてなどいない。自分将来の平凡さを嘆き、どうしようもない失望感から自殺を決意したのだ。鳥の指摘は当たっている。しかし……。


「ならば鳥よ! どういう絶望なら自殺すべきだというのだ!?」

 鳥はその青年の問いに間をおくことはなかった。熱くなる青年に対し、あくまで冷静に答えを返してくる。


「絶望から本気で自殺しようと願う者は、周りのことなど見えなくなるものだ。追い詰められ、絶望し、死という最終手段に走る。その時、死以外には何も見えず、闇の中ひたすら死に向かって歩むのだ」

 青年だって絶望している。己の将来を悲観した瞬間、青年には守るものなどなくなった。だからこそ海に出たのではないか。それも、わざわざ迷惑をかけない方法を選んで……。

 ……あ。


「あなたは迷惑をかけたくないと言った。迷惑とは他者との関係の中で生まれるものだ。他者の存在を意識している時点で、あなたは人()であり、生きている。その他者との関わりの中で十分に生きていける。だからあなたは生きるべきだ」

 そうとも、青年は絶望して死を望んだ。しかし、それに向かって猛進はしなかった。

 だらだらとそれを眺め、道の途中であちこちを見渡し、あげくには座り込んで、死の方からやってきてはくれないかと願った。


 周りがいくらでも見えていた。関係を断ち切れていなかった。

 絶望から来る、絶対の盲目がなかった。


「明日にでも船に乗って海に出なさい。無事に帰れることを私も祈る」

「あ……」

 鳥は一言言葉を残して飛び去って行った。青年には、その後ろ姿に返す言葉がなかった。


   *    *    *


 青年が海に出て数時間後、運よく自国の船に見つけてもらえた。

 数日後無事に帰国し、いくつかの検査を受けた後、家に帰ることを許された。

 家に帰るとたくさん叱られた、たくさん泣かれた、でも、力いっぱい抱きしめてくれた。


 それから青年は精一杯生きた。

 予想もしていなかった挫折や、想像もしていなかった成功が青年に降りかかってきた。

 青年はそれらをすべて受け止めた。


 歳をとり、かつて島で出会った赤い鳥を懐かしむようになった。

 鳥には会えなくても、せめて島には行きたいと願った。しかし、誰もその島を知らなかった。

 それでもあきらめず、島を探し続けた。


 だが結局、生涯その島を見つけ出すことはできなかった。

最後は短編小説みたいになりましたが、これで完結です。


悩みながら書いた作品ですが、無事完結することが出来ました

それは、暗い話にも関わらず、ここまで読んでくださった皆さんのおかげだと思います。

本当にありがとうございました。


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