グランからの要求
継母と妹より高いことから、一般的な女性より背の高さがあるらしいとうっすら自覚しているミレーを、グランは軽々と抱えたまま走っていた。思わず感嘆としてしまう。
走ったのに、下町までそれなりに距離があり、結局途中で強い雨に降られてしまった。
グランは少し身を前かがみにし、少しでもミレーに雨風が当たらないようにしてくれたらしい。
雨も風も正面から向かってくるからあまり意味はなかったが、その気遣いが嬉しかった。
グランの首に手をまわし抱きつく体勢で運ばれていたから見えなかったが、どうやら下町に着いたらしい。
そのわりに、あまり人の気配がない。雨だからだろうか。
グランの家は下町の外れのほうにあるらしく、家に着く頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
雨は降りやまないどころか勢いを増して降り続けたため、二人で濡れネズミのようになってしまった。
グランの腕から下ろしてもらい、彼の住むという家を見上げて驚いた。
家というより『物置小屋』という感じだからだ。
それは正しいらしく、元は物置小屋だったものを安く譲り受けて、家として使用しているらしい。
(グランさんの家は、あまり裕福じゃないのね)
下町の人間が皆こういう家ではないことは、ここへ来る途中、グランの肩越しから見えた光景でなんとなく分かった。
そう思ったが、あえて口には出さない。彼自身がそれを気にしている様子はないからだ。
それに、家の中は外ほど狭さを感じない。たしかに部屋のスペースはミレーの部屋より狭いが、目に見える範囲には、生活に必要なものがいたるところに置かれている。それにも拘わらず、活動スペースには余裕があった。
さらに埃も溜まっておらず、天井を見上げても蜘蛛の巣も張っていない。平民の家のほうが、貴族の自分の部屋より綺麗だった。
(私の部屋は、何もないし、天井に蜘蛛の巣が張っているもの)
メイドが、ミレーの部屋を掃除してくれないからだ。自分でやるにも方法がわからないし、それでもなんとか自分で掃除しようとすれば、「貴族が自ら自分の部屋を掃除するなんて!」と父から怒鳴られるため、いつもくすんだ部屋の中で生活をしていた。
今思い返してみても、あれは貴族がどうとかではなく、単に家族はミレーを汚らしい部屋に住まわせることを嘲笑いたいだけだったのだ。
ここは元小屋なのに、部屋はミレーの部屋より狭いのに、清潔感があって居心地が良かった。なにより、あたたかい。
グランは家に入ってすぐ、暖炉という暖房器具に薪をくべていて、それで部屋をあたたかくしているらしい。
初めて見る画期的な物たちに、ミレーはすっかり目を奪われてしまった。
「平民は基本、自分の家のことは自分でやると聞いたけれど、グランさんもなんですか?」
そう尋ねると、グランは呆れたような顔でミレーを見やった。
どうしてそんな表情をするのだろうと首を傾げて、すぐに自分の失言に気づいた。
「あ、その……! わた、私も自分で掃除するけれど、ここまで綺麗にはできないという、意味で!」
自分が貴族であるなど信じてもらえないかもと黙っていたが、今となっては黙っていたことが『嘘をついていた』とグランに嫌われる原因にならないかと不安になったのだ。
しかし、言わなくてもそれはまたそれで嘘になってしまう。
どうしたらいいか分からず困っていると、グランはミレーの頭に大きな手のひらを置いて、ポンポンと何度か叩いた。
「とりあえず風呂入ろうぜ。風邪引いちまう」
グランはそう言った後、盛大にくしゃみをした。
「あ、ごめんなさい! どうぞ先に入って……」
「一緒に入ろうぜ」
グランはニッと意地悪く笑んだ。
あまりの提案にミレーはひっくり返りそうなほど驚いた。
「い、一緒に?! え、だ、だってお風呂って服を脱いで、その……裸に、なるし」
「さっきオレだけミレーの裸見ちまったし、お詫びにオレのも見せるべきかなーって」
「き、気にしないで良いんですよ? 私の裸なんて見たってなんにも得することはないけど、グランさんの裸はダメだと思います!」
「……ミレー。先に三つ言っておきたいことがある」
「はい、なんでしょう?」
「自分を卑下するな」
「……え?」
「ミレーの裸には価値がないとか、なんで自分の価値を自分で下げるようなコト言ってんだよ。ミレーに価値がない? んなわけねえだろ。思っていないことは口にするんじゃねえ」
「お、思っていない? そんなこと、ないです。本当に私の裸を見たって何も……」
「じゃあ、あの暴漢どもに襲われて辱めを受けても許せたのか?」
そう言われて、それは嫌だなと思った。
「本当に価値がないのなら、あんなゴミクズどもに何をされても当然ってなっちまうだろうが。そんなわけないんだよ。誰であれ、そんな価値しかないなんてことは絶対にない。ミレーは自分の価値を低く見積もりすぎだ。次ふざけたこと抜かしたら、本気で怒るからな!」
もうすでに十分すぎるほど怒っている気もするが、ミレーは黙っておくことにした。
なぜグランはこんなにもミレーのコトを評価してくれるのか、なんとなく理解した。
この青年は、優しい心の持ち主なのだ。だからきっと、自分を卑下した相手がミレーでなくても、同じように怒っていただろう。
(私だけが特別じゃない)
そう思うと何故か苦しくなるが、身を弁えてその感情に蓋をする。
「……ごめんなさい。もう自分のことを悪く言うことはしません」
グランの優しい気持ちを無碍にしないために、ミレーは頑張って笑顔を作り、そう伝えた。
「言っておきたいこと二つ目。謝るな!」
「…………え?」
謝るなと言われ、先ほどより理解不能な状態に陥った。
「悪いことしたら、謝るのではないですか?」
「悪いことをしたら、な。それなら悪いことなんてしなければいいが、まぁ自分が良かれと思ってやらかしちまうこともあるだろう。そういう時は謝れば良いが、今日ミレーと遭遇してから今に至るまで、お前ずっと謝りっぱなしだったぞ?」
「そうなの?」
「ほら、自覚していない。謝罪っていうのはミレーの中で挨拶より価値のないものになっているんじゃないのか?」
「そ、そんなことは……」
さすがにないと思いたい、とミレーは心の中で付け足した。
「謝る気もなく咄嗟に出た謝罪を繰り返されたところで、逆に不快になるだけだ。……あと、謝ったところで絶対に許されるわけでもないんだ。何回も繰り返したところで意味なんてないだろう」
「………………え?」
ミレーの頭は、タライでも落ちてきてぶつかったような衝撃を受けた。
「どうした?」
突然固まったミレーを不審に思ったのか、グランが訝しそうに尋ねてくる。
「……許され、ないの?」
「まぁ、許されることもあるとは思うが、謝罪っていうのはそれが約束されている魔法じゃないってことだよ。だから使うとしても、それは限定して、使う頻度は減らして……って、ミレー?」
目の前が暗黒に包まれたようだった。
謝っても意味がない。
それなら、自分が今まで家族に謝っていたのは、なんのためだったのだろう。
許されたい。自分が何をしたのかはわからないが、その罪を許され、いつか家族の一員として受け入れてもらいたかった。
それはそもそも叶わないことだったのだろうかと思ったら、自分のしたことが無意味だったのだとしたら……。
身体がガクガクと震える。
絶望感でいっぱいになっていると、頭がわしゃわしゃとかき乱され、グランはきまり悪そうな顔をした。
「ミレーを困らせたいわけじゃないんだ。これまでのミレーを否定したかったわけでもない。でも、出来るだけ謝らなくて良い行動をして、自分が悪くないと思ったら謝らないでほしい。もっと、自分でも自分を大切にしてほしいんだ」
「……自分を、大切にする?」
グランは、よくわからないことばかり言う。今の言葉もそうだ。けど不思議なことに、グランの言葉を忠実に守りたいと、なんとなくそう思った。
だから素直にうなずけば、彼は満足そうな笑みを浮かべた。
それが朗らかで、安心しきったものだったから、ミレーの心も満たされていく。
(不思議。この人といると、私、幸せになりたいって思ってしまう)
幸せに生きる。それは、いつの間にかミレーが失くした気持ちであった。
「ありがとうございます、グランさん」
先ほどまでより素直に感謝の言葉が出てきたことに、自分でも驚いた。グランもそんなミレーを満足そうに見やりながらうなずいた。
「最後に。オレの名前は呼び捨てで頼む」
「え?」
「なんかこう……『さん』付けされると、むずがゆくなるっつーか……」
「むずがゆく……?」
「慣れないのもあるが、ミレーには特に……親しく話しかけてもらいたい」
真剣に見つめられ、ミレーの心臓がまた跳ね上がる。
月明りが灯さない夜の空のような瞳に見つめられ、その色に意識が吸い込まれそうだった。
(綺麗……)
澄んだ夜空というのは、このようなものだろうかというほど、魅力的な黒だ。
返事も返さずにぼんやりその瞳を見つめ続けていたからか、グランが不安そうにその瞳を瞬かせた。
「……ダメか?」
こてりと首を傾げる仕草が、どこか艶めいて色気を放っている。こんな仕草が色っぽい成人男性は、おそらくグラン以外いないのではないかとミレーは思った。
あまりの破壊力に慌てて視線を逸らせると、グランは飼い主に怒られた子犬のようにしゅんと落ち込んだ。犬耳が生えていても違和感がないとさえ思った。
(かわっ……かわいい……!!)
わき目でそれを目撃してしまい、悶絶したい気持ちをぐっと堪え、にやけそうになる顔を必死に抑えながらグランと向き合う。
「だ、ダメじゃ、ないです。グラン……」
『さん』付けをしないで名前を呼べば、彼は分かりやすく顔を輝かせた。
「サンキュー! 敬語も、無理のない範囲で良いから減らしていってくれな」
今度はグランの背後で振れる尻尾が見えそうだ。しかし目を凝らしてもやはり見えない。やや残念な気持ちでいると、グランは笑顔のままじっとミレーを見ていた。
「な、なに?」
「オレは犬耳も尻尾もついてないし、『待て』もしないから、油断していたら噛みつくぜ」
くっくっと笑いながらクローゼットを開けるグランに、ミレーは激しく狼狽した。
「ぐ、グランって、人の心とか読めるの?」
「読めるわけねえだろ」
呆れたように肩をすくめられたが、それでは自分の考えを読みぬいた原因の解明にはならない。
そんなミレーを、楽しそうにグランがなだめている。
その時は気づかなかったが、グランに「敬語じゃなくていい」と言われてから、自然と敬語を使わず話すことが出来ていた。そして、自然に笑えていた。
ミレーにとって、この時間は間違いなく幸せであった。




