グランとの出会い
ミレー・クローバーは、クローバー男爵家の長女である。
くすんだ朱色の長いクセッ毛を伸ばしっぱなしにして、ボロボロになった一枚のドレスを毎日着て、とても淑女とは言えない身なりをしていた。
家族の誰にも愛されず、この先の人生もずっと誰からも愛されずに生きていく。それがミレーに与えられた人生なのだろうと、すべてを諦めていた。
そんな彼女の転機は、18になった誕生日の翌朝だった。
「おつかい……?」
メイドがミレーに使いを頼んだのだ。
本来ならメイドが男爵令嬢に使いを頼むなどありえないのだ。
「アリサ様から、ミレー様にお願いするようにと……」
アリサとは、ミレーの妹で、クローバー家の次女だ。
ミレーの生母はミレーが物心つく前に亡くなっており、父が再婚した相手との間に生まれた子どもが、アリサだ。
父も継母もアリサを溺愛し、ミレーは家の中で誰よりも……使用人よりも地位の低い扱いを受けていた。
嫁いで実家を出るまでずっとこの生活が続くかと思っていたが、こんな自分などを娶ってくれる物好きもいないだろうし、出来る可能性としては政略結婚だと諦めていた。
そんな生活も当たり前になっていたから、メイドに使いを頼まれても、それに嫌悪することなく引き受けた。
ボロボロのドレスを着て、お気に入りのボロボロの斜め掛けのカバンを肩から下げ、とぼとぼとクローバー家を出て行く姿はまるで乞食のようだろう。そんなみすぼらしい姿が表門から出て行くのはクローバー家の恥だから裏門を通って人目をさけて下町へと買い物に行けと言われたのでそうした。
下町に向かうひと気のない並木通りを歩いていると、見知らぬ三人の暴漢に襲われた。
ボロボロの衣服を剥ぎ取られ、丸裸にされ、辱められそうになったのを助けてくれたのが、グランという黒髪の青年であった。
グランは持っていた刀を振るい、一人であっという間に三人の男を薙ぎ倒した。気絶した三人をその辺に転がすと、ミレーの手を引いて生い茂る草陰へ身を潜めた。
グランは下町育ちの平民だと言う。
ミレーも自己紹介をしようとしたが、こんな格好の貴族と言っても信じてもらえないだろうし、なによりクローバー家の恥になると思い、自己紹介では名前だけ伝えることにした。
「私はミレーと申します。助けてくれて、本当にありがとうございました」
「ミレー。……苗字は?」
ミレーはその言葉にどきりとしたが、妙な違和感があった。セカンドネームは貴族ならあるのが普通だが、下町の人間には馴染みがないと聞いたことがあるからだ。
だから、言い訳が通じるかはわからないが、ひとまず「ない」とだけ伝えた。
「ふぅん」
意味ありげなグランの視線に耐えかねて視線を逸らす。
「まぁいいか。とりあえず身を潜めたほうがいいな」
「身を潜め……?」
「さっきミレーを襲った連中の一人が気絶する前に聞きだした。あんたの妹から『姉をキズモノにしろ』と指示され報酬を渡されていたらしい」
それを聞き、ミレーはゾッと背筋を震わせた。
家族に嫌われていたのは知っていた。妹のアリサから特に毛嫌いされていたのは、顔を合わせるたび見せる態度で分かりきっていた。
だが、未婚の貴族の娘がキズモノになるということの意味を、アリサは理解していたのだろうか。
理解していようといまいと、キズモノになっていたら、ただでさえこの歳まで婚約の話さえなかったミレーに、今後婚礼の話など来るはずもないのだ。
それはアリサにとっても得のある話とは思えない。それなのにどうしてこんなことをするのだろう。困惑と、悲しみと、なにかわからない感情がぐるぐると渦巻いた。
感情に心が壊されそうになっていると、頭から何かが被せられた。
「わぷっ?!」
少し煤汚れた黒いシャツだ。だが煤汚れていても、ミレーの着ていたドレスよりずっと綺麗で清潔感があった。
「寒いだろう。着ておけ」
見れば、グランの上半身は黒のタンクトップ一枚だけになっていた。今までそのタンクトップの上に着ていたシャツを、ミレーに着せてくれたのだ。
グランの着ていたシャツはぶかぶかとしており、彼に比べると小柄な自分が着れば、ちょうど腰辺りまで隠れる……というのがグランの予想だったらしい。
だが思った以上にふくよかなミレーの胸に引っ張られて、ミレーの下半身がまるで隠しきれていなかった。
「ご、ごめんなさい、不格好になってしまって」
謝るが、グランは真っ赤な顔のまま気まずそうに視線を合わせようとしてくれない。相当怒っているのだろうか。
「……いや、こっちこそ悪かったな。ちょっと待ってろ」
グランは顔を逸らしたまま、彼が持っていたカバンの中から何か探し始めた。その間にミレーは、自分のボロボロなカバンが道の真ん中に投げ捨てられていたことを思い出し、取りに行こうと立ち上がり草陰を抜けようとしたところを、グランに手を強く引かれた。
強く手を引かれたことで、身体がグランのほうへ傾いて倒れた。痛みを覚悟して身体を強張らせたが、痛みはなかった。グランが抱き留めてくれたのだ。
ミレーを抱き留めた時、彼は背中を強く地面に打ち付けてしまったようだ。
「ごめんなさい!」
「ッ……オレが手を引いたんだから、ミレーが謝ることじゃない。それより、そんな恰好で道に出ようとすんな!」
何故か強い口調で怒られてしまった。
「ごめんなさい……。カバンを取りに行こうと思っただけで……」
「オレが取ってくるから。ミレーはここから出るなよ」
ぶっきらぼうにそう言い放つと、グランはさっと草陰を出て、気絶している暴漢以外に人のいない通りでカバンを拾って戻ってきた。
「私を襲ったあの人たち、このまま放置していいのですか?」
「あぁ、大丈夫だから、ミレーは気にしなくて良い」
「でも、空模様が怪しいから、あのままじゃ雨に濡れて風邪ひかないでしょうか?」
「自分を襲った暴漢の体調を心配とは、ずいぶんと余裕があることだ」
呆れたように肩をすくめるグランに、ミレーは委縮してしまう。
「ご、ごめんなさい……」
「そんな連中を心配するより、自分の心配をしろ。こんな格好でうろついていれば風邪ひくだろう。冬の寒さをなめんなよ」
「は、はい!」
「とりあえずオレの家に行くぞ。その前にミレー、ちょっと煤汚れているけど、これを巻いておけ」
グランは、自身のカバンから煤で汚れた大きなタオルを取り出し、それを無防備に晒されていたミレーの下半身に巻いた。
「わ。これなら下が冷えないわ。ありがとうございます、グランさん」
ホッとしてお礼を言えば、グランはまた呆れたような顔をする。この短時間でミレーは何回、彼にこんな表情をさせただろうかと不安になってしまった。
「心配どころがずれているって呆れたんだよ」
不安な気持ちを見抜いたような物言いに驚くが、彼はそのようなことに構わず、持っていたカバンを背負ったかと思うと、突然ミレーの身体を横抱きに持ち上げた。
突然身体が持ち上げられたことに驚き、ミレーはグランの首筋に抱きついてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい!」
「……いや、気にせず抱きついてて、いい」
至近距離で改めて見る彼の顔立ちは綺麗に整っており、黒い短髪は風に遊ばれてもサラサラとして絡まらず、目も切れ長で、美青年以外何者でもないなと思ってしまった。
(顔が煤で汚れているけれど、全然気にならない)
ほうっと見惚れていると、グランは真っ赤な顔をしながら真剣な目でミレーを見つめていた。
「……ミレー。好きな奴って、いるのか?」
突然何の質問かと思ったが、グランの綺麗な顔立ちにすっかり見惚れて、何もかもが大したことではないように感じ、問われるまま素直に答えた。
「い、いません」
「じゃあ、婚約者とかは?」
「いません、そんな奇特な方は」
そもそも、こんな身なりもみすぼらしい令嬢を嫁にもらってくれるという奇特な殿方は、政略結婚であってもこの世にいないような気がしてきた。ミレーの返答に、グランは満足そうにうなずく。
「そうか。なら良いんだ」
「え、なにが?」
「いーや。それなら良かったって話だ」
「???」
グランが何を言っているのか、意味をわかりかねて困惑する。
「それよりミレー。おまえちゃんと飯食っているのか?」
「え?」
何の関係があるのか分からず、答えに困った。それをグランは「食べていないのか」と勝手に納得してしまった。
「食べていますよ?」
だから咄嗟にそれを否定したら、グランはミレーの身体を見つめてから、溜息を吐いた。
「……とりあえず、ここを離れよう。いよいよ天気が崩れてきた」
「え?」
グランに言われて空を見上げると、本当にぽつぽつと小さな水の粒が舞い落ちてきた。
「あー……」とうなるような声を上げてから、グランは先ほど回収してくれたミレーのボロボロのカバンを持たせてくれた。
「あれ? どこへ行くんですか?」
てっきりミレーを実家に送り届けに行くのかと思ったが、歩き出した方向が逆だ。
「下町のオレん家」
「え? な、なんで? 私の家じゃなくて……?」
「お前を襲わせた家族がいる家に帰せるか! ミレーは帰りたいのか?」
「あ、でも、私なんかがお邪魔するのは、迷惑じゃないですか?」
「誰に?」
「グランさんのご家族に……」
「気にしなくていい。……下町では一人暮らしをしているから」
やや言葉を選んだような言い方をするグラン。
「……じゃあ、一晩お世話になります」
ひとまず雨と寒さを凌がせてもらおうとそう言えば、グランは拗ねたように唇を尖らせた。
「一晩と言わず、一緒に暮らして良いんだぜ?」
「え?」
どういう意味か分かりかねていると、グランは眉尻を下げた。
「まあ、未婚女性を一人暮らしの男の家に連れ込もうとする時点で警戒されてもおかしくないのに、一緒に暮らそうだなんて、そりゃ断るよな」
そして自嘲気味な表情を浮かべるグランに、ミレーはどう返したらいいのか分からなかった。
たしかに彼の言う通りだ。未婚の女性が、結婚を前提にしたわけでもない、なんなら知り合って間もない未婚男性の住まいでお世話になるなどあるまじき行為だ。
散々父に釘を刺されていた。政略結婚の際、他の男と浮ついた関係になって、なけなしのミレーの利用価値を下げないように、と。
だが、ミレーはそんなことを気にしていたわけではない。グランが善意で言ってくれたのだという事を疑ってもいない。
ただ、なぜかわからないが、今のグランの『あるまじき提案』に、縋りつきたくなったのだ。
「とりあえず何もしないから、ひとまずオレの家に行くぞ。話はそれからだ」
グランはそう言うと、うつむいたミレーを抱きかかえたまま、雨が降り始めたひと気のない並木通りを駆け抜けていった。




