36_城壁湾港都市ハクシーラン その8(帰還)
――基盤歴639年11月03日(昼)――
昼過ぎくらいに目が覚める。若いって素晴らしい。一晩中起きていても、半日眠れば元気いっぱいだ。
(学生時代はよくオールしたあと朝方寝て、昼からバイトしてたよな。若い身体ってのは何者にも替えられねぇぜ。)
ユーナは隣のキングサイズベッドでまだ眠っている。寝相が悪いのか、ローブが股のサラシまで捲れてしまっており、肉付きのいい白い太腿が露になっている。どうしても目線が吸い寄せられそうになるが、蹴られるのも嫌なので無理矢理視線を引き剥がす。
…って、完全に一昨日の焼き増しだ。相変わらず寝相の悪い奴だぜ。
取り敢えず顔も洗ってないし寝癖も直してないが、起きがけの(昼だけど)のコーヒーを飲む。もちろん元世界から召喚した缶コーヒーだ。
(本当は挽いた豆をフィルタにセットして、ドリップしたのが飲みてぇんだけど、こんな遠方で贅沢は言ってらんねぇしな。)
ふんふんと鼻歌を奏でる。
今日はとても気分が良い。何故かって? そりゃもうこんな街であんな物騒な真似をしなくて良くなったからさ。バッチリと証拠を押さえることができたから、あとは帰るだけ。もう11月の冷たい夜の海に潜るなんて修行じみたことをする必要も無いの。やっぱり海っていえばこう、暑い時じゃないとね。
「なーに鼻歌なんか歌ってんのよ。寝癖も直さないで、だらしない。」
ユーナが眠そうな目でこちらを窺っている。どうやら起きたようだ。
「だらしなくったっていいだろ。お前こそ寝相悪いんだよ。股のサラシとムチムチの太腿が丸見えだったぞ…ごっはっ!!」
ベッドの弾性を借りた跳躍からのドロップキックが腹にクリーンヒットして壁までぶっ飛んだ。
「何見てんのよ、ぶっ飛ばすわよ!!」
「いってて…。ぶっ飛ばすわよって…ぶっ飛ばしてから言うなよな…。」
(どっかで聞いたセリフだな…どこだっけ? まぁいいや。)
「挨拶は蹴ってからってね。」
「勘弁してくれ…。いてて…。」
はぁっと椅子に座りなおす。
「この街での用件は済んだ。明朝には出立しようと思ってるが、いいか?」
「ふわぁ…。ええ、もちろんよ。長居は無用だからね。」とユーナが髪を手櫛で梳かしながら欠伸をする。
「で、どうするんだ?」
「何がよ。」
「なにって、ファルミとフェイリアのことに決まってるだろう。連れて行くのか?」
ユーナの髪を梳く手が止まる。
「…向こうが来たいって言うなら、連れてくわよ。」
そうバツが悪そうに言って洗面室に足早に向かっていってしまった。まんざらでもないらしい。
―◇―◇―◇―
身支度を整え、スラム街近くのファルミ宅を訪問する。だいたい15時頃、大通りに面した喫茶店やレストラン、軽食の採れる露店などは賑わっていたが、あの母娘にそんな毎日を楽しむ余裕なんて無いだろう。
数日前に、フェイリアの案内で訪れたボロボロの長屋に到着する。ここに近付くにつれ、活気ある街の喧騒は次第に遠ざかり、代わりに陰気で湿った空気が鼻をつく。
ドンドンドン
「ファルミ! フェイリア! いる!? ノリコよ!!」
ユーナが長屋の玄関をノックして呼び掛ける。あまり強く叩くとドアが壊れそうなのでヒヤヒヤする。
(こいつ、たまに力加減ミスりやがるからな…。今日だってあんな思いっきりドロップキックしなくたって…。)
数秒後、奥からドタドタとした足音が聞こえる。まだ子どものフェイリアにしては大きい足音だが…。
「ノリコ様…!!」
ガチャリと開いたドアから現れたのは、陽に焼けた赤銅色の肌で、血色の良い大人の女性だった。
(誰…? しかもノリコ『様』って、まさか…。)
「…ファルミ?」と、ユーナが躊躇いがちに尋ねる。
「はい! ファルミです! ノリコ様とシューヤ様にどうしてもお会いしたかったんです! この度は、本当にありがとうございました。お二人は命の恩人です。どうぞ、こちらへお入りくださいますか?」
頭をペコペコ下げ、ドアを開いて中に誘ってくれる。
(やっぱりか。瀕死で床に臥せっていた印象が強すぎて一瞬誰だか分かんなかったぜ。)
誘われるがまま、長屋にお邪魔する。前に来たとき敷かれていた万年床は、今はない。ファルミが元気になった証拠だ。
フェイリアが駆け寄ってきてユーナに抱きつく。
「ノリコ様、それからシューヤ様、探してたんですよ! まさかお二人から来ていただけるとは思ってもみませんでした!」
「ちょっとフェイリア、止めなさいってば…。」とユーナが照れている。
(フェイリアも『様』って…。慣れねぇな。てか、俺、何もしてねぇし…。しかも、ちょっと身体つきが良くなってやがる。取り敢えずはユーナが渡した金でちゃんと食えてるってことか。何よりだぜ。)
「こらフェイリア、ご迷惑でしょ。あなたはこっちに来て座りなさい。ささ、ノリコ様もシューヤ様も、そちらにお掛けになってください。」
ファルミが柔らかく微笑む。
ユーナと顔を見合わせ、取り敢えず座布団と呼ぶにはヘタれたクッションに腰を下ろし、「いったい二人ともどうしたの??」とユーナが口にする。
「どうしたも何も、身体を治していただいて、更にお金まで…。お陰様でこの子にちゃんと食べさせることが出来ています。」
「ああ、それで…。まぁでも良かったわ。そんなに元気な姿を見れて、ひとまず安心したわよ。ファルミあなたも、ちゃんと食べて体力回復させなさい。」
「はい、ありがとうございます。ですが…さすがにこんな大金をいただくことは出来ません。」
そう言って、恐縮そうにファルミが革袋を差し出す。
「ユー…ノリコ、いったいいくら渡したんだ?」
「金貨50枚よ。」
(文無しにいきなりそんな大金渡したら、逆に破滅を招くだろうが。まったく、力加減を知らないやつだぜ…。)
「…渡し過ぎだ。」
「あら、そうかしら? 私としては足りないくらいよ?」
俺たちの会話を聞いていたファルミが「あの…どうしてそこまで…?」と遠慮がちに聞いてくる。そりゃ、見ず知らずの人間からいきなりそんな大金を貰ったら戸惑うだろう。
(まぁとはいえ、全てを正直に打ち明けることなんて出来ない、か。)
「ファルミさん、ご質問の回答とは違うのですが、あれからお仕事は見つかりましたか?」
「え? あ…いえ、お恥ずかしながら、まだ…。」とファルミが俯く。
「そうですか。では急なご提案で恐縮なのですが、我々と共に王都ヴェレンタンに来ませんか?」
「…王都に…?」とファルミが目を丸くする。
「いえ、突然こんなことを提案されてもわけがわからないですよね。失礼しました。今ここで、我々が何者かを明かすわけにはいきません。が、我々は王都から来たのです。ここでの用事は済ませたので我々は明朝発ちますが、良ければ是非、と思いましてね。まぁこの辺りのことは私からではなく、ノリコの方から伝えて貰ったほうがいいかもしれません。」
ユーナに目配せする。
「今ツカ…シューヤが言った通りよ。ここでの仕事探しは大変でしょうから、一緒に来ない? 私もシューヤも、王都ではわりと顔が利くのよ。ファルミに仕事の斡旋くらいは出来るわ。もちろん、王都は内陸だから漁師は出来ないでしょうけど、それでも、ここに居るよりかは遥かにマシだと思うの。…まぁ、住み馴れた土地を離れるっていうのは、辛いとは思うけど…。ただ…」
ユーナが居住まいを糺し、続ける。
「ただ、ファルミ、あなたにこの程度のことをしてあげるくらいには、私はあなたに借りがある。私が何者かはまだ明かせないけど…信じてほしい。」
ファルミが、目を瞬いている。
「…借り、ですか…。」
「お母さん、ここにいても仕事なんて見つからないよ…。王都に行くのもいいんじゃない?」とフェイリアがファルミを促す。
ファルミはそれには答えず、俯き目を伏せて考えている。
黙して待つこと十数秒、ファルミが顔を上げた。
「…はい、お願いします。ここは、もはや私の生まれ育った町ではありません。親類縁者も、もういませんし…。本当は、別のどこかに移り住むのも有りだと考えてたんですけど、如何せん路銀がなくて…。」
それを聞き、ふぅ、とユーナが安堵する。
「良かったわ。では明朝、城壁北門に来て。あと、それはしまっておいて。王都で暮らすにも、最初は何かと入り用だしね。」
「…ありがとうございます。」
ファルミが深々と頭を垂れる。
「…これも何かの縁よ。」とユーナが呟き、慌てて照れたように「ほらツカ…シューヤ、行くわよ!」と立ち上がる。
(相変わらず、素直じゃねぇな。)
―◇―◇―◇―
――基盤歴639年11月17日(夕刻)――
「帰ってきたわね。」
「ああ、そうだな。」
約ひと月ぶりに王都の城門を抜ける。俺の馬に俺とファルミ、ユーナの馬にユーナとフェイリアが乗馬し、約2週間掛けて帰ってきた。
うわぁ、と、ユーナの後ろフェイリアから感嘆のため息が漏れる。相変わらず整然と赤に金糸の国旗が翻っている。
「潮の匂いがしない街ですが、そのうち慣れますよ。」
後ろのファルミに言うと「え、あ、はい…。」と曖昧な返事が返ってきた。まだ、王都に辿り着いた実感が沸かないのだろう。
「ノリコ、今日は俺の家に泊まろう。なに、ポーラとミラには俺から事情を説明するさ。」
「了解よシューヤ。」
この10日間、常にシューヤとノリコで通してきたのでもう間違えることはない。とはいえ、ここまで来たからには身分を偽る必要もない。そもそも、王都で世話をするならすぐに偽名とバレる。
(帰ったら、先ずはこの二人にタネ明かしだな。)
そのまま馬で街を進む。そして――
(1ヶ月ぶりの我が家だぜぃ!)
馬を軒先に係留し、呼び金をガンガンと鳴らす。と、すぐにミラが出迎えてくれた。
俺の顔を見るとぱっと笑顔をのぞかせ、奥に向かって「ポーラ! ツカサさんが帰ってこられましたよ!」と叫ぶ。
パタパタと奥から駆けてくる足音がし、そのままシルバーの髪を靡かせてポーラが胸に飛び込んできた。
「…お帰りなさいませ!」と涙声のポーラに次いで「お帰りなさいませ!」と快活なミラ。喜び方も対照的な2人だ。
(家族…かぁ。)
元世界で、仕事から帰って『ただいま』のひと言も無かった日々を思い出し、ズキリと胸が痛む。
「ああ、ただいま。心配かけたな。」
ミラも俺の袖を掴み、肩に額を乗せてくる。
二人といちゃいちゃしていると、わざとらしい咳払いと共に「お取り込み中のところ悪いけど、いつまで待てばいいわけ?」とユーナが白い目を向けてくる。ファルミとフェイリアも揃ってポカン顔だ。
「コホン…。いや済まない。不可抗力だ。」
「なにが不可抗力よ。見せ付けてくれちゃって!」
ミラがユーナ、それから見知らぬ2人に気付き顔を上げる。
「ユーナさん! それからお客様…ですか?」
―◇―◇―◇―
食堂に俺とユーナ、向かいにファルミとフェイリアが座る。取り敢えず長旅で汚れた身体を流すため、順番に湯浴みをしておいた。
(風呂沸かすのめっちゃ面倒臭ぇんだよな。何かいい案はないものか…。)
ミラが俺たちそれぞれの前に夕飯を配膳してくれる。
「すみませんツカサさん、今日帰ってこられると思ってなかったので、こんなものしかご用意出来ず。」とミラが申し訳なさそうに恐縮する。
目の前にはディップソースを掛けた干し肉と葉野菜を白パンで挟んだパーカー、急ごしらえの野菜のスープ、葡萄酒が並べられている。
「いや、ありがとうミラ。食事があるだけでもありがたい。」
ファルミが居心地悪そうにしている横で、フェイリアが興奮気味にきょろきょろとしている。そして葡萄酒を見てわぁ…と声にならないため息をついた。
「こらフェイリア、じっとしていなさい。」
「だってお母さん、こんな大きなおうちに、葡萄酒だよ!」
「ばか! すみませんこの子ったら…。」とファルミが恐縮している。
「いえいえ、構いませんよ。ミラ、ポーラ、これから少し話をするから、住まないが2階へ行っておいてくれないか?」
そう言うと、ミラとポーラが一礼して2階へ上がって行った。
「さて、無事に王都に着いたわけですが、色々と腑に落ちないことも多いでしょう。それに、見ず知らずの人間に世話になりっ放しというのも尻の座りが悪いでしょう。今からその辺りの懸案を解消したいと思います。まぁ取り敢えず、遠慮なく召し上がって下さい。」
俺は合掌、ユーナは右掌を胸に当てる。慌ててファルミとフェイリアも右掌を胸に当てた。
先ずは葡萄酒のグラスで乾杯する。2人のグラスを持つ手がぎこちない。
「さて、お察しかどうか分かりませんが、シューヤというのは偽名です。ツカサ、というのが私の名前です。改めて宜しくお願いします。というのも、ハクシーランでは、万に一つも我々がいることを勘付かれてはならなかったのでね。我々は、というより、こっちの一見怖そうなお姉さんが、ですがね。」
ユーナが齧ったパーカーを吹き出しそうになっている。
「…あんたね、そのネタ何回擦るつもり!?」
「場を和ませるためだ。二人とも緊張しているだろうからな。」
口を拭いながら「ったくもう…。」と悪態をつく。
「ほら、そろそろタネを明かしたらどうだ?」
ファルミとフェイリアがなりゆきを見守っている。
ユーナが齧ったパーカーを急いで嚥下し、居住まいを糺してファルミに向き合う。
「ファルミ、私のノリコっていうのも偽名よ。私の名前はユーナ。ユーナ・オーマチよ。旧オーマチ領領主、リーラ・オーマチの長子。」
そう言ってユーナは金色カラコンを外し、紫の瞳が露になる。
「髪が元の色に戻るのは、まだもう少し先だけどね。」
ファルミが怪訝な表情を見せたのも一瞬、手を口に当て「あ、あ…」と声にならない驚きの呻きを漏らし始めた。
「今まで黙っていて悪かったわね。ハクシーランでは、私があの街に入り込んでるのを悟られるわけにはいかなかったのよ。なんてったって、オーマチ家の生き残りなんだもの。それにしても、デクマルシアに石を投げ付けた子供の母親が、あなただと知ったときはさすがに驚いたけどね。」
最後、ユーナがフェイリアに視線を向けると、フェイリアが小さくなった。
「ユ…ユーナ様、生きてらしたなんて…」と声を絞り出すファルミは、驚愕と歓喜で上手く話せていない。
「ファルミ、あなたのことは覚えてる。漁に関して無知な私に、嫌な顔ひとつせず、懇切丁寧に教えてくれたわね。私にとっては、あれも大切な思い出なのよ。お母様はいつも仰っておられたわ。漁師頭はファルミに任せておけば間違いないって。」
ファルミが両手で顔を覆い、はらはらと涙を流しはじめた。
「だから、あのお金は遠慮無く受け取ってちょうだい。」と、ユーナも目尻を熱くしている。
(俺がここにいるのも、野暮ってもんだな。)
「お互い積もる話もあるだろう。俺は上に戻るからゆっくりしていくといい。そこの客間を自由に使ってくれ。」
「ありがとうね、ツカサ。」
(こういうときは、素直なんだよな…。)
パーカーとスープを食べ終わり、葡萄酒を持って2階へ上がる。階段を登っている途中で、初日に買って結局食わず仕舞いだった干し肉を思い出す。
(そういや食ってなかったな。ちょうどワインもあるから…しまった。こりゃこっちの世界の葡萄酒じゃねぇか。)
自室のドアを開け、入って閉める。
ソファにどかっと座り込み、ぐっと伸びをする。
(さすがに疲れたぜぇ。ハクシーランを出発して14日目か? その間の寝床は基本的にキャンプだからなぁ…。)
首をぐるりと回し、軽くストレッチをする。
(野営がなんの非日常でもないこの世界だと、わざわざキャンプを趣味にする奴なんていねぇわな。とはいえ、この程度の疲れで済んでるのはやっぱり身体が若いからだよなぁ。43の身体ままだったらと思うとゾッとするぜ、たく。いてて…。)




