32_城壁湾港都市ハクシーラン その4(母親)
ガークズプライズホテルを出て、フェイリアを家まで送り届ける。
フェイリアの案内で約30分ほど歩いて辿り着いた彼女の家は予想通りというかなんというか、ボロボロの木造の長屋だった。似たような長屋がいくつも建つ中の一つで、フェイリア曰くスラム街からも近く、兵士の巡回も無く、治安もよろしくないという。
そして、今俺の目の前には床に臥せる年老いた女性。いや、この世界の理に従い確かに若いといえば若いのだが、力なく横たわる姿と生気を失った目が彼女を老人として認識してしまう。
無理な労働により身体を壊し、床に伏している目の前の彼女はフェイリアの母、ファルミである。床に伏せて久しいということだが、なるほど痩せ細っている。病人らしからぬ赤銅色の肌が、彼女が漁師だったことを物語っている。
先ほど、フェイリアを家まで送り届けて帰ろうとしたところ、どうしても上がって行って欲しいというフェイリアに根負けし、この家に上がり込んだのがついさっき。フェイリアはお礼のつもりなのか、先ほど俺たちに助けてもらったことを嬉しそうにファルミに話し始めた。
(復讐のために衝動的に石を投げつけたり、自分の愚行を母親に嬉々として説明したり、アホと言うべきか素直と言うべきか…。)
一通り説明し終えたフェイリアに、床に臥せたファルミが鋭い目を向ける。
「お前は…ゴホッゴホッ!…なんてことを…!」
(かなり咳き込んでいるな。ひょっとしてこれは…。)
「このバカ娘を救って下さり、本当にありがとうございました。私が…ゴホッゴホッ!…こんな状態じゃなければ、娘にこんな馬鹿な真似は…ゴホッゴホッ!!」
柄にもなく、ユーナにイラっとする。
「ノリコ、なにしれっと見てるんだ? 完全には(回復させることが)出来なくとも、(症状を)緩和させることはできるんじゃないのか?」
「なに言ってんのよ、(治癒魔法なんて)そんなぽんぽんやるもんじゃないわ。」
「そうは言っても…」
「じゃあ片っ端からやれっていうの?」
相変わらず行間を読むのは上手い。が、助ける気は無いらしい。まぁ確かに、治療が必要な人間全てを助けていたのではきりが無い、か。
「シューヤさん? …ノリコさん?」と、そんな俺たちを見てフェイリアが不安そうに声を掛けてくる。
「いや、すまないフェイリア。ところでファルミさん、フェイリアさんから聞いたのですが、トンネル掘削の普請に従事されていたようですね。もしかして、その咳はトンネル掘削作業に従事されてから出るようになったものではないですか?」
「はい、そうです。最初はこんなに酷く無かったのですが、徐々に酷くなっていって、今ではご覧の通りの有様で…。」
床に伏せ、弱々しい声でファルミが答える。
「もしかして掘削に携わったお仲間たちも同じような症状が出ていたり、倒れたりすることもあったのではないですか?」
「それは、はい。私と同じような…ゴホッゴホッ!…作業員が何人もいました…。」
何か言う度にファルミが苦しそうに咳き込む。
(やっぱり、粉塵の吸引暴露による肺疾患っぽいな。元世界の医療でも完治させることは難しいと聞くけど、症状を緩和させるために市販の薬を渡すことくらいは…いや、ダメだな。)
たとえ今ここで市販薬を元世界から召喚して渡したとしても、服用し続ければいずれ薬は尽きる。俺が側にいて提供し続けることが出来ない以上、やるべきじゃない。だったら薄情かもしれないが、何もしないことが最善…。
「そうですか。ところでファルミさんは、元はラガン港の漁師だったとか。ずっとこの土地にお住まいなのですか?」
無力感を感じつつ、話題を変える。ユーナが違和感を感じたのか、横目で俺の様子を窺ってくる。が、何も言わずにいてくれた。
「そうですね。私の家系は親よりも前の世代からずっとこの地で漁師を生業としてきたと、亡き母から聞かされてきました。船が取り上げられてしまい漁に出れなくなって、生活の為に止むを得ず普請に…。」
「船の件もフェイリアさんからお聞きしました。不躾な質問で申し訳ないのですが、どのような経緯でそのようなことになってしまったんでしょうか。」
「私は、ラガン港で漁師頭として漁師のまとめ役をやっていたのですが、私はもちろん、他の漁師たちも常々ガーク商会のやり方に反発を覚えていました。あるときとうとう我慢できなくなり、漁師仲間を募ってガーク商会に意見を申し立てたら、それが反逆と見做されてしまって…ゴホッゴホッ!…見せしめのために漁師頭の私は排除され、船もガーク商会に奪われてしまったんです。」
(ひでぇ話だぜ、まったく。)
「ガーク商会にはそんなことをする権限があるのですか?」
「権限…は分かりませんが、それでも、ガーク商会はサイレル公爵家の後ろ盾があるとのことで、そんな商会に逆らうことは出来ず…。港だけではなくて、このハクシーランでは何をやろうとしてもガーク商会がいるんです。漁師を辞めて他の仕事に就こうにも、『商会に楯突いた者』として誰も雇ってはくれませんでした。なので仕方なく、あの過酷なトンネル工事に…ゴホッゴホッ!…ゴホッゴホッ!」
「お母さん大丈夫!? しっかりして!!」
フェイリアが咳き込む母親の上体を起こし、背中をさする。
(王都ではただの推測に過ぎなかったが、サイレル家とガーク商会がズブズブなのは、この街では公然の事実みたいだな。)
「どうして、どうしてこんなことに…!」
ファルミがシーツをぎゅっと握りしめ、堪えきれず涙を流す。
「この地の元の領主、リーラ・オーマチ様が治めておられたときは、こんな理不尽なことなど…!」
リーラ・オーマチ。その名前がファルミから出た瞬間、横に座るユーナの身体が強張るのを感じる。
(聞かないわけには、いかねぇよな。)
「…旧領主、オーマチ子爵のときは、どのような感じだったのでしょうか?」
俺の問いに「それは…。」とファルミが言い淀む。
(ん? どうした??)
ファルミの言葉を待っていると横からユーナが「ファルミさん、大丈夫よ。私たちもオーマチ子爵を支持しているわ。だから、あなたの考えを誰にも言わないと約束する。」と促した。それを聞いたファルミが安堵の表情を浮かべる。
デクマルシアが『言うに事欠いてリーラ・オーマチを引き合いに出すなど』と言っていたことを思い出す。
(そうか、この街でオーマチ家の話題は禁忌ってことか。まして称えるような発言は一発アウトってことだな。)
「そうだったんですね。」
ファルミはそう言って、意を決したように話し出した。
「旧領主、リーラ様は、それはもう大変立派な方で、貴族にも関わらず私たちのような平民と気軽に話をしてくださるお方でした。実は、私はオーマチ領のときから漁師頭をやっていたのですが、私を漁師頭に推薦してくれたのはリーラ様だったのです。漁師は荒っぽいのが多いんですけど『人をまとめるにはあなたのように冷静で、人と人の間に立って調整できる人間が最適』と仰って下さって…。漁師たちも皆リーラ様をお慕いしておりましたから、リーラ様がそう仰るんだったらそれで、と決まってしまったのです。」
どこか懐かしむように、ファルミは続ける。
「あるときなど、わたしも船に乗って漁に出たいと仰られたときがございました。野良仕事でもするような格好のリーラ様を見た時は、さすがに驚いてしまったんですけどね。…ゴホッゴホッ! それから度々、視察と称して船にお乗りになることがありましたね。家臣の方も参ったような顔をされていましたわ。聞くところによると、漁だけでなく稲作の田植えや、家の建築作業などにも視察と称して出張っておられたそうです。」
ファルミが咳き込みながらも穏やかに語るのとは対照的に、ユーナの拳が白くなるほど強く握られている。
「そういえばそんな中で、一度お子様を連れて参られたことがございました。10才くらいの子で、名前は確かユーナ様と仰っていましたね。リーラ様と同じ、美しい紫の髪と、宝石のような紫の瞳をしておられました。『こいつがいずれこの領を背負って立つユーナだ。これにも我が領の要である漁ってやつを見せてやってくれ。』と、とても豪快に、それでいて慈悲深い目で話しておられたは今でもはっきり覚えています。」
ユーナが口を手で覆い、涙を必死に堪えている。10才の頃の話だ。当時の記憶が嫌が応にも蘇ってきているのかもしれない。
「あんなことさえなければ今頃は…。ご息女であられるユーナ様、それからもう一人ご息女がおられたはずです。お二人とも、どこかで元気に生きておられればいいのですが…。」
「あんなこと、とは?」という俺の質問にファルミの表情が曇る。
「それはもちろん、ラガン港の建設です。あの港の普請から、全てが変わってしまったのです。港の普請は通常、漁師たちが陣頭指揮をとって行います。必然的に普請の現場指揮は私が執ることになるのですが、リーラ様は私には正直に話をしてくださいました。」
そこでファルミは言いにくそうに唇を噛む。黙って続きを待っていると、ぽつりぽつりと話し始めた。
「港の普請自体は問題ない。問題はやり方だ。ヤーライル公爵は湾港建設を急ぐあまり、お前たちを四六時中働かせて使い潰そうとしている。そして使い物にならなくなったら別の土地から人間を入れて作業をさせようとしている。この領の領主として、そんなやり方に首を縦に振るわけにはいかない。…リーラ様は、そう私に話して下さいました。ですから私はこう言ったのです。」
いったん切り、ファルミは続ける。
「公爵からの命令に反対などしたら、どんな処分が下るか分かりません。いったん受け入れて、それから工期などを調整すべきではないでしょうか? と…。するとリーラ様はこう答えて下さいました。普請の受け入れは当然だ。だが受け入れるより先に調整事項があることを公爵に伝えておく必要がある。だが仮に公爵が聞く耳を持たなかったとしても、私がいなくなるよりは全然ましだ、と。ですが結果は…。」
ファルミが続きを口にすることを躊躇し、代わりに顔を伏せた。
「ちょ、ちょっと待ってください。オーマチ子爵は公爵のやり方に反対し、受け入れられなかったから普請にも反対した。その結果処分されたのではないのですか?」
ファルミが力なく首を横に振った後、重い口を開く。
「表向きは、そうです。でもリーラ様はどんな形であっても普請自体は行うおつもりでした。…ゴホッゴホッ!…自分がいない状態で普請が行われることが最も危険だというご意見でしたから。ですからこれは、内情を知る私のような者から言わせてもらえば、リーラ様の処分はただの言いがかりです。」
隣に座るユーナが口を押え、金色のカラコンを着けた眼を信じられないといった様子で見開いている。
「…ウィネ共和国の玄関口、ラガン港を抱えるこの土地は莫大な富と利権を生む。そこを手中に収めたいヤーライル公爵にとって、オーマチ子爵の存在は邪魔でしかない。だから無理難題を押し付け、オーマチ子爵に何かしら意見させ、それを殊更に誇張し事実を捻じ曲げ、ありもしない罪で排除した。そうお考えなのですね?」
俺の問いに、ファルミはゆっくりと頷いた。
リーラ・オーマチがヤーライルと同じような悪君なら、徒党を組んだかもしれない。だが、リーラはヤーライルに靡くような人間じゃない。だからヤーライルは最初からリーラを排除しに掛かったのだ。
「私は、私たちは、リーラ様のご命令とあらば喜んで受け入れたでしょう。たとえ死ぬかもしれない重労働でも、希望を持てたでしょう。私は、あの方の首が刎ねられるのを、黙って見ていることしかできませんでした…なんの恩も返せないまま…! 私ももう長くはありません。あの世に召されたら、リーラ様にやっとお会いでき、謝ることができると…!」
ファルミがシーツを掴み、震えながら涙を流す。
耐え切れず、といった様子でユーナが口を押えて小走りで出て行ってしまった。フェイリアがユーナの背中を不安そうな目で追っている。
「…腹でも、痛くなったんでしょう。必ず戻ってきますから、今は落ち着きましょう。ファルミさん、言いにくいことを教えてくださり、誠にありがとうございました。」
―◇―◇―◇―
しばらくして、ユーナが戻ってきた。目が腫れている。泣いていたのは明白だ。
「先ほどは失礼を。ファルミさん、あなた、今日ここでシューヤと私に会ったこと、それから今日起きた出来事を、絶対に口外しないと誓える?」
ユーナが先ほどの位置に座り、ファルミに問いかける。ファルミは怪訝そうな顔をしていたが、やがて何かを感じたのか「はい…。誓います。」と頷いた。
分かったわ、とだけ言い、ユーナがファルミの額に杖を近づける。すると予想通りファルミの身体が薄緑に発光し、やがておさまった。
「咳、もう出ないでしょ? あと、身体の痛みも無いはずよ。」
ファルミが何かを確かめるようにスーハーと何度か呼吸をする。そして自分の胸に掌を当て「全然…苦しくない。」と独り言ちた。
「回復魔法を掛けたわ。お金はいらない。だから絶対に私たちのことは口外しないでちょうだい。フェイリア、あんたもよ。」
フェイリアが激しく首を縦に振っている。そして「ノ、ノリコさん…! お母さんを助けてくれて、本当にありがとうございました。」と床に額を擦りつけた。
そんなフェイリアを見ながらユーナが告げる。
「…フェイリア、あんたさっきは本当にヘタクソなやり方でデクマルシアに復讐しようとしていたわね。そんなあんたに見せてあげるわ。大人のケンカってやつをね。」
そう決然と言い切り、ファルミに向き直る。
「最後に一つだけ。トンネルの普請、場所はどこ?」
「場所、ですか? 城壁の外、東側の沿岸部に近い場所です。サイレル家の軍隊が警備をしているので、行けばすぐに分かると思いますが…。」
ユーナがふっと笑い「分かったわ、ありがとう。」と言い「ほらツカ…シューヤ、行くわよ。」と席を立つ。
(やる気マンマン、ってところだな。)
「ファルミさん、身体が治っても、またトンネルの普請に携わったら同じ病に冒されます。なので、難しいのかもしれませんが、別の仕事を探してください。」
「…はい、分かりました。もうあんな作業はごめんです。」と顔色が良くなったファルミが、今日初めての笑顔をのぞかせる。
「あとこれ、あんたたちにあげるわ。仕事が見つかるまでの足しにしなさい。」
ユーナが現金入りの革袋を取り出してファルミに渡す。呆気にとられるファルミが「そんな、身体を治して頂いた上にお金まで頂くなんて…」と狼狽する。
「構わないわ。リーラ・オーマチに対する忠義への対価よ。」
―◇―◇―◇―
フェイリアの家を辞去し、ホテルへの帰路に着く。
「お前の回復魔法って本当に凄いな。まさか粉塵の吸引暴露による肺疾患を治せるとは思ってもみなかったよ。」
「きゅういん、ばく、何?」
「いや、こっちの話だ。気にするな。それにしても、これからどうする? サイレル家が真っ黒なのは間違いないだろうが、領主館をどうやって攻めるか…。あと、怪しい交易場所については全く情報が無い。」
「領主館には誰にも知られない抜け道がある。そこから侵入できるわ。あと、不自然に共和国の船が出入りしてるだろう場所、最初っから予想はついてる。」
さらっと重要なことを告げるユーナに力が抜ける。
「お前な、そういうことはちゃんと教えてくれよ。一人で悩んでた俺がバカみたいではないか。」
「あら、だから今ちゃんと言ったじゃない。この街に無事入るまでは言わないでおいただけよ。」
「はぁ、まあいいけど。それで? 船の出入り場所ってどこなんだ?」
「さっきファルミにトンネル普請の場所を聞いたでしょ? あれで確信した。海蝕洞窟よ。トンネル掘って、その洞窟と繋げようとしてるんだと思うわ。物資運搬のための通路確保のためね。」
「そんな場所、よく知ってたな。」
「昔、私もよくその洞窟に行ってたからね。」
「ララス殿下やリーラス殿下とは違って、お前はよく外に出てたんだな。」
「王家の王女といち地方子爵の子供が同じなわけないじゃない。王侯貴族の子女教育がみな同じと思ったら大間違いよ。」
どこかしらすっきりした表情でユーナが言う。ファルミの話のお陰で、もう気持ちのささくれは無くなったようだ。
「ユーナ、ファルミにいくら渡したんだ?」
「秘密よ。まぁでも、ファルミは漁について何も知らない私に懇切丁寧に色々と教えてくれたわ。そのお礼も含めて、ね。」
「覚えていたのか?」と問う俺にユーナはふわりと微笑んだ。




