017_密約
基盤歴369年8月某日夕刻―――ラフログ海峡、ヴェレンタ王国とウィネ共和国の中間地点海域。ガーク商会商船船内。
蝋燭の明かりが船内に陰鬱な明かりを落としている。緑魔石があれば、魔力でもっとマシな光源となるのだろうが、飽くまで商船として運用しているこの船に緑魔石などという貴重な魔石を使うわけにもいかない。
カチャリ。
目の前の女が、こちらが差し出した紅茶に口をつけ、コースターにカップを置く。その音が波で揺れる船内に微かに響いた。
その両脇には護衛が一人ずつ。一人は魔導士、一人は騎士と言ったところか。
こちらも後ろに2人の護衛が控えている。サイレル家当主である自分の護衛人数としては異例の少なさだが、今回は大勢を連れてくるわけにはいかなかった。
それほど危険な、というより、万が一にも知られてはいけない密会なのだ。
「改めまして、ウィネ共和国、将軍モーリン・フェアウの代理人のレナと申します。こちらからのお願いに応じてお越し下さり、誠にありがとうございます。ヤーライル・サイレル公爵殿。お目にかかれて光栄ですわ。」
先ほど短艇で接近し、錨泊させたこの商船に係留して乗り込んできたレナなる女が、澄まし顔で嘯く。
「レナ殿、と言ったか。貴殿はモーリン将軍の代理とのことだが、此度の面会はウィネ共和国からのお願いではなく脅迫だろう。」
共和国には借りがある。共和国に知恵を借り、その知恵を使って王家を欺いている我が身を顧みる。後ろめたさを感じることはないが、そのことはもちろん共和国には知られている。そんなこちらの弱みを握る共和国とは、今のところ協力関係を築けているが、裏を返せば共和国の気分次第で窮地に立たされるのも事実だった。そのことが、この女を必要以上に警戒させる。
「あら、人聞きが悪いんですのね。」
「事実だろ。断れば、私の不正を国王に密告するつもりだったのだろう?」
目の前の女が思わずといったふうに吹き出して笑う。
「まさか。そんなことをして共和国になんの得があるというんです? あなたという大切なパートナーがいなくなったら、モーリン将軍がとっても悲しみますわ。」
「あなた、だと? 貴様代理人のくせに随分と無礼な物言いではないか。モーリン将軍にとって私がどれほどのものか、ここで貴様を切り捨てればはっきりと分かるかもしれんな…!」
後ろに控える護衛が剣に手をやる気配がする。それに応じ、向こうの護衛2人も臨戦態勢を取る。
「ハイハイあなたたち、ほんの戯れよ、た・わ・む・れ。」
レナがひらひらを手を振り、向こうの護衛が下がる。構わずレナが続ける。
「ご気分を害されたなら謝罪しますわ。でもそんなに警戒されなくともいいじゃありませんか。本日は、サイレル公爵家にとっても、我が共和国にとっても、とても利のある話を持ってきたのですよ? そのためにお呼びしたのです。」
そう言うと、レナがテーブルに肘をつき、指を組んだ手に顎を預けた。その顔には、不敵な笑みが張り付いている。何から何まで不快な女だ。
「何をバカな。共和国に利して、かつ王国に利するようなことがあるはずがない。どんなお話か分かりませんが、聞く気はございませんよ。」
不敵な笑みはそのままに、レナの眼がスッと細められる。
「あら、ではなぜこんな海峡くんだりまでわざわざお越しになったのでしょうか?」
「それは…。先ほど申し上げた通り、私には選択肢などなかったからですよ…!」
「共和国から王国への密告など、本気であり得ると判じる公爵殿ではございませんわ。そんな見え透いた嘘なんて仰らずに、もう少し本音で話し合いたいものですね。」
「初対面の貴殿と私とで、本音での話し合いなど有り得な…」
「では嘘だとお認めになるのですね?」
間髪入れずに図星を突かれ、沈黙が流れる。
三拍ほど後、レナがクスっと笑った。
「冗談ですわよ、冗談。でも本音で話したいのは、それこそ本音ですわ。本音ついでに、こちらの本音をお聞かせしましょうか。」
「本音、だと…。」
「サイレル公爵殿、貴殿は共和国からの胡椒の輸入でとても儲けていらっしゃいますわね。それをほんの少し、共和国にも還元してほしいのです。」
「…還元? どういう事だ?」
「海路を用いた交易が一般的になって約20年。各国それぞれ鎬を削っていますわ。でも、それは造船などの技術発展も同じです。造船技術の先駆者はご存じの通りテキラ公国なんですけど、未だに共和国の軍船はテキラ公国海軍に劣ってましてね、ちょーっと、そろそろ追いつかないと不味いんですよ。そのための開発資金が必要なわけです。」
「共和国の軍事資金に王国の金を使わせろというのか!?」
こちらの怒声もどこ吹く風。レナが涼しい顔をして告げる。
「王家やクララ国王への忠誠心なんてないくせに、忠実な家臣を演じるのはお止めいただいてもよいでしょうか。もちろん、タダでとは言いませんよ。最初に申し上げた通り、共和国にもサイレル家にも利がある話です。」
そう言うやいなや、レナが後ろの護衛に合図する。合図を受けた護衛は、この船に運び込んだ大きな木箱を持って入ってきた。
「ヤーライル殿、見返りにこういうのはいかがでしょうか?」
レナが言い終わるのを待たず、護衛が言葉もなく木箱を開け、こちらに差し出す。
木箱の中には剣、盾、弓矢、フルプレートの甲冑が収められていた。
「槍は長いので入らなかったのですが、勿論ございますよ。」
「…何のつもりだ…?」
そう、言葉を絞り出すのがやっとだった。
「この期に及んでしらばっくれるのはどうかと思いますよ? 王家に攻め入るには武器が必要でしょう。これら共和国製の武器をたくさんお売りしますので、公爵には買い取っていただきたいのですよ。」
「…」
目が木箱、木箱の中に入った武具から離れない。
「サイレル公爵領に攻め入るのではなく、王国南部を仕切るサイレル家と協力関係を結んだほうが良いと進言したのはポルリンですのよ。ポルリン・フェアウ、ご存じでしょう? モーリン将軍の長子ですわ。もう4年も前の話らしいですけどね。武力で北方遠征をしようとしたモーリン将軍を説得し、まずは王国南部のサイレル公爵家を味方に付けようと進言したのです。モーリン将軍は最初こそ渋っておられたようですが、最終的には娘・ポルリンの意見を採用しましたわ。
胡椒の取引を利用した不正のやり方を貴殿に教えたのも共和国です。少しは、還元してもらってもよいと思ってるんですけどね。それに、王都を攻めるにはこういった道具が必要じゃありませんか?」
「…何が…武力だ。未だテキラ公国さえもまともに落とせん者たちが…」
意味のない抗弁、的を射ない時間稼ぎだということは自分でも分かっている。分かっていても、何か抗う言葉を紡ぐことを止められない。
「テキラ公国、さすがこの交易時代の先駆者だけあって、とぉーっても強いんですの。ですからね、公爵。公爵が王都を攻め滅ぼして独立を果たした暁には、共和国と同盟を結ぼうではありませんか。テキラからは、少しばかりですが緑魔石が採掘できるのですよ? まぁそんなこと、私が言わずともご存じですわよね?」
喉が渇く。言葉が出てこない。
「それとも、このまま指を咥えてヤーライル殿の不正を見逃してくれる程、クララ国王はお優しいのでしょうか?? 不正の証拠なんて掴んでるとは思いませんが、ヤーライル殿が王家に背いていることくらい、とっくの昔に気付いてるんじゃないですか? まぁそもそも、そんなことは百も承知で不正を初め、資金を懐に溜め込んできたんでしょう? いずれ王家に反旗を翻すときの資金として。」
国王クララ・ウィンダー。この地方分権の王国にあって、立場に甘んじふんぞり返っているだけの女の顔を思い浮かべる。
この王国にあって誰が最もこの国を支えているか分かっていない愚か者。この私をインバイトやキートなどと同列の扱いにして…。確かに湾港整備の重要性を認め、ラガン港建設を指示したことは適当だったと言えよう。だが、常に共和国や公国の船舶が往来する海を目の前にしている自分とは根本的に危機意識が違うのだ。もはや王国の中心は王家ではなく、この南部沿岸部を仕切るサイレル家であるはずなのだ。いや、そうでなくてはならない―――。
「もとから、王家とやり合う気満々だったんじゃないのかしら。ね、公爵殿。」
レナの声が甘美な響きをまとって脳内に反響する。
そうだ、その通り。ポルリンの策に乗ってから、私は王家との対立を覚悟していたのだ。いや、それよりも前、リーラ・オーマチを嵌めて処刑し、旧オーマチ領を直轄地にしたときから…。
「…取引場所は、ラガン港でいいのか…?」
その言葉を、無意識に口にしていた。
「ありがとうございますぅ。ご興味持っていただいて。」
レナが獲物を仕留めた狩人のような笑顔を覗かせた。
―◇―◇―◇―
陰鬱な船内で、サイレル公爵家とウィネ共和国における武器密輸に関する非公開取引について調印を交わす。
『ウィネ共和国総統 モーリン・フェアウ』と書かれた直筆のサインの横に『ヴェレンタ王国公爵 ヤーライル・サイレル』とサインする。
一部はレナに渡し、一部はこちらで保管する。
調印書を受け取ったレナが「これでモーリン将軍もお喜びになられますわ。サイレル公爵殿、サイレル家と共和国に栄光ある未来を。」
「えぇ、そうですね。」
ふぅっと、全身から力が抜ける。もう後には退けない。それもこれも、あの女が悪いのだ。この南部の重要性を認めない、あの国王が…!
クスっとレナが笑う。
「そんなに心配せずとも大丈夫ですわ。胡椒の需要はコレからもどんどん伸びますから。」
この女は信用ならん。信用ならんが、今は従うしかない。
「それがですね、王国最大の商会が我々からの胡椒の取引量をだんだんと減らしているんです。」
「あら、それはどうしてですかね?」
「さぁ、まだなんとも。最大商会の奢りで、取引量を減らせば安値で卸してくれるとでも思っているのでしょう。まぁ、ご心配には及びません。これまで溜め込んだ潤沢な資金がありますから。それを使って貴国から武器を買えば、王家と十分戦えます。」
「それを聞いて安心しましたわ。サイレル公爵家、いえ、サイレル王家が独立しても、変わりなく胡椒は提供させていただきます。」
「お戯れを。まぁ、戦争期間が長引けば長引くほど我々に有利になります。いざ王国との戦争に突入した場合、本当に物資の供給は期待してもよいと思っていていいんですね?」
「勿論です。共和国は直接的に戦闘には参画出来ませんが、食料や軍需品などの必需品は共和国から供給し続けることをお約束しています。そのお話は既に合意済みだと聞いていますが?」
「いや、そうですね。申し訳ない。モーリン将軍とはお約束していましたが、いざ現実味を帯びてくると、さすがに不安になりましてね。」
「確かにお気持ちは分かりますが、戦時に公爵を支援するのは共和国の確定的な方針です。もっと安心してくださいな。戦争が長引けば長引くほど、インバイト家は帝国に、キート家は連邦と法国に付きっ切りになります。そうなったとき、強固な兵站を持つのは共和国からの支援を受けているサイレル家だけなのです。万に一つも破れはしませんよ。」
ふぅっと息を吐く。
そうだ、その通りだ。一体何を不安に思っているんだ。潤沢な資金に、十分な武器装備。そして途切れることの無い兵站。王家相手に負ける要素が何もない、何も無いのだ。今更臆病風に吹かれてどうする。
「いえ失敬。くだらないことをお聞きしました。忘れてください。」
「それはよかったですわ。では、武器取引も変わらずガーク商会を通すでよいんですのね?」
「はい、それでお願いします。」
「承知いたしました。ガーク商会当主、デクマルシア殿にもいつかお会いしたいものですわ。」
「そうですね、姉上も喜んでお会いになると思いますよ。」
「ちなみに、先ほどはああ言いましたが、取引場所はラガン港ではなく、どこか隠れて交易できる場所が望ましいですわ。中央への入出港実績を誤魔化すのも大変でしょうしね。」
「確かにそうですね。取引場所の候補は姉上から追ってご連絡することとします。」
レナがふっと微笑し「さて、話がまとまれば長居は無用。我々はこれでお暇いたします。大変有意義なお時間、ありがとうございます。」とレナが慇懃に頭を垂れる。
「はい、こちらこそ。」
その言葉を合図に、レナと護衛2人が部屋から出ていく。
この商船に係留している短艇に乗り込み、そのまま近くで錨泊しているであろう共和国軍船に乗り換えるのだろう。
「共和国の使者が去ったら、急ぎ我らも領に戻る。発進の準備を整えよ。」
護衛に命じ、得体のしれない不安を拭ったつもりになった。




