010_持家
食堂にて、しばし途方に暮れる。
食堂、そう、ここは食堂だ。断じて一般人が想像するような『リビングダイニング』ではない。
「食堂、だな。」
「食堂、ですね…。」
おずおずと隣の部屋に向かう。
そこは―――
「厨房、だな。」
「厨房、ですね…。」
ここは厨房だ。断じて一般人が想像するような『キッチン』ではない。
ふぅ、と自分を落ち着かせる。
そして、(広すぎるだろーーー!!!)と心の中で絶叫する。
本当は口に出して叫びたかったが、横にミラがいるので自重した。
先ほど、プレート表札が掛かった門を抜け、タラーレから貰った鍵を使って玄関を開けた。
やたらに広い石床の玄関を抜けて、まず目に入ったのが先ほどの食堂、そしてこの厨房だった。
「と、とにかくミラ、まずは間取りの把握だ。その後、各人の部屋割を決めよう。」
「わ、分かりました…。まずはこの家、いえ、屋敷の間取り把握ですね…。」
―◇―◇―◇―
ミラと共にひとつずつ部屋をみて回り、結論、以下の通り。
■1階
・玄関:約6畳
・食堂:約25畳
・厨房:約12畳
・食糧庫:約6畳
・物置:約6畳
・客間:約8畳
・書斎:約8畳
・浴室:約4畳
・使用人部屋:約6畳
■2階
・主寝室:約16畳
・客間:約12畳
・書斎:約10畳
・物置:約12畳
・部屋:約10畳×2部屋
「ミラ、正直言ってこんなに広いとは思わなかった。使用人はお前ひとりだが…その、無理はしないでくれよ。」
「だ、大丈夫です! 仕事のしがいがあります…!」
「な、ならいいんだがな…。コホン、さて、取り敢えずミラの部屋を決めないとな。2階の客間が広いが、どうだ?」
「わ、わたしはどこでも構いません。…ただ、広すぎるのはちょっと落ち着かないというか、なんというか…。」
「そうか、では1階の客間にしよう。住むための部屋の中では最も狭い。あと、使用人部屋は仕事用に自由に使うといい。」
「二部屋も使わせてもらってよいのですか!?」
「こんなに広いとな、逆に使ってもらったほうがありがたい。」
「わ、分かりました…ふふっ」
見ると、ミラが思わずといったふうに微笑んでいる。
「どうした?」
「いえ、今日王都に来て驚くことが沢山ありましたけど、もうここまで来ると楽しくなってきました。この屋敷は広いです! わたし、明日から使用人として忙しくなりそうです!」
振り向いたその無垢な笑顔にドキリとする。
「そうだな、明日から忙しくなる。だから今日くらいは何もせず新居祝いでもしよう。ミラ、今晩だけ特別な酒を出してやる。済まないが夕飯だけ用意してくれ。俺もこの辺りの地理には詳しく無いから、今日の買い出しは一緒に行こう。」
「ありがとうございます! 楽しみです…! 早速買い出しに行きましょう!」
―◇―◇―◇―
市場に買い出しに行き、家に戻る。
空き家だったとはいえ、フォルテ商会が管理していたこともあり、多少埃っぽいだけで清潔だった。
家具は最低限残されており、テーブルや椅子、ベッドや机などといった大物はそのまま使える。
幸いなことに、食器やカトラリー類も残されていたのでありがたく使わせてもらうことにする。
欲を言えば風呂が欲しいが、そこはおいおいどうにかしていこう。元世界の物を召喚して何かできるかもしれない。
「お待たせしました! 今日は干し肉のシチューと穀物のスープを作ってみました! お口に合うと良いのですが…。あ、あと、ツカサさんからいただいた小麦で白パンも焼いてみました! これ、とっても美味しいんですよ!」
だだっ広い食堂で食べる気にもなれず、1階の客間で食べることにする。
「おー、美味そうじゃないか。早速いただこうか。ミラの手料理、だな。」
「はい! なのでとても緊張してます。もしお好みの味付けなどあればなんなりと仰ってください。」
「分かった。では今日は引っ越し祝いだ。大いに楽しもう。」
テーブルに皿が並べられていく。
ミラがソファに座り、目を閉じ、右の掌を胸に当て、しばし祈るような仕草をする。
目を開け、カトラリーを手にする。
「それは、この国での食事の前の儀式か?」
「あ、はい、そうです。豊穣の神サーナクに感謝してからいただくのです。ツカサさんの故郷はちがうのですか?」
「あぁ、本質は同じだと思うが、ちょっと違う。俺の故郷ではこうするんだ。」
と言い、合唱して「いただきます。」と言った。
「それは、どのような意味があるのですか?」
「今このテーブルに並べられている品は、植物であれ魚であれ肉であれ、全て命だ。食べることは、自分の命を生き永らえさせるために、それらの命を奪うことだ。だから、それらの命に感謝して心していただく。そういう意味がある…と思う。」
「すごい深いですね。でも、確かにその通りです。動物は勿論、植物だって生きているのですから。」
「まぁ、こういうのは信仰だ。別に俺は俺、ミラはミラでいいと思うぞ。ほら、早く食べないと冷めてしまう。」
とだけ言って、料理に手を伸ばす。
ミラが作ってくれたシチュー、スープ、パンをそれぞれ頬張ってみた。
どれも素材の味が活きていて、ミラの料理の腕を証明している。
(かなり美味しい方だと思うが、やはり味が薄いな。これはミラの料理の腕の問題ではなく、調味料の問題だな。)
ミラが食い入るように見てくる。評価が気になるらしい。
「ミラ、正直驚いた。料理が得意だと言っていたが、まさかこれほどだとは思わなかったよ。取り敢えず、俺はこの家で食事を楽しみにできる毎日を送れそうだ。」
ミラの顔がパッと明るくなり、目元に涙を浮かべる。
「良かった…。ツカサさんにそう言って貰えて、とても嬉しいです。私、三年前に両親を亡くして以来、食事はいつも一人だったんで、誰かと食事ができるだけでも嬉しいですのに…。その上そんなに褒めて貰えるなんて…。」
俺が、最後にこんな風に誰かと温かい食卓を囲んだのはいつだったか。
離婚直前? いや、もうあのときには家庭内別居状態だった。だったらいつだ? いつから礼奈と結衣と3人で食事をしなくなったのだろうか。結衣が産まれたときはまだ礼奈と一緒に食事を食べていた気がするが…。そんなことさえ、思い出せないなんてな…。
「ツカサさん…?」
ミラの言葉に我に返る。
「い、いや、何でもない。そうだミラ、今度から料理をするときにはこれを使うといい。そうしたら更に美味しくできるぞ。」
ミラに天然塩と昆布を渡す。
「これは…?」
「塩と、出汁を取るための植物だ。」
「塩!? 塩なんて高級なものを、こんなに…!?」
「構わない。無くなったら言ってくれ。だが、他言無用だ。」
「わ、分かりました。それで、こちらの植物、こんぶ?とは? とても硬いですが…。」
「それは海に生える海藻を乾燥させたものだ。それを湯でもどすことで、その植物の旨味が湯に移る。その湯でスープを作れば、各段にスープが美味くなる。さっきの塩も使って味を濃くすれば、更に美味しいスープが出来上がるはずだ。とにかく、時間があればやってみるといい。」
「そんな料理方法があったのですね…!? ツカサさん、色んな知識をお持ちなのですね。」
「ま、まぁな。さて、今日は引っ越し祝いだ。酒を出そう。ミラも大いに飲むと良い。」
『町田○造 直汲み特別純米55 1800㎖』を召喚し、ミラと自分のグラスに注ぐ。
「これは、お酒なのですか?」
「あぁ、米という穀物から醸造した酒だ。飲んでみるといい。」
促されたミラが、日本酒に口を付ける。
「美味しい…!? この、お酒なのに甘いような、それにこのシュワっとした感じ…。こんな美味しい飲み物がこの世にあったなんて…!」
「当然だ。この格の酒は、王族だって口にしたことは無いだろうな。」
「王族って…。わたし、とんでもない方の使用人になってしまったようですね。」
「今更だぞ、ミラ。」
―◇―◇―◇―
しばしミラと歓談しながら食事を楽しむ。その中で、ミラはザルを超えて枠だということが分かった。
一升瓶はもう殆ど残ってないが、その殆どをミラが消費している。
(コイツ、酒めっちゃ強ぇ…。実は高知県出身、とかか? 俺も酒の強さには自信はあったけど、ミラには絶対に敵わねぇ…。)
「あ、今日ツカサさんから買っていただいた白いワンピース、とても素敵で気に入っています。ちょっと、今、着替えてきていいですか?」
「あ、あぁ、構わない。そんなに気に入って貰えたら、買った甲斐があるな。」
てへへ、とはにかんでミラが部屋から出ていく。
暫くの後、部屋に白いワンピース姿のミラが入ってきた。
「どう、ですか…?」
「うん、似合ってる。それを見た時、絶対にミラに似合うと思ったんだよ。どこか正式な場に出るときは、それを着るといい。もちろん、気が向いたときにいつ着てもいいがな。」
「あ、ありがとうございます…!」
その場でクルリと回り、ワンピースのスカートがふわりと舞う。
「あ、じゃぁ、ちょっと恥ずかしいですけど、あのメイド服も着てきます…!」
「え、あれは…」
「いいんです。どんな服だってツカサさんが私に買って頂いた大切な装いです。あれを着てツカサさんが喜んでいただけるなら、私だって嬉しいですから!」
無垢な笑顔でミラは部屋出ていった。
(あのメイド服は反則レベルだからな…。理性が吹っ飛びそうだぜ…。)
そんな煩悩に浸っていると、
―――ドンッ!ドンッ!ドンッ!―――
玄関のドアノッカーが叩かれていることに気付いた。
(ん? こんな時間に誰だ?)
ミラは着替え中。仕方なく玄関まで行き、扉を開ける。そこにはシルバーの髪を夜風に靡かせた―――
「ポーラ…さん。」
「ツカサさん、ごきげんよう。どうされましたの? そんな幽霊でも見たような顔をして。…それにしてもこの家、懐かしいですわ。」
「懐かしい?」
「はい。この家は私が産まれた家ですわ。その後お母様の手腕によってフォルテ商会は今の規模に発展しました。あの豪邸に居を構えるまでは、この家に住んでいたのですよ?」
「そう…なんですか…。あの、それで、何用で…。」
「あら、随分冷たいのですのね。取り敢えず中に入れて頂いてもよろしくて?」
「はい…どうぞ、おあがりください。」
ポーラは玄関を過ぎ、食堂に入る。
「うーん、何も変わっておりませんわ。いつもこの食堂で喫食していましたもの。」
振り返り「ツカサさん、自由に生きたいと仰っておられましたわね?」と問いかけてくる。
「…はい、それが…?」
「あれから私も考えましたの。結果、私も自由にすることにしましたのよ?」
「自由に?」
「えぇ、私も私の意志で自由にここにお邪魔することといたします。取引相手として、構いませんわよね? もしかして、あの時、あの馬車の中で、あんなことになったから私が会いに来なくなると思ってまして??」
(ポーラさん、強ぇな。いや違う、強いんじゃない。この娘は、この選択の結果、自分がどれだけ傷ついても構わないという覚悟で来ている。俺は、それが分からない程鈍くはないぞ…。 だったら…)
諸手を上げる。
「ポーラさん、いや、ポーラ、お手上げだ。まさかここまでの捨て身で来るとは思わなかったよ。」
「…あら、正面から受け止めてくれるんですのね…?」
ポーラの目が、潤む。
「とはいえ、まだ俺の気持ちは変わらない。ポーラが来てくれたのは嬉しいよ。でも、それとは別に、な。ポーラをこの先幸せにできる自信がない。こんなしょーもない奴の、何がいい…?」
「前も申しました通り、私が誰を好きになろうと誰にも文句は言わせませんわ。ツカサさん、あなたのそのくだらない懊悩も含めて受け止めましてよ。…迷い悩まない人間など、逆に願い下げですわ…!」
ポーラの射貫くような、それでいて縋るような目に、視線を逸らせなくなる。
その時、客間の扉が開き、ミニスカメイド姿のミラが出てきた。
「あ、ツカサさん、こんなところでどうされたんですか?」
「…ミラ、さん?」
ミラとポーラがお互いを認める。
「あ、ポーラ様…! いらしてたんですか!?」
ポーラがミラの姿に上から下まで視線を這わせる。
そして再びこちらに顔を向ける。
薄く微笑み、が、目は笑ってない。
「ツカサさん、これは一体どういうことなのかしら?」
「こ、これは…」
「私には冷たくなさるくせに、ミラさんにはこんな破廉恥な装いをさせて、随分とお楽しみのようではございませんか? そのメイド服、露出が多くてその手の趣味をお持ちの富豪や貴族たちに人気の新作ですのよ。」
「ご、誤解だポーラ。今日、ミラの服を新調しにいったら、店員から強く勧められて、つい…」
「私が今日、王都に着てきた服がボロボロだったので、いくつか新調いただいたのですが、これはその一つで…」
「そう! だからこれは誤解だ。買うつもりはなかったが、ミラにとても似合ってたものだから…他の服を買うののついでに…。」
「それのどこが誤解でして??」
ニコニコ顔のポーラが恐い。
「私はこれまで、お洋服はおろか、お食事のひとつもご馳走していただいたこともございませんのに。」
「「…」」
ポーラがふぅっと溜息をつく。
「ツカサ様、私決めましたわ。今日からここで私も生活いたします!」
「ぇえ!?」
「もちろん、この家は既にツカサ様のものですので、毎月の家賃はしっかりお支払いいたしますわ。で・す・の・で、明日、私の荷物をここに運び入れるよう手配いたします。ご異論は?」
「…………ない。。」
「ミラさん、あなたも使用人とはいえこの屋敷の大切な一員なのです。仲良くしてくださいまし、ね。もともとここに住んでいたので勝手は分かりますわ。何か分からなきことがあれば、お気軽にお声がけなさってくださいな。」
「は、はい! 宜しくお願いいたします…!」
(あー、胃が痛ぇ…。)
―◇―◇―◇―
目の前のソファに、澄ました顔のポーラと、すっかり恐縮してしまった様子のミラが腰掛けている。
テーブルには食べ終わった皿と、もう残り殆どない一升瓶、それから二人分のグラス。
先ほどまでミラと飲み食いしていた客室にポーラを招き入れ―――まずは一旦片付けよう。
「ひとまず、仕切り直しといこう。ミラ、済まないがこれらを片付けてくれないか。あと、新しいグラスを3つ頼む。」
「は、はい! すぐに…!」
一升瓶は自分で道具箱に収納する。
ミニスカメイド姿のミラがカチャカチャと皿を下げるのを横目に口を開く。
「ポーラ、ここに住むとはいっても、商会の方はいいのか?」
「問題ございませんわ。朝商会に行って、仕事が終わればここに帰ってきますから。」
(サラリーマンかよ!)
「…そうか。で、部屋割は?」
「そうですわね…2階の南東側の部屋をお貸しいただければ幸いですわ。」
「分かった。とはいえ仕事もあるだろうから、2階の書斎も好きに使うといい。ミラには1階の客室、まぁこの部屋だが、と、使用人部屋を割り当てる予定だ。俺は2階の主寝室だけで十分だしな。」
「ありがとうございますわ。…今日ここに来て、もし追い返されたらどうしようかと思っておりましたのよ…。」
「追い返すなんてっ…! そんな真似はしない…。だが…時間をくれ。」
「勿論ですわ。…ふふっ。これではまるで押しかけ女房ですわね。」
キィ、とドアが開き、ミラがグラスをテーブルに並べる。
「わたくしも、ツカサさんの前ではミラさんのような格好をしたほうがよろしくて?」とポーラが悪戯っぽい笑顔を向けてくる。
(それは非常に良くないな。耐えられないから、うん、良くない。)
「冗談はその辺にしてくれ。ミラ、お前も普段着に着替えててきてくれ。」
そう言うと、ミラは一礼して出ていった。その背中を見送り、ウィスキーとチョコアソートを召喚する。
「商品としては扱っているが、ゆっくり味わう機会はなかったんじゃないか。今日は、これで締めよう。」
「いいですわね。こちらの品々、本当に富豪や貴族相手に飛ぶように売れているのですわよ。」
「それは良かった。ところでミラだがな、あり得ないほど酒に強い。恐らく、一晩でこのボトルを空にしても平気なはずだ。もしかしてこの国の人たちはみんなそうなのか?」
ポーラが口に手をやって驚いている。
「ミラさん、お強いですのね。私は自分では普通だと思ってるのですが、このボトルを空にしたくらいで酔っ払ってしまいますわ。」
(嘘だろ…?)
「そ、そうか…。」
キィ、とドアが開きミラが入ってくる。2人の視線を浴びて「…お二人ともどうされたんですか?」とキョトン顔だ。
「いや、何でもない。さて、仕切り直しだ。チョコをつまみに琥珀酒と洒落込もう。」
「ミラさん、琥珀酒もチョコも初めてですわよね? どちらもとっても美味でしてよ。さ、早くお座りになって。」
「ありがとうございます! いただきます!」
ウィスキー片手に三人で乾杯し、チョコをつまむ。
そんなふうに、引っ越し初日の夜は更けていった。




