EP 6
忍び寄る影。非正規農夫、剣を抜く
金曜カレーの熱気と興奮が冷めやり、ポポロ村に穏やかな午後の時間が戻っていた。
真一は、村の共同洗い場でエプロン姿のまま、丁寧に木皿や鍋を洗っていた。軍隊において、調理と同じくらい片付け(後方支援)は重要である。
「さて、午後の農作業に戻るか……」
真一が濡れた手をエプロンで拭い、一息つこうとしたその時だった。
――ピリッ。
真一の肌が、微かな『殺気』を感知した。
それは、長年イージス艦の艦橋でレーダーの僅かな異常を嗅ぎ取ってきた直感であり、若き日に裏社会の抗争で磨き抜かれた野性の勘だった。
視線を向けると、農場の外れにある防風林の奥から、数人の人影が音もなく忍び寄ってくるのが見えた。
粗末な革鎧に、血の匂いが染み付いた刃物。三大国の正規軍ではない。おそらく、国境地帯を荒らして回る野盗か、どこかの国の非正規の傭兵だろう。
彼らは、村の自警団の警戒網の穴を突き、食料や金品を狙って侵入してきたのだ。
「ヒヒッ……この村は金も食い物も腐るほどあるって噂だ。まずはあそこで皿を洗ってる無防備なオッサンを血祭りにあげて……」
茂みに潜む野盗のリーダーが、下劣な笑みを浮かべながら真剣を構えた。
その距離、およそ二十メートル。
遠くの監視塔で異常に気付いたリバロンとニャングルが、顔色を変えて駆けつけようとしていた。
しかし、彼らが動くまでもなかった。
「……やれやれ。食後のコーヒーを飲む前に、面倒事を持ち込まんでくれ」
真一は深くため息をつくと、洗い桶の横に立てかけていた愛刀『正宗』を左手に取った。
エプロン姿に日本刀という、極めて場違いな出で立ち。
しかし、彼が正宗の鯉口を左手の親指でカチリと切った瞬間――その場の空気が、完全に凍りついた。
「な、なんだ……!?」
野盗たちの足が、本能的な恐怖でピタリと止まる。
純白の作業着の背中に、見えないはずの『阿吽の仁王像』が浮かび上がったように錯覚したからだ。
出雲艦隊打撃軍・総司令官。
そして、かつて広島の裏社会を力と義で束ねた、元暴走族総長。
数千人の命を背負ってきた男の『覇気』が、隠すことなく解き放たれたのだ。
「ワシの食後のくつろぎに、泥を被せる気か。……ええ度胸じゃのう」
ドスの効いた低い声。
真一の口から、極度の緊張状態や戦闘時にのみ現れる、荒々しい広島弁が漏れた。
次の瞬間、真一の姿がフッと掻き消えた。
――琉球古武術・歩法『縮地』。
常人の動体視力では追えない神速の踏み込みで、真一は瞬時に二十メートルの距離をゼロにした。
「なっ――!?」
野盗のリーダーが反応するより早く、静謐な銀の軌跡が空を薙いだ。
北辰一刀無双流――『抜刀・一閃』
音すら置き去りにする、神速の居合斬り。
刃は野盗の身体を斬ることはなかった。だが、彼らが構えていた分厚い鋼の剣、身につけていた革鎧、そして彼らの背後にそびえていた直径一メートル近い大樹が――ズレるようにして、斜めに真っ二つに両断された。
ドスゥゥゥン……ッ!!
遅れて、背後の大樹が地響きを立てて倒れ込む。
野盗たちは、自分たちが握っている『柄だけになった剣』と、エプロン姿のまま正宗を静かに鞘に納める真一の姿を見て、完全に腰を抜かした。
「命までは取らん。……だが、二度とこの村を跨ぐな。失せろ」
真一が冷徹な視線で見下ろすと、野盗たちは悲鳴すら上げられず、泡を吹いて気絶するか、這うようにして森の奥へと逃げ去っていった。
◆ ◆ ◆
「…………」
少し離れた場所からその一部始終を見ていたリバロンとニャングルは、言葉を失っていた。
「……リバロンはん。今の、見えたか?」
ニャングルが、咥えていた煙管を取り落としながら震える声で問う。
「いえ……全く。刀を抜く気配すらありませんでした。あの神速の歩法に、鋼鉄を一刀両断する恐るべき剣術。……さらに、あの男から放たれていた『万軍を率いる将の覇気』。ただの農夫などでは断じてありません」
リバロンは、人狼族の鋭い嗅覚と本能が「絶対に逆らってはいけない生物だ」と警鐘を鳴らしているのを感じていた。
「な、なんやあのオッサン……ホンマにバケモノやないか……」
こうして、ポポロ村の裏の首脳陣たちは、坂上真一という男の「真の恐ろしさ」を骨の髄まで理解することになった。
当の真一は、何事もなかったかのようにエプロンの埃を払い、「さて、コーヒーキャンディでも舐めるか」と呟きながら、洗い場へと戻っていくのだった。




