EP 10
提督の矜持。「飯が美味ければ、戦争は起きん」
夜のポポロ村は、深い静寂に包まれていた。
路地裏にひっそりと佇むBAR『鬼龍』。カラン、と重い木扉が開き、真一が暖簾ならぬ薄暗い店内へ足を踏み入れた。
店内には、ショパンの『夜想曲 第20番 遺作』が、古い魔導蓄音機から静かに流れている。
カウンターの奥には、白シャツにワインレッドのタートルネックを合わせた龍魔呂が立っていた。手元では、本焼きの柳刃包丁が滑らかな動きで何かを切り分けている。
「……遅かったな、オッサン」
「ああ。PXの棚卸しと、明日のPRO型の仕込みがあってな。繁盛しすぎるのも考えものだ」
真一はカウンターのいつもの席に腰を下ろし、胸ポケットから銀のスキットルと、『酒保』から取り出したタッパーウェアを置いた。
「俺の特製、大根とキュウリの浅漬けだ。それと、酒保から出した『焼き鳥の缶詰(タレ味)』だ。……アレンジを頼めるか?」
「……悪くない」
龍魔呂はタッパーの浅漬けに鷹の爪と白ごまを散らし、美しく小鉢に盛る。焼き鳥缶は、バーナーで香ばしい焦げ目をつけ、ほんの少しの山椒と、自家製のネギダレを絡めた。
手際よく出されたそれらをアテに、真一はスキットルの芋焼酎を舐めた。
「……美味い」
真一が低く唸る。焼き鳥の濃厚なタレと山椒の刺激が、芋焼酎のガツンとしたアルコールと完璧な相乗効果を生んでいた。
「で? 国境の最前線で、アホみたいなお祭り騒ぎが起きてるって聞いたぜ」
龍魔呂がグラスを拭きながら、面白そうに口角を上げた。
「帝国軍と獣人軍が、仲良く肩を並べて『オッサンの作ったおでん弁当』に並んでるらしいな。あちこちのギルドや情報屋が、ポポロ村の兵站戦略にひっくり返ってる」
「ただメシを売っているだけだ。……だが、効果は覿面だったな」
真一は焼き鳥を一本平らげ、ハイライトを取り出した。
シュボッ、とマッチブックで火を点ける。
「人は、腹が減るから争う。自国のメシが不味く、飢えと寒さに震えれば、隣の国から奪いたくなる。それは兵士も、それを命じる上層部も同じだ」
真一は深く煙を吸い込み、宙に向けてゆっくりと吐き出した。
「だが、満たされていればどうだ? 毎日、決まった時間に熱々で極上の弁当が届き、甘い菓子があり、タバコがある。……そんな快適な戦場で、誰が命を懸けて突撃の命令に従う?」
龍魔呂の目が、微かに見開かれた。
武力で敵をねじ伏せるのではない。敵の『闘争本能』そのものを、美味いメシという「快楽」で完全に溶かしてしまう。
それは、何万という兵士の心理を知り尽くした、元・出雲艦隊総司令官だからこそ描ける、冷酷なまでに平和的な悪魔の盤面だった。
「……えげつねえ戦略だ。あんたの作った弁当のおかげで、三大国は事実上、軍隊を動かせなくなったわけだ。ポポロ村は、誰にも不可侵の『絶対聖域』になっちまった」
カチッ。
龍魔呂は真鍮製のオイルライターで、マルボロ赤に火を点けた。
死を呼ぶ四番(DEATH4)として、血と殺戮でしか悪を裁けなかった龍魔呂にとって、真一のやり方はあまりにも異次元だった。
「……血を流さずに戦争を止める。あんた、本当にただのオッサンか?」
龍魔呂の問いに、真一はふっと優しく、大人の男の余裕を漂わせて笑った。
「言ったはずだ。俺はただの非正規農夫で、売店のオヤジだ。……だがな、龍魔呂」
真一の瞳の奥に、確かな将官としての矜持が閃く。
「『飯が美味ければ、戦争は起きん』。……これが、俺の導き出したたった一つの真理さ」
真一がスキットルを持ち上げると、龍魔呂も無言で自身のロックグラスを掲げた。
カチン、と薄暗いBARの中に、グラスの合わさる静かな音が響く。
外の世界では、強大な国家たちが権謀術数を巡らせているだろう。だが、ポポロ村の路地裏にあるこの店だけは、タバコの煙と極上のツマミ、そして確かな腕を持つ男たちの静かな時間に守られていた。
「……さて。明日はまた、サンライスの刈り取りからだな。忙しくなるぞ」
「ほどほどにな、オッサン」
異世界の片隅で、最強の海将はただ己の役割を全うする。
『兵站』という名の絶対兵器を手にした坂上真一の、痛快無比な異世界経営は、まだ始まったばかりである。




