EP 9
塹壕の休戦協定。美味いメシの前に国境はない
ルナミス帝国とレオンハート獣人王国の国境、通称『不可侵の荒野』。
そこは本来、両軍の狙撃手が常にスコープを光らせ、一歩でも動けば銃弾と魔法が飛び交う血生臭い最前線である。
だが今日、その荒野のど真ん中で、軍事史上の常識を覆す異常な光景が繰り広げられていた。
「おい、押すな! 順番を守れ! 列を乱す奴は、ウチの部隊から叩き出すぞ!」
「そっちこそ割り込むんじゃねえ、帝国の犬ども! こっちは朝から何も食ってねえんだ!」
ルナミス帝国軍の防弾戦闘服を着た兵士と、レオンハート王国の毛皮を纏った獣人兵士。
本来なら殺し合うはずの二国が、武器を塹壕に置き去りにしたまま、荒野のど真ん中で**『長蛇の列』**を形成していた。
彼らの視線の先にあるのは、ポポロ村のロックバイソンに牽かれた一台の荷馬車。
そして、割烹着姿のポポロ村の農家のおばちゃんたちである。
「はいはい、喧嘩しないの! 喧嘩した子には『PRO型(おでん弁当)』売ってあげないよ!」
「「「す、すみませんっ!!!」」」
おばちゃんの鶴の一声で、殺気立っていた両軍の兵士たちが、まるで叱られた子犬のようにシュンと大人しくなる。
ルナミス兵が「タロウ・ペイ」のQRコードをかざし、獣人兵が「ポポロゴールド(PG)」の金貨をチャリンと支払う。
手渡されるのは、あの漆黒の魔導重箱だ。
兵士たちは弁当を受け取ると、あろうことか敵陣営の兵士と隣り合って、荒野の岩場や弾薬箱の上に腰を下ろし始めた。
側面のスイッチを押し、30秒待つ。
蓋を開けると、極寒の荒野に『黄金の出汁』の暴力的な香りが立ち昇った。
「くぅ〜っ! これだよこれ! このホロホロの牛すじと、甘い月見大根!」
「たまんねぇな……。冷え切った体に、熱々の出汁が染み渡りやがる……」
つい先程まで銃口を向け合っていたはずの人間と獣人が、鼻水をすすりながら同じ弁当を頬張り、感動の涙を流している。
「……おい、ルナミスの。お前んとこの『MRE型』に入ってるクラッカー、まだ持ってるか? このおでんの出汁に浸して食うと最高なんだ」
「あ、ああ。あるぞ。その代わり……お前らが配給でもらってる『Modulo型』の太陽芋酒、一口飲ませてくれないか? このおでんに絶対合うはずだ」
「いいぜ。ほらよ」
もはや休戦協定すら超えた、国境なき異文化交流(飯テロ同盟)が成立していた。
前線の将校が「撃て! 敵が無防備だぞ!」と叫んでも、兵士たちは首を横に振る。
『冗談じゃない。ここでドンパチやってポポロ村のおばちゃんを怒らせたら、明日から【弁当の配達】がブラックリスト入りしちまう! そんなことになったら、俺たちは暴動を起こしますよ!』
美味いメシ。
ただそれだけの理由が、いかなる高度な軍略や政治交渉よりも強固な『平和』を、最前線にもたらしていたのである。
◆ ◆ ◆
「――というわけで、国境の最前線は今、ウチの弁当のせいで実質的に『強制休戦状態』になっとるらしいで」
ポポロ村の『サカガミPX』。
カウンターで算盤をパチパチと弾きながら、財務担当のニャングルがニチャァと笑みを深めた。
「帝国の兵士も、獣人王国の兵士も、ウチのPRO型なしじゃもう一日も戦線を維持できん体になっとる。おまけに、両軍が列に並ぶために『昼時の二時間は絶対に発砲しない』っていう暗黙のルールまで出来たそうや」
「……そうか」
エプロン姿の真一は、コーヒーのドリッパーにゆっくりと湯を注ぎながら、静かに相槌を打った。
真一の表情に驚きはない。出雲艦隊打撃軍・総司令官として、彼が事前に描いていたシミュレーションの通りの結果だからだ。
「しかし、司令。これホンマにええんか? ウチの村が、三国間の戦争の主導権を完全に握ってしもうたで。大国の上層部は、腸が煮えくり返っとるはずや」
「構わんさ」
真一は、淹れたてのコーヒーを自分のマグカップに注ぎ、胸ポケットのハイライトを取り出した。
マッチブックで火を点け、紫煙を細く吐き出す。
「戦場において、兵士が本当に望んでいるものは名誉や領土じゃない。……『生きて、温かくて美味いメシを食うこと』だ。上がどれだけ戦争をしたがろうと、現場の兵士が銃を置いてメシを食うなら、戦は起きん」
真一はカウンター越しに、平和に笑い合うポポロ村の風景を見つめた。
農作業に出る若者たち。買い食いをするリーザやキャルル。そして、武装中立という名の『圧倒的優位』に守られた、このささやかな日常。
「俺は、非正規の農夫であり、この売店のオヤジだ。……常連客(兵士たち)に美味いメシを届け、この村の平和を守る。ただ、それだけのことだ」
真一の背中に、歴戦の提督としての威厳と、一人の大人としての底知れぬ包容力が滲み出ていた。
ニャングルは算盤を置き、降参したように肩をすくめた。
「……ハハッ。ホンマ、アンタには敵わんわ。こんなえげつない『平和の作り方』、悪徳商人のワイでも思いつかんで」
コーヒーとタバコの香りが漂うサカガミPX。
異世界に流れ着いた50歳の海将は、一振りの剣も抜くことなく、ただ『兵站』という名の最強のカード一枚で、大陸のパワーバランスを完全に制圧してみせたのだった。




