七 ここは魔法の町
「こいつ、なつくのよね、名前を呼べばどっからでも飛んでくるから可愛いわよ。良かったら、この子にも名前つけてくれない?」
綺麗な海の色と大きな帆船に見とれていたら雪乃が話しかけてきた。
「へぇ、そうなの。
そうだなぁ……〈ポチ〉なんてどうだい?」
「ンンン……まぁいいか。でも健ちゃん若いのにセンス渋いよね」
雪乃は〈ラッシー〉を考えていたらしい。渋さじゃ負けていない。
この娘、ホントは昭和初期の生まれで七十歳をかなり超えていると見た。
そうこうしている内に林のあちこちに建物が見えてきた。町全体が林の中にあるようなものなので建物は大小の木々の間に点在している。
それこそ世界中の建築物見本市の様相で大小さまざまな建物が立ち並んでいる。
落ち葉ひとつない地面の所々には広場があり、ネコの集団が大きなボスを先頭に我がもの顔に闊歩していた。
電柱や電線、排水溝やマンホールなどは見当たらず、自転車を含めて自動車の類は一台も走っていない。
理想的だ、住むには最適の環境だな——九谷は、ここに来て何度目かの感動を味わい、生前世界との住環境の差をしみじみ想起していた。
雪乃が操縦装置の球体に手を触れ〈アンタの名前はポチに決まったからね、いいね〉と言い聞かせている。
やがて池の傍に建つレンガ造りの大きな建物の前でポチは停止し、すぐに着地した。
これから町の事情通で友人でもある女性を紹介するというのでポチから降りる。
ポチはどこかへ行ったが、呼べば飛んでくるので問題ない。
雪乃に先導されてバーとも居酒屋とも喫茶店とも知れぬ店に入り、カウンター席に座った。
「あらぁ雪乃ちゃん久し振りじゃないの、今日はデイト?」
座ると同時にカウンターの奥からハスキーな大声がした。
「違うわよ、この人あたしの仕事仲間! ほら、管理人さんの——
ヒマで仕方がないって言うから連れてきたのよ」
誰も知らないはずなのにママから雪乃ちゃんと呼ばれている。
ここではオーナー権限で決めたことなら、何であろうと以前からの決定事項として扱われ、瞬時に動き出すのだろう。さすがは魔法の国である。
不思議なのはママの顔だ。正面からは三十歳ぐらい、少し角度が変わるごとに十代になり、しわ深い老婆になる。カメレオンやタコだってこうはいかないだろう。
思わず二度見し、つい三度見してしまった。
顔に合わせて人間性も変化するならママが数人いるのと同じだ。それぞれのママにお客がつくので商売上は実にコスパが良い。
「奥のテーブル席にさ、中年の男女が三人いるでしょう?
私の友達なのよ。雪乃ちゃんに紹介しとくわね」
こちらの返事も聞かずママはサッサと歩き出した。
「こちら雪乃ちゃん、それにお友達のかた」
ママの友人は四十歳を少し出たと見える知的な女性だ。同席した二人は同僚で、保育園から大学院まである教育施設の講師をしているという。
たとえ死産だったとしても現世で生まれた子供はここに来る。その後は町が保育園から大学院、望むなら専門分野の研究環境まで面倒をみるのだ。
いつ卒業するかを決めるのは学生側であり、そのまま百年でも在籍して勉学や研究に没頭する事もできる。
もちろん、事故や病気で死亡した子供たちもここに来る。
ここには、あらゆる分野の研究施設とそれに伴う設備が揃っている。それを利用してノーベル賞受賞学者も趣味として研究に加わる。
言うまでもないが軍事技術の研究などもってのほかで原子力発電の研究もしない。原子力発電と言えばいかにも先端技術のように勘違いされるが、所詮は蒸気機関に毛の生えた技術に過ぎないのである。
現世で原発事故を経験し、国内から他国に至るまで何が起きたかの実態を知る専門家や研究者は、これまでの原発研究を放棄し太陽光、風力、地熱などの安全でクリーンなエネルギー研究にシフトしている。ただ、研究の成果が現世に還元される可能性は限りなくゼロに近い。
管理人によると、規模は様々だが、こういう町が日本中や世界中いたる所に存在し、それぞれが自由で個性的な運営をしているとのことだ。
当然、中央政府は必要ないので存在せず、議会や省庁それに軍隊と警察も無い。
「初めまして友人の山本です、よろしくお願いしますね」
座るように促され、雪乃とともに同席した。
「ここでは珍しいわね、何かお仕事をなさっているとか。
あら失礼、不躾だったかしら……ごめんなさいね」
すこし躊躇したが、話せる範囲内で事情を説明することにした。
この人達なら内容を理解した上で秘密を守ってくれそうだ。
「住民に憑いた魔物を狩るのが仕事なんです、九谷と申します」
——直球すぎたかな?
「まぁ驚いた、本物にお会いするのは初めてよ!
ママから、そういう方がいらっしゃるとは聞いていましたけど、凄いわ——!」
山本先生はアイドルと握手した女学生みたいに、はしゃいでいる。
「ねぇねぇ、やっぱり銃の撃ちあいなんかなさるの?
アラいけない、この町は善人ばっかりだったわね——魔物憑きはいないのか」
いないに越した事はないが、探せばゴキブリ並みに湧いて出るだろうな。
「いますよ、悪い奴というより正真正銘の人でなし魔物憑きが。
例を挙げましょうか?
たとえば先の大戦——侵略戦争で他国民はおろか自国民までも悲惨な目にあわせた大日本帝国の指導者たちがそうですね。
戦前や戦中、庶民に君臨して威張り腐っていた軍幹部にも多いようです。
金儲けに走って侵略の片棒を担いだ経済人などもそう——彼らが現世で責任を取らないのなら来世で取らせます。
まぁ、そうは言っても、最も問題視するべきは、当時イケイケドンドンと軍部の尻を叩いて侵略戦争を煽った新聞であり財界であり国民世論なんですけどね」
そう言われて目を丸くする先生に、魔物は思いもよらない人に憑いているので皆さんも用心して下さいね、と軽く脅して先生の目玉を更に真ん丸にしてやった。
その後、何か気づいたら教えてくれとお願いして席を辞した。
「あの人なら学生の情報が集まるわ、あれで意外と人望があるのよ。
お連れの二人も協力してくださると思う」とママが十代の顔で言った。
雪乃は、〈良かったね、私と私の人脈に感謝しなさい〉とでも言いたげにアゴを突き出してこっちを見ている。
魔物に憑かれた者が引き起こした凄惨な事件は思いのほか多い——
狂信的な信者が一般市民に毒ガスを散布して大量殺人を実行するという、凶悪事件を起こしたカルト教団がそうだった。
務めている介護施設で多数の入所者を殺害し、尊敬する政治家の為にやったことだと薄笑いを浮かべる者もいた。
小学校に侵入して多くの幼い子供を刃物で殺害し、逮捕後も涼しい顔でいた男。
あるいは、高齢者との結婚を繰り返し、次々と殺害して生命保険を受け取った女。
逮捕後に悪びれる様子もなく、中には誇らしげな表情で報道カメラの前に立つ者さえいた。
これらの犯行動機には、犯人は争いごとや強い恨み、あるいは金銭的な欲望で殺害に至った訳でないという共通点がある。
なぜ明確な動機が無いにも関わらず、躊躇なく多数の人命を奪えるのか。
不気味な雰囲気が漂う犯行には、どうしても魔物の介入を疑わざるを得ない。
「ねぇ健ちゃん、他にも回りたいし、そろそろ出ようか」
〈九谷さん〉が一日も経たず〈健ちゃん〉になったか……
案の定だな、まぁいいけど。
「ママ、お世話になったわね、ありがとう。また来るね」
お勘定はタダだった。というより、そもそもこの町には商取引が存在しない。
外に出る前に〈ポチ、ポチおいで〉と小声で呼ぶ。
早い、玄関ドアを開けると外には既にポチが待っていた。




