第六章 その後
欧州派遣義勇軍の戦いは終わった。
ドイツはソ連との戦争に突入した。泥沼の戦局は両国を疲弊させていったが、先に参ったのは国力に劣るドイツだった。
日本はアメリカと開戦した。戦争を望む者、回避しようとする者、世界の様々な思惑が入り交じるなか、結局のところ両国とも経済政策の対立を話し合いですまそうとはしないのだから開戦は避けようがなかった。
そして日本は完膚無きまでに叩きのめされた。
欧州派遣義勇軍とその関係者もそれぞれに人生をおくった。
吉田茂は戦争中、軍から有形無形の圧力を受け続けた。戦後は総理大臣となり、日本に復興に全力を尽くした。
源田実は帰国後、相変わらず「君子豹変」を繰り返し対米戦を最後まで戦い続けた。戦後は国会議員となった。彼の資質を考えれば、最初から政治家になっていた方が日本のためだったのかも知れない。
奥宮正武は実直に戦い続けるが、戦局と日本の問題点を変えることは出来なかった。戦後は海軍の不備を指摘する著作をいくつも著した。しかし、欧州派遣義勇軍については明言を避けた。彼にとっても明らかにするのが耐えられないほど苦い経験であったのだろう。
小八重幸太郎は対米戦末期に特攻隊員となり、米機動部隊に突入した。敵機と戦うための戦闘機、それも軽さが身上の零戦に重い爆弾を装備し、速度と運動性が低下した特攻機でどれほどの戦果が上がったのか、確認できた者はいない。
田所達也は記録では中国で戦死となっている。欧州派遣軍そのものが日本軍の公式記録にはない。ドイツ空軍で戦い続けたのは確かなようだが、どう戦ったのかはっきりしない。東部戦線でソ連機に撃墜されたとも、ガラントの配下で戦い続け、最後はガラントが指揮するジェット戦闘機Me-二六二部隊・JV四四に配属されていたとも云われている。
別の証言では、ドイツ敗戦の日にベルリン上空で零戦で空戦して撃ち落とされたとも、最後まで生き延びていずこともなく飛び去ったとも、最後の空戦の前に零戦の胴体に整備員を押し込んでいたのを見たとか、その整備員とともにスイスに逃げ延びたとも云われる。
しかし、それはあり得ないとする意見が大半である。敗戦の日にベルリン上空を、ドイツの戦闘機がどこから飛び立てたというのだ。ましてや旧式の零戦が残っていたとは考えにくいし、仮に飛んだとしても、瞬く間に撃墜されただろう、というのが常識的な意見だ。
が、イギリス空軍のデスモンド・スコットは『確かにゼロと空戦した』と譲らない。
戦後も戦闘機パイロットのクラブで酒が入ると必ずその話を始めた。
「OK、じゃあ、ゼロが飛んでいたとしよう。その時あんたが乗っていたのは何だ?」
「タイフーン、最強の戦闘機だ。」
アメリカ人は苦笑する。これだからイギリス人は困る。タイフーンは確かに加速性能は侮りがたいが、その他の機能は大したことはない。馬力があってロケット弾などの重い装備を搭載できるから対地攻撃には使えるが、操縦性の悪さを加味すれば、とても「最強」などとは言えない。あんなじゃじゃ馬を持ち上げるのは、イギリス人にありがちな身びいきの島国根性だ。
スコットは同じような表情を何度も返されているから、相手の考えていることは分かる。悪いが俺はニュージーランド人だ。
スコットはアメリカ人を信用していない。空を飛ぶ物と見れば敵味方お構いなしに撃ってくる馬鹿なヤンキーに機種選別など出来るものか。おかげで何度危ない思いをしたことか。
アメリカ人が尋ねる。
「その「最強」の戦闘機がゼロに追いつけなかったのかい?」
「何度も射撃位置に着いたさ。その度にひらりひらりと避けられる。攻撃しているはずのこっちが焦ってきてな。」
「で、最後は逃げられた。」
「そうだ。バトル・オブ・ブリテンでもあんな腕利きとは会わなかった。」
「ふうむ」
アメリカ人は肩をすくめた。やはり信じがたい。一九四〇年の英仏海峡ならともかく、それから五年経ち、大戦末期はこちらの戦闘機の性能は格段に向上しているのに、ゼロの性能は大して変わっていない。おまけに対峙したのは歴戦の勇士でゼロの特徴をよく知っているスコットだ。簡単に料理できたはずではないか。
「信じてないな」
「正直言って、そうだ。あんた以外はどう言っているんだ。僚機は?」
「撃墜された」
「嘘だろ」
「ヤツは日本機の特徴を知らなかったからな。深追いして格闘戦に引きずり込まれた。俺のミスだ。相手の正体が分かった時点で、もっとはっきり警告すべきだった。」
スコットはスコッチをあおった。
岩井勉は対米戦を生き抜いた。戦後は米穀業を始めた。慣れない商売に苦労しながらも、何とか食いつないで日々を過ごし、瞬く間に一〇年の歳月流れた。
「こいつは……」
岩井は配達の途中でなにげなしに眺めた雑貨屋の店頭に並べられた一機の模型飛行機を凝視した。
荷物を放り出して店に飛び込み、店主に「この零戦は……」と話しかける。
「お客さん、目が高いね。この零戦、よくできてるでしょ。」
この精巧な削り方と細い筋彫り。主翼の捻り下げをかすかにそれと分かる程度に抑えて表現する絶妙なバランス感覚を持つ模型屋が、そうそういるとは思えない。何よりも、垂直尾翼の区分名に、空母「瑞鶴」搭載機を示す「EⅡ」に識別帯の白2本――これは大戦初期までの識別――を描くのはあいつぐらいだ。
「これを作ったヤツはなんて言う? 今どこにいる?」
「あんた、何者ですかい?」
「俺は岩井勉、戦争中の階級は飛曹長。この零戦に乗っていた。頼む、教えてくれ。これを作ったヤツは戦友なんだ。」
店主は岩井の勢いに気圧されて答える。
「南…南功雄です。」
「やはり、南上等整備兵か。」
岩井は万感の思いを込めて50分の一の模型飛行機を眺めた。
『こいつには泣かされたなあ。』
空母「瑞鶴」での機種判別訓練の日々が思い出される。そして激しい空戦の日々、別れ……。岩井の目に涙が滲む。
もう会えることはないと諦めていた戦友が生きていたのだ。泣いたところで恥ではあるまい。
「南は今、どこにいるんだ?」
「売れた頃に次の模型を持って来るんだけど、うちも片手間で置かせてるだけだから住所は……。ああ、丁度やってきた。」
南がヒョイと店に入ってくる。過ぎ去った歳月の分だけ年は取っているが、何を考えているのか分からない顔つきは昔のままだ。
「南……」
後は言葉にならなかった。
橋本廣は戦後までシベリアに抑留された。望郷の一念で生き延びた。記憶から消してしまい程の辛い思いもし、帰国したいがために人には言えない卑怯な振る舞いもした。思想信条を重視するソ連型官僚機構では、共産主義に賛同する態度を示す捕虜は優遇される。そのコツを覚えて、片言のロシア語で共産主義者になったのだと強制収容所の職員に信じさせるのに四年かかった。共産主義を日本に広めるために、橋本を日本に帰す決定が下されるまで、更に一年かかった。戦勝のドサクサもあり、橋本が抑留された理由など忘れ去られていた。
抑留された他の欧州派遣軍隊員はどうなったのか分からない。おそらく、生きて日本へ帰れたのは橋本一人であろう。
長い強制労働により橋本の体は結核に蝕まれていた。引き揚げ船に乗れたものの、時々激しく咳き込む。
「やかましい、眠れやしない」
やっと日本に帰れるというのに、何という仕打ちだ。だが、敗戦で兵の心はすさび、他人への思いやりなどなくしているのだ。やりきれない思いで橋本は苦しい息をつく。怒鳴り返す元気すらない。
「病人に何を言いやがる。貴様こそやかましいぞ。」
隣に座った兵が怒鳴る。「飲め」と橋本に水筒を差し出す。
「ありがとう」
「いいってことよ、俺は看護兵だ。病人の面倒を見るのが仕事だ。もっとも、ここじゃ治療しようにも薬すらないがな。だが、もうちょっとで日本に帰れる、頑張れよ。」
それから二人は話を始めた。
日本がどうなっているかまるで知らない橋本に、この看護兵は知る限りの情勢を教えた。
アメリカの攻撃を受けて日本中は焼け野原になっている。特に酷いのは広島と長崎で、跡形もなく吹き飛んで住人は全滅だと聞く。空襲を免れたのは京都と別府ぐらいしかない。
橋本はドキリとした。では、父や母は、家族はどうなったのだろう。
看護兵は別府の出身で、実家は中程度の温泉宿だという。
「気の毒だが、あんたの家族も生きているかどうか分からないぜ。よかったら俺の家業を手伝わないか。あんたには商売人の才覚がある。いや、生まれた時から宿屋で人を見続けてきた俺には分かる。あんたの機転と俺の基盤があれば何の商売をやっても成功する。空襲を受けなかった別府は商売人の天下だ。なあ、俺と一緒に別府に来ないか。」
ありがたい申し入れだが、橋本はやはり故郷で家族の消息を知りたい。
「そうか、残念だ。それはそれとして、あんた、体を治した方がいいぜ。軍の病院なら軍人は無料で入院させてくれるらしいぞ。あんた、海軍だろ。別府には海軍病院もあるんだがなあ。」
敗戦で軍はなくなっても、軍の病院が機能しているというのもありがたい情報だ。別府病院と聞けば、晶子の顔が思い浮かぶ。もう一度会いたいが、もうあれから五年も経ってしまった。とうに結婚して今頃は子供の二・三人もいるだろうか。
それより、軍がなくなった今、どうやって食っていくかを考えなければならない。商売人に向いていると言われたことはない。とはいえ、考えていれば、目端が利いて大概の雑用がこなせるのは、なるほど軍人より商人の気質なのかも知れない。
ほどなく船は日本に到着した。橋本は看護兵と別れ、故郷の広島に向かった。
そこに故郷はなかった。
橋本は別府に向かった。他に行く当てもない。
くだんの看護兵を捜して別府市亀川に行ったものの、教えられた名の温泉宿はなかった。結核の熱のために思考力が低下している橋本が聞き違えたのでなければ、看護兵はデタラメを言ったのだろう。人の良さそうな帰還兵をだまして詐欺を働く輩が横行していると、後になって橋本は聞いた。
もう、行けるところは海軍病院しかなかった。体も限界だった。咳はますます激しくなり時々血を吐いた。最後は這うようにして病院にたどり着いた。
軍の病院が傷病兵を無料で治療しているというのは本当だった。ベットに寝かされた橋本はそのまま意識を失った。
気がついた時、看護婦が点滴を取り替えていた。
「結核と疲労ですって。でも、運がよい方ね、ここは病院ですから、すぐに処置できましてよ。」
「晶子さん……」
初めてあったときと同じ台詞を芝居がかった口調でしゃべる看護婦は、五年前と変わらず美しい。覚えていてくれた。この人はまだ自分を受け入れてくれる。
橋本はやっと日本に帰ってきた実感を持った。涙が止まらなくなる。
「今度会ったらどんな目に合わせてやろうかと思っていたのに、あなたという人はまた病人になって……今度はもっと酷い病気になって。これでは優しくしてあげるしかないじゃないの。」
晶子の大きな瞳から次々に涙がこぼれ落ちた。
(終章に続く)
次章 終章




