↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にぞこないの病弱皇女は、奴隷の護衛に恋をする  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

65/79

閑話・ラズ 「左に傾いた花」

 布は、はじめ、手のひらほどあった。


 十一の夏に帝国行きの馬車で目を覚ましたとき、握っていたのがそれだった。血で固まって、指から離れなかった。ファルークが剥《は》がそうとしたので、噛《か》みついた。


 名前を取り上げられた。国を取り上げられた。腕に絵を描かれた。闘技場の控えの檻で、持ち物は全部調べられた。布だけは、靴の中敷きの下に隠した。誰も、汚れたぼろきれを奪おうとはしなかった。


 十五のときに一度、捨てた。


 人を初めて斬った夜だった。相手は俺と同じくらいの年で、俺の剣の前で、「痛い」と言った。俺は控えの檻に戻って、中敷きの下から布を出して、溝へ投げた。何の役にも立たない。こんなものを持っているから、夜に夢を見る。


 次の朝、溝に手を突っこんでいる俺を、ザラが屋根の上から見ていた。


《何を探している》


 何でもない、と答えた。


《馬鹿な男だな》


 あいつは、それ以上聞かなかった。


 あの子はたぶん死んだ。そう決めた。あの夜は城じゅうで人が死んだ。夕方の庭をうろついていた小さな女の子が、無事だったはずがない。死んだことにしておけば、探さずにすむ。探さずにすめば、敵国の女の子の顔を思い出そうとして夜を潰すこともない。


 帝国の女は、みんな同じ花を刺す。


 最初の年にそれを知った。市場でも、娼館でも、将校の妻の袖でも、薄紫の鈴が三つ揺れていた。何度か足が止まった。傾きが違った。やがて、見るのをやめた。


 地下を作ったのは任務のためだ。ティモが腹を減らして泣いたから飯を作った。泣いている奴を見ると、腹が立った。腹が立つから、飯を作った。理由はそれだけだと思っていた。


 あの朝、井戸の裏で、血を拭かれた。


 なんで傾きを確かめたのか、自分でもわからない。貧乏男爵の娘の手巾《しゅきん》だ。洗って返すと言って持って帰り、地下の階段で、灯りにかざした。


 鈴は左へ傾いていた。


 偶然だと思った。左利きの女くらい、どこにでもいる。三日かけて、そう決めた。ほつれを繕《つくろ》いながら、何度も決めた。針を持つのは初めてで、指を四回刺した。


 偶然であってくれないと困った。あの娘は銅貨を噛む娘だ。腹の立つ口をきく娘だ。俺が足の運びを教えて、まめの数を確かめた娘だ。


 そのあと、あの娘が第七皇女だとわかった。


 和議の城に皇族がいたことくらい、俺は知っている。七つか八つの皇女が庭に出られたことも、その夜に毒を飲んだことも、ザラに聞かされるまでもなく、計算はできた。


 計算しなかった。


 俺は柱に縛られて、本物の血を流す女の手を、何もせずに胸に受けた。ああいうことをする人間は、あの子のことを考えない。考えたら、できない。


 だから牢で別れたときも、中洲《なかす》で刃を向けたときも、俺は一度も計算しなかった。


 今夜、並べた。


 二枚とも、左に傾いていた。


「ああ」と答えるのに、ひどく時間がかかった。何か、言うべきことがあったはずだ。あとで言うと約束したことが、まだある。


 城壁の上で、あいつは鍋の話をした。六千人分と言った。こちらが背中を丸めているのを、見なかったことにする声だった。


 革の袋は、胸に戻した。


 左の手袋を少しめくった。黒い根は、腕を埋めて、肩を越えて、鎖骨を這《は》っている。カミラは指を当てずに、棒で測って、あと十五日と言った。


 首の上まで来たら、目が赤くなるそうだ。


 十五日あれば、大学へ行って、都へ戻って、もう一つ国を取り返すくらいはできる。


 鍋を、洗うことにした。


 焦がすと、カーヤに殺される。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。