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死にぞこないの病弱皇女は、奴隷の護衛に恋をする  作者: 鷹居鈴野


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第52話 「共闘」

「斬れ」


「斬りましょう」


 辺境伯とカーヤの意見が、初めて一致した。


 北西の谷の奥に、古い山城の跡がある。逃げてきた六千人が、崩れた壁の間で焚き火を囲んでいた。雪が来るには、まだ少し早い。ただ夜の風は、十分に冷たい。


 その城門の前に、三百人ほどの兵が立っていた。ザハリアの砂色の軍服はぼろぼろで、半分は誰かに背負われている。先頭の男だけが、まっすぐ立っていた。左の頬《ほお》に傷がある。


「ナサニエルの隊が、俺の隊を後ろから撃った」


 ラズは剣の柄から手を離して、両手を広げた。


「魔物は川を越えて、両方を食った。ザハリアの本隊は南へ逃げて、門を閉じた。俺たちは帰る場所がない」


「だから何よ」


 カーヤの弓は、ラズの胸に向いている。


「よくここに顔を出せたわね。何しに来たの」


「飯を作りに来た」


 城門の前が、静かになった。


「は?」


「お前らの焚き火を見た。灰麦《はいむぎ》を生のまま煮ているだろう。あれでは半分が腹を壊す。俺の隊に、干し肉と塩が三日分ある。お前らには人数がある。死ぬならどちらも死ぬ」


 ラズはカーヤを見て、それからその左腕を見た。


「俺の腕は絵だった。殴りたければ殴れ。ただ、飯のあとにしろ」


「馬鹿じゃないの!」


 矢が放たれた。ラズの耳の横を抜けて、後ろの木に刺さった。ラズは瞬きもしなかった。


「殿下」


 小さな老人が、白いひげの間から私を見た。腕に巻いた布に血がにじんでいる。


「あれは敵国の将だ。おまけに、お前に命の半分を払わせた男と聞いておるぞ。決めろ。お前の軍だ」


 杖を握った。


 全員の目が、私を見ていた。腕に紋のある者たちの目だ。兵たちの目だ。リシャールの赤い目だ。


 ラズの目が、私を見ていた。


「ザハリアの方々の中に、歩けない人は何人いますか」


「八十」


「その方々を、カミラ先生のところへ。手当は同じ順番です。腕を見ません」


「いいのか」


「よくはありません。六千人と三百人では、どちらも明日の朝までもちません。リュミエールが追ってくるのは、半日か一日あとです。私は今、人手が欲しいのです」


 カーヤが、弓を下ろさないまま言った。


「あんたの理屈は、いつも指の数だけあるのね」


「はい」


「最後の指は」


「粥《かゆ》の味です。焦げていなければ」


 カーヤは口の端を曲げ、矢を弓から外した。


「焦がしたら、殺すから」


 ラズの動きは早かった。


 城跡の真ん中に大鍋を据えて、石を積み、灰麦を水に浸けさせて、干し肉を細かく刻ませた。誰に命じるのにも、声は短かった。ザハリアの兵も、腕に紋のある者たちも、なんとなくその通りに動いた。


 ラズが匙《さじ》を持ち上げて、匂いをかいだ。


 一口すすった。


 それを見て、胸のどこかが変な音を立てた。


 味見だ。地下で、ティモが「また先輩だけつまみ食いしてる」と笑っていた、あの癖だ。今ならわかる。毒殺の中で育った王子の癖である。わかっていても、同じ手つきだった。


《おい! 肉だ! 肉の匂いがするぞ!》


「静かに」


《あいつ、悪い奴だけど、飯はうまいからな! おれ様は飯は許す! 尻はまだ噛む!》


 最初の一杯をよそうと、ラズは椀《わん》を持って、歩いてきた。私の前で止まる。


 何も言わずに差し出された。


 手を出さなかった。カーヤが横から手を伸ばして、椀を奪い取った。


「毒見」


 カーヤはそれを一口すすった。二口すすった。


 全部食べた。


「塩が足りない」


 ラズの頬が、わずかに動いた。


「足す」


 カーヤは空の椀をラズの胸に押し返して、背負い袋から別の椀を二つ出した。縁の欠けた椀と、大きな椀である。かまどの横に、石を一つ置いて、その上に並べた。


 ラズの手が止まった。


 ティモの椀と、グンナルの椀だった。


 誰も何も言わなかった。ラズは椀を見ていた。長い間、見ていた。それから鍋へ戻り、一番大きな肉のかたまりを探して、グンナルの椀に入れた。ティモの椀にも入れた。


「今日の死にかけ自慢」


 カーヤが、誰にも目を合わせずに言った。


 しばらく、火の音だけがした。


「はい」


 手を挙げたのは、片方の靴がない金髪の青年だった。


「私は今日、妹の護衛から逃げるとき、三度、道を間違えて、三度、護衛のいるところへ戻りました。三度目には、護衛の方が呆れて、靴を片方だけつかんでいました」


 誰かが吹き出した。


「それは死にかけたの? 迷っただけでしょ」


「すみません」


「はい」


 小さな老人が、白いひげを持ち上げた。


「わしは矢を七本受けた。鎧が古くてな。うち二本が抜けんので、今夜のうちに、あの女の医者が抜くそうだ」


「ぬるいわね。こっちの女は、背中に千本来たわよ」


 城跡に、ようやく笑いが広がった。砂色の軍服も、紋のある腕も、同じ鍋の周りに集まっていた。


 私は椀を手に、少し離れた壁の陰に座った。


 しばらくすると、足音がした。隣に腰を下ろした体の大きさで、誰だかわかった。


「足は、痛むか」


「夜だけです」


「手の豆は」


「ふつうの娘の数です」


 焚き火の音がした。


「聞いたぞ。鉱山のことも、帳簿のことも、あの毒見のことも」


「カーヤさんに?」


「ザラだ。お前の毛玉と話した」


《おれ様は話してないぞ! 聞かれたから答えただけだ!》


「あの女を、俺は十日で殺しに行ける」


「いいえ。あれは私の順番です」


「ああ」


 ラズが、自分の椀を覗《のぞ》きこんでいた。


「アマリア」


「はい」


「俺たちは、敵のままか」


「はい。戦が終わるまでは、そうです。あなたはザハリアの王子で、私は帝国の皇女です」


「そうか」


「ですが、今夜の鍋は共同です」


 ラズの喉が、変な音を立てた。笑ったらしかった。


 その音が、途中で切れた。


 椀が、地面に落ちた。


 ラズが、自分の胸を押さえていた。大きな体が前に折れて、壁に手をついた。歯の間から息が漏れている。


「ラズ?」


「ザラが」


 顔を上げたラズの額に、汗が噴き出していた。


「兵糧を探しに、東の尾根へ飛ばした。網だ。空に、網が。やめろ」


 最後の言葉は、私に言ったのではなかった。


「何がありましたか! ラズ!」


「来るな、と言っている。来るなと。ザラが。誰かが、あいつの足を押さえて」


 あの低い声は、私の耳には届かない。十歩どころではない。遠い尾根である。


 ラズの右手が、自分の左腕を握りしめた。関節が白くなっている。


 その手の下で、きれいだった腕の皮膚に、何かが動いた。


 手首の内側から、肘へ向かって、細い線が一本、上がっていく。


 黒い線だった。


「やめろ。おい。やめろっ!」


 人の声とは思えない声が、城跡に響いた。


 焚き火の周りの笑いが止まった。


 ラズの腕の中で、黒い線が二本になった。

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