↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にぞこないの病弱皇女は、奴隷の護衛に恋をする  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/79

第4話 「声」

 この世界の魔獣は、人と魂の契約を結ぶことができる。


 竜も、グリフォンも、鱗馬《うろこうま》のような小さな魔獣も同じだ。契約を結べば、人と魔獣は言葉を使わずに話せるようになる。これを念話という。ただし、聞こえるのは自分と契約した一頭の声だけで、それがこの世の決まりだ。


 私は、その決まりの外にいる。


 十年前、毒から目を覚ました朝に、窓の外で小鳥が言ったのだ。《死ななかったぞ、あの子》と。それ以来、私には契約もしていないすべての魔獣の声が聞こえる。


 誰にも言うな、とベルタは言った。契約もなしに魔獣と話す者は、帝国では異端者扱いされかねない。知られれば、皇女でも片腕に紋を刻まれるかもしれない。このことを知っているのは、私とベルタだけだ。毎日そばにいるネリネにも話していない。これは私の切り札だ。だから、人には言わない。


 隣の飼育場にいるのは、大学が軍事訓練のために飼っている騎獣《きじゅう》だ。誰とも魂の契約を結んでいない。だから、どれほど叫んでも、言葉の届く相手がいない。


 私は裸足のまま部屋を抜け出し、壁を伝って飼育場へ入った。


 暗がりに、鱗馬が十頭、角山羊が六頭、牙犬が四頭。どれも目をむき、口から泡を飛ばして、柵に体をぶつけている。一番手前の老いた鱗馬が、前脚で柵を蹴りながら叫んでいた。


「あなた、さっき、なんて言ったの」


 柵に顔を寄せて聞くと、鱗馬の前脚がぴたりと止まった。


 長い顔が、ゆっくりこちらを向いた。


《お前、いま、おれに言ったか》


「ええ」


《聞こえるのか》


「聞こえるわ」


《聞こえるのか! おい、みんな! この人間、聞こえるぞ!》


《うそつけ》


《おい人間、おれの名前を言ってみろ》


 飼育場じゅうが一斉にしゃべり出した。頭が割れそうになる。私は柱につかまった。


「静かにして! お願い。燃やされるって、どういうこと?」


《ガルムントの連中だ》


 老いた鱗馬が言った。


《東の塀の外に六人。壺を持ってる。油くさい。あいつらの鞭の匂いは忘れない。この飼育場の藁に火をつける気だ。ここが燃えれば、隣の寮も燃える》


 血の気が引いた。ロザーン寮は元が豚小屋で、壁は板張りだ。寝ているノルンの顔が浮かんだ。


 私は廊下を這《は》うように走り、四年生の部屋の戸を叩いた。


「グンナル先輩! 起きてください!」


「んあ。ダフネか。腹でも壊したか」


「東の塀の外に、ガルムント寮の人が六人います。油を持っています。飼育場に火をつける気です」


 グンナルは大きなあくびをした。


「どうしてわかる」


「匂いがしました」


「東の塀は、ここから百歩は離れてるぞ」


「貧乏なので、油の匂いには敏感です。高いですから」


 グンナルは腹を揺すって笑った。


「いいな、それ。明日みんなに言ってやる。隣の連中は雷が鳴っても騒ぐんだ。寝ろ寝ろ」


 戸が閉まった。


 間に合わない。人に話しても無駄だ。私はもう一度壁を伝って、飼育場へ戻った。息がうまく吸えない。胸の奥で、ぜいぜいと音がする。


《どうだった》


「信じてもらえなかったわ」


《人間はそうだ。おれたちがどれだけ吠えても、うるさいと言うだけだ》


「あなたたち、東の塀まで走れる?」


 あれほど騒いでいた飼育場が、しんとした。


《綱がある。閂もある》


「綱は私がほどくわ。閂《かんぬき》も開ける。あなたたちは、できるだけうるさく騒いで、東の塀へ走って。寮の人が全員起きるくらいに」


《それでどうなる》


「塀の外の六人が、油壺(つぼ)を抱えたまま、あなたたちと、起きてきた寮の人に挟まれるの」


 老いた鱗馬は、しばらく黙っていた。


《鞭の連中を、蹴っていいか》


「いいわ」


《噛んでもいいか》


「いいわ」


《尻でもか》


「どこでも好きなところを」


《お前、気に入った》


 端から順に、綱をほどいた。結び目は固く、爪が割れた。最後に閂に肩を入れる。太い木の棒で、私の腕より重い。持ち上げようとすると目の前が白くなった。


 もう一度、肩を入れる。足を踏ん張る。体じゅうの血が頭から落ちていく。右の脇腹が焼けるように痛んだ。


 ごとん、と閂が外れた。


《行くぞお!》


 二十頭が、夜の中へ飛び出していった。


 すごい音だった。地面が揺れ、牙犬が吠え、角山羊がけたたましく鳴き、鱗馬がいななきながら寮の前を駆け抜ける。あちこちの窓に灯りがついた。


「なんだ! 魔獣が逃げたぞ!」


「東だ、東へ走ったぞ!」


 グンナルの怒鳴り声が聞こえた。ばたばたと足音が東へ流れていく。やがて塀の向こうから、人間の悲鳴が上がった。


「うわああ! なんだ、なんでこんなところに!」


「おい、壺を落とすな!」


「痛い! 痛い痛い痛い! 尻を! 誰か、尻を!」


 甲高いあの声は、聞き間違えようがない。


《噛んだぞ!》


 遠くで、老いた鱗馬がうれしそうに言った。


 私は閂の横に座りこんで、少しだけ笑った。笑うと、口の中に血の味がした。そこで記憶が途切れた。


 気がつくと、担がれていた。この肩には覚えがある。空が白みはじめている。


「起きたか、ダフネ」


 グンナルの声は、昨夜とは違っていた。


「東の塀の外で、ガルムントの三年を六人捕まえたぞ。油壺も六つだ。ピエトロは尻を七針縫うらしい」


「それは、よかったです」


「飼育場の閂を開けたのは、お前だな」


「魔獣が暴れれば、皆さんが起きると思いました」


「ほう。匂いでか」


「はい。貧乏なので」


 グンナルはしばらく黙って歩いた。


「俺がお前の話を信じていれば、お前はこんなふうにならなかった。悪かった」


 大きな背中が、一度だけ揺れた。


「お前、鼻がいいな」


 うれしかった。うれしいと思った自分に驚いた。私が役に立ったのは、十八年で初めてのことだ。


 その気持ちは、朝食の鐘までしかもたなかった。


 寮の前庭に、グリフォンが降りた。ボリスはその背に乗ったまま、並ばされた私たちを見下ろした。


「うちの三年が世話になったそうだな、ロザーン寮」


「殿下。夜中に油壺を抱えて散歩とは、ガルムントはずいぶん風流ですな」


 グンナルが一歩前に出る。ボリスはそちらを見もしなかった。


「飼育場の閂のそばで、女が一人倒れていたと聞いた。おい、銅貨を噛《か》んだ女」


 全員の視線が、私に集まった。ノルンが後ろから私の袖をつかんだ。


「俺のやった葬式代、まだ持っているか」


「はい、殿下」


 ボリスは目を細めて笑った。校庭で笑ったときと同じ、心から楽しそうな顔だった。


「札はまだらしいな。札市は七日目の夜に閉まる。次に開くのは一年後だ。そこの熊の札は、もう三組埋まっている。誰もお前を守れん」


「ボリス殿下、そいつは」


「黙れ、四年。これは規則の話だ」


 ボリスは太い指を一本立てて、私に向けた。


「七日目の夜、お前を狩りに行く。かわいいピエトロの尻の仇を討ってやらんとな。札を結べるものなら結んでみろ。ただし、はっきり言っておくぞ」


 声が前庭じゅうに響き渡った。


「こいつの護衛になった奴も、俺の敵だ。俺が同じように片づけてやる」


 その日のうちに、札市の上級生たちは、私の顔を見ると背を向けるようになった。


 残りは、三日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。