第34話 「紋を受けろ」
「校則は人間についての決まりです。札もまた、学生のための決まりです」
ゲルトは尋問学の教卓で帳面を開いた。全校の前ではなく、私とラズだけを呼んだ。そのほうが、この人は楽しそうだった。
「ところが殿下は学生である前に、皇族でいらっしゃいます。皇族の身辺に立つ者は、皇家の紋を持つ者に限る。帝室の法です。あいにく校門の内側では紋の護衛を連れられませんので、学内に限って札を認めてまいりましたが」
「名乗るまでは、ですね」
「お察しがいい。名乗られた以上、奴隷の札は無効です。ただし、私も鬼ではありません。七日お待ちします」
細い目が、ラズへ動いた。
「それまでに、この者が皇家の紋を受ければ、札はそのまま紋の契約に変わります。殿下の模様を、顔の半分に。規則の上では、奴隷でも受けられます」
「受けなければ」
「札を返して、ただの片腕にお戻りいただきます」
ゲルトは帳面を閉じた。
「紋のお体のことはご存じでしょう。殿下に逆らえず、嘘もつけず、子も持てず、殿下がお亡くなりになれば、その場で死にます。ボリス殿下が、ぜひお祝いしたいとおっしゃっていました」
ラズは何も言わなかった。
次の日、私は校門まで車椅子を押してもらった。ティモが直した車輪は、少しきしむ。
校門のすぐ外、石段の一番上に、女が一人立っていた。
顔の左半分に、青黒い紋がある。四十を過ぎて、肩幅が広い。私が名乗った日から、毎日ここに立っていると聞いた。
「ベルタ」
「はい、殿下」
冬至の休み以来、聞いていなかった声だった。
校門の鉄柵を挟んで、向かい合った。これより先へ、紋の護衛は入れない。ベルタの目が、私の足を見て、それから、膝の上の毛布を見た。何も言わなかった。
「怒らないのですか」
「殿下がお決めになったことです」
「命の半分を、払いました」
「はい、殿下」
鉄柵をつかむベルタの指の関節が、白くなっていた。
「ティモさん。少し、向こうで待っていてもらえますか」
「あ、はい! 僕、石でも数えてます!」
ティモが離れると、私の後ろで足音が止まった。ラズは一歩離れた場所に立ち、腕を組んで柵の外を見ていた。
「そちらが、札の者ですか」
ベルタの声は平らだった。
「ああ」
「紋を受けるおつもりは」
「聞いてどうする」
「紋の先達として、申し上げることがございます」
ベルタは自分の頬に手を当てた。
「刻むのは一度で、痛みは三日で引きます。逆らおうとすると、ここが焼けます。頭より先に、体が動きます。殿下が右を見ろとおっしゃれば、私の目は右を見ます。十八年、そうでした」
「それがどうした」
「殿下は、そのようなご命令を一度もなさったことがございません」
風が鉄柵を鳴らした。
「ですが、ご命令になれば、それまでです。主に聞かれれば、本当のことを答えます。隠しごとは、一つも持てません」
ラズの腕が、組んだままわずかに動いた。
私は膝の毛布を見ていた。
それだった。
この人に紋を受けさせれば、任務のことも、右腕の墨のことも、私は一言で聞ける。あの日、あなたは何を考えていましたか、と命じられる。嘘のない人が、残りの一生、私のそばにいる。
残りの一生は、前の半分しかないが。
「アマリア」
校門からの帰り道、ラズが車椅子を押しながら言った。
「受けろと言わないのか」
「言いません」
「紋を受ければ、札は続く。お前は護衛を失わずにすむ」
「ええ」
「地下の連中の話もある。札が切れれば、ボリスとの約束も切れる」
「わかっています」
「ならば、なぜ言わない」
車輪がきしんだ。ティモの直した車輪だ。
「あなたは料理のときに、全部味見をしますね」
「それがどうした」
「顔の半分に模様があると、匂いがかぎにくそうです」
「そんなことはない」
「あなたの顔は、今のままがいいと思います。ティモさんも惚れましたと言っていました」
「ふざけるな」
「ふざけていません」
轍の手前で、車椅子の速さが落ちた。この人は、押すのが下手だったのに、最近うまくなった。ヨハンの押し方を見ていたのだろう。
「命令できる相手を、そばに置きたくありません」
それ以上、言えることはなかった。私はこの人の胸に嘘があるのを知っている。知っていて、紋で取り出したくない。取り出したものは、私が聞いたことにならない。あとで聞くというのは、そういう意味だ。
ラズは何も言わなかった。
五日、過ぎた。
六日目の夜、避難所はいつもより静かだった。ティモが新しい冗談を試して、誰も笑わないので、自分で二度笑った。カーヤが矢を削り、かまどの火が揺れた。ヨハンの椀は、まだ棚にある。誰も片づけない。
「味が薄い」
カーヤが言った。
「いつもと同じだ」
ラズは鍋をかき回しながら答えた。
「今日の肉は、誰に入れるんですか。自慢大会、やってないですけど」
ティモが聞くと、ラズは私の椀を取って、一番大きな肉を入れた。次にティモの椀に、二番目の肉を入れた。カーヤの椀に、三番目を。残りの椀を全部、順番によそっていった。
最後に、棚のヨハンの椀を取って、粥を入れて、元に戻した。
自分の椀は、取らなかった。
「先輩、食べないんですか」
「味見で腹がいっぱいだ」
ティモが笑った。
部屋まで車椅子を押してくれたのは、その夜もラズだった。
扉の前で止まって、ラズは私の肩の毛布を直した。毛布の端を、固く結んだ。
「冷やすな。アマリア」
「はい」
「息は、吐いてから吸え」
「わかっています。何回言うのですか」
「そうだな」
大きな手が、髪に触れた。耳の後ろの髪をかけ直して、それからすぐに離れた。
「おやすみ」
初めて聞く言葉だった。
私は寝台に入って、扉のほうを見ていた。床のきしむ音がしなかった。
朝になって、扉を開けた。
廊下に、誰もいなかった。
車椅子の座面の上に、一枚の札が置かれていた。首にかける紐の端が、手垢で黒い。割れ目が、私の札とぴったり合う。
《馬鹿な男は、山の向こうだ》
窓の外で、低い声がした。
《紋は受けられん。受ければ腕を調べられる。国も捨てられん。お前の首も絞められん。三つとも無理だから、歩いて出ていった》
札を、手に取った。
もう冷たかった。
遠くで、昼の鐘でも朝の鐘でもない、乱暴な鐘の音がした。甲高い声が、窓の下の中庭を走り抜けていく。
「七日目だ! 奴隷の札が切れたぞ! 殿下が、大食堂へ全員集めろとのことだ! 地下の鼠どもも、一匹残らずだ!」




