↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にぞこないの病弱皇女は、奴隷の護衛に恋をする  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/79

第29話 「ザラの声」

「裏山へ連れていってください」


 朝の粥《かゆ》を受け取りながら言うと、ラズの杓子《しゃくし》が止まった。


「その足でか」


「足はあなたのものを借ります。ザラに、お礼を言っていないので」


「礼だと」


「校庭の縄が切れたとき、空に影が見えました。あのとき、来ていたのでしょう」


 ラズは少し黙ってから、杓子を鍋に戻した。


「背中に乗れ。車輪は山を登らん」


 背負われるのは初めてではない。森でも砦《とりで》でも、私はこの背中で運ばれた。ただ、前はもっと文句を言われた。今日のラズは、岩場で一度も文句を言わなかった。


《おい、赤毛の尻が目の前にあるぞ》


「噛《か》まないで」


「何か言ったか」


「ピピンが、お腹がすいたと」


「こいつはそれしか言わんな」


 岩の裂け目の前で、ラズは私を平らな岩に下ろし、毛布を膝にかけた。それから背負い袋の肉を、奥の暗がりへ放った。


《少ない》


 低い声が、暗がりから聞こえた。金色の目が二つ開く。ザラは肉をくわえて、のそりと日の当たるところへ出てきた。右の後ろ足は、もうきれいに治っている。


「文句を言うな。冬の間も俺の分を半分やったぞ」


 ラズは声に出して答える。この人の癖だ。私はいつものように、岩の上で何も聞こえないふりをした。この半年で、ずいぶんうまくなった。


《小さな人間の首は、まだつながっているようだな》


「当たり前だ」


 ザラが骨を噛む音がした。金色の目が、ちらりと私を見て、それからラズへ戻った。


《任務は、その皇女を殺すことではなかったのか》


 鳥が一羽、頭の上を飛んでいった。


 膝の上の毛布を、私は見ていた。毛布の織り目が、よく見えた。


 ラズの背中が、固くなっていた。


「黙れ」


 息だけの声だった。ラズは振り向いて、私を見た。琥珀《こはく》色の目が、私の顔を確かめている。私は首をかしげた。


「ザラは何と言っているのですか」


「腹が減ったと言っている」


 どこかで聞いた答えだった。


「あなたが今、肉をあげたばかりです」


「こいつは、それしか言わん」


《帰国の許しはどうした。王の印のついた紙は燃やしたな。十日もあの部屋の前で寝て、まだ指一本動かさないのか》


「少し黙っていろ」


「ラズ?」


「お前に言ったんじゃない」


《喉が渇いた。沢の水を汲んでこい》


「お前は自分で飲めるだろう」


《この足でか。お前のせいで傷んだ足だ》


 治っている足を、ザラはわざとらしく舐めた。ラズは長く息を吐き、革袋をつかんだ。


「すぐ戻る。そこを動くな」


「この足で、どこへ動くのですか」


 言ってから、自分の声がふだんと同じだったことに驚いた。


 足音が岩の下へ消えていく。風が吹いた。ピピンがポケットの中で黙っている。この毛玉が黙るのは、珍しいことだった。


《聞こえたな》


 ザラが、私を見ていた。


「今の話は、私に聞かせたのですね」


《そうだ。お前の耳のことを黙っていてやると言った。だから、あの男には言っていない。ただ、私があの男に何を言おうと、私の勝手だ》


「任務とは、何ですか」


《あの男はザハリアの人間だ。私もだ。お前は最初に見たときに、南の砂漠の魔獣だと気づいただろう》


「気づきました。深く考えないようにしていました」


《考えろ。あの男は十一で国を出され、帝国の内情を探って、占領地の民をまとめてきた。今年の冬に命令が一つ増えた。第七皇女を探して殺せ。果たせば帰国を許す》


「今年の冬」


《そうだ》


 井戸の裏で枯れ葉をつままれた朝を、思い出した。金貨百枚だと、あの人は言った。


「私は名簿に線を引くのを手伝いました」


《知っている》


「手紙の出し方が怪しいと言いました。よく見ているなと、ほめられました」


《馬鹿な男だ。お前もだ》


「あの人は、私を殺すのですか」


《知らん》


 ザラは骨を前足で押さえた。


《十日あった。首を絞める時間はいくらでもあった。あの男は扉の外で寝て、お前の毛布の端を結んでいる。それが答えかどうか、私にはわからん。あの男にもわかっていない》


「どうして、私に教えるのですか。あなたはあの人の魔獣でしょう」


《あの男を売る気はない。死ぬときは一緒だ。魂の契約とはそういうものだ》


「では、なぜ」


《足の借りだ。お前は札の口添えを頼まなかった。私は借りを、札一枚で返したつもりでいた》


 金色の目が細くなった。


《だが、お前はあの校庭で、もっと大きなものを払った。話が違ってきた》


「あれは私が勝手に払ったものです」


《そうか。では、何を買ったのかも、お前が自分で確かめろ》


「どういう意味ですか」


《あの男の右腕を、もう一度よく見ることだ。お前は札の主だ。傷の手当ても、お前の仕事だろう》


 岩の下で、小石の鳴る音がした。


 ザラは何事もなかったように骨をくわえ、暗がりへ戻っていった。赤い髪が岩場を上がってくる。革袋の水が、肩で揺れていた。


「待たせた。何か変わったことは」


 私はすぐに答えられなかった。この人の前で、嘘をつくのは慣れている。ダフネのときから、ずっとだ。


「ありません。ザラは、ずっとお腹がすいたと言っていましたか」


「ああ。うるさかった」


 ラズは私に背を向けてしゃがんだ。


「乗れ。冷えてきた」


 広い背中だった。この背中は、私を殺しに来た人のものだ。怖いと思おうとして、思えなかった。炎茸《ほのおだけ》と、木の煙の匂いがする。腕を回すと、大きな手が私の腿の下を支えた。今日の朝もこの手で粥をよそった。この手で、毛布の端を結んだ。


「アマリア」


「はい」


「軽い。もっと食え」


「はい」


 岩場を下りながら、私はその肩に頬《ほお》を乗せていた。すぐ目の前に、まくった右の袖がある。


 黒い紋が、昼の光の中で揺れていた。


《あの男の右腕を、もう一度よく見ることだ》


 私はそれを見ていた。山を下りるまで、ずっと見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。