第26話 「処刑宣告」
「先輩の軍刀がないんです!」
雪がゆるみはじめた朝、ティモが避難所の階段を転げ落ちてきた。
「夜のうちに、壁から消えてました! あの刃の欠けた、いつものやつです!」
「知っている」
ラズは鍋をかき回しながら答えた。
「誰かが持っていった。そのうち出てくるだろう」
昼前に、出てきた。
医務棟の裏の古い焼却炉の前に、人だかりができていた。ガルムント寮の男たちが、輪を作っている。私はヨハンの腕につかまって、その隙間からのぞいた。
男が一人、炉の壁にもたれて座っていた。胸に軍刀が刺さっている。欠けた刃の根もとまで、深く。目を開けたまま、口がだらしなく開いていた。
その顔を、私は知っていた。
丘のふもとで麻袋を引きずっていた男だ。沢で、ノルンの胸から槍を引き抜いた男だ。
息を一つ吸って、吐いた。私はこの男が死ねばいいと思っていた。毎晩ではないが、何度も思っていた。今、その死に顔を見ている。少しも、胸がすかなかった。
「デトレフ! ああ、なんてことだ、デトレフ!」
甲高い声が響いた。ピエトロが死体の横で、大げさに両手を広げていた。
「新入生デトレフ・ツェラー! れっきとした男爵家の跡取りだ! おい、あの刀は誰のものだ!」
「奴隷の刀だ! 人殺しのラズの刀だ!」
「俺は見ました!」
人垣の前に、痩せた男が押し出されてきた。沢にいた、もう一人だ。エゴンという名前を、後で聞いた。
「昨日の夜、あの奴隷が、デトレフを呼び出すところを見ました。こいつは森で仲間を殺された、その仇を討ってやると言って!」
手を組んで、暗記してきたように言った。
騒ぎの真ん中を割って、大きなあごが歩いてきた。
「さて。困ったことになったなあ」
ボリスは死体の前で足を止め、軍刀の柄を靴の先でつついた。心から楽しそうな顔だった。
一刻の後、校庭に全校が集められた。
手首を縛られたラズが、校庭の真ん中に立たされている。逃げようと思えば、縄ごと三人は殺せるだろう。そうしなかった。地下の十五人が、人垣の後ろから見ていたからだ。
壇の上に、尋問教官ゲルトが帳面を持って立った。右半面の猛禽の紋が、昼の光の中で黒い。
「これより、奴隷ラズの裁きを行います」
「お待ちください!」
自分の声とは思えない声が出た。ヨハンの腕を放して、前へ出た。
「校則は一つのはずです。学内で死んでも、誰の責任にもならないと、何度も聞きました。ゲルト教官。今まで、ベルクハイムの中庭で首を落とされた娘たちについて、裁きがありましたか」
校庭が少しざわめいた。ボリスが、にやにや笑った。ゲルトは静かな声で答えた。
「よい質問です、ブレンナー。校則は、人間についての決まりです」
「はい」
「紋持ちは人間ではありません。帝国の持ち物です。持ち物が貴族を傷つけたなら、それは校則の外の話で、帝国の法で裁きます。犬が人を噛めば、処分するのと同じことです。殺人の罪ではないので、ご安心ください」
どこかで、笑い声が起きた。
カーヤが、人垣の奥で歯を食いしばっている。
そういうことだった。ボリスはこの半年、この手のために、ずっと我慢していたのだ。
「それでは、証言します。昨夜、ラズ先輩はデトレフと会っていません」
「ほう」
「私と一緒にいました。日の出の一刻前まで、ずっと」
校庭がしんとなった。
それから、爆発するような笑いが起きた。ボリスが腹を抱えている。ピエトロが、きいきいと叫んだ。
「聞いたか! 夜通しだとよ! 男爵家の娘が! 奴隷と夜通し!」
「札の主の証言は、法の上では無効です。護衛の情婦の言葉となれば、なおさらです」
ゲルトは表情を変えずに、帳面に一行書き加えた。
顔が焼けるようだったが、そんなことはどうでもよかった。ラズが、こちらを見ていた。琥珀色の目が、わずかに細くなった。よせ、と言っている。
私は黙らなかった。
「ではボリス殿下にうかがいます。殿下は札市の最後の夜に、お約束をなさいました。狙うのは札の護衛だけにする、地下の者には手を出さないと」
「おう、した!」
ボリスは大きな声で答えて、両手を広げた。
「だから守っているだろう! 見ろ、地下の鼠どもは、誰一人縛っていない! 狙っているのは、この奴隷だけだ! 俺は約束を守る男だ。おい、奴隷、感謝しろ!」
太い指が、ラズの胸を突いた。縛られた手が動きかけて、止まった。ラズは一言も言わなかった。頬の傷の縁が、かすかに動いている。
「判決を申し渡します」
ゲルトが帳面を閉じた。声は授業のときと同じだった。
「奴隷ラズ。貴族殺害により、死刑。帝国法に基づき、『裁きの呪い』を発します。腕の紋は今夜から黒く伸び、三日のうちに心臓へ達します」
誰も笑わなくなった。
「裁きの呪い」という言葉を、私は本で読んだことがある。紋を刻む術に、最初から組みこまれている。死刑を宣告された紋持ちの腕の紋が、血の中を這って進む。苦しみは毒より長く、最後は心臓が止まる。逃げても止まらない。紋を切り落としても、止まらない。
「ゲルト教官。解く方法は」
「ありません」
ゲルトは初めて、私のほうを見た。細い目だった。杯を差し出したときと同じ目だ。
「ああ、失礼。古い法を一つ忘れていました。皇族の血の誓約があれば解けます。百年、誰も使っていませんが。第七皇女殿下でも、お探しになりますか」
校庭に、また笑いが広がった。
私は笑わなかった。第七皇女なら、ここにいる。喉まで出かかった言葉を、飲みこんだ。
ボリスが、ゆっくりと私の前へ歩いてきた。金の飾りの長靴が、雪解けの泥を踏んだ。
「残念だったな、死にぞこない」
生ぬるい息が、頬に当たった。
「夜通し、ご苦労だったな。今夜からは、ゆっくり寝ろ。三日後、ここに磔にしておいてやるから、よく見に来い。あの奴隷がどんな声で泣くか、俺も聞いたことがないんだ。楽しみにしているぞ」
ラズは尋問棟へ引かれていった。
人垣のそばを通るとき、低い声が聞こえた。私にではなく、ティモとヨハンに向けて。
「動くな。誰も来るな。これで地下に手を出す口実を、奴らにやるな」
ティモが顔をくしゃくしゃにして、それでも、笑おうとした。
「先輩、晩ごはん、どうするんですか」
「鍋は洗ってある」
それだけだった。
次の朝、私は札を持って尋問棟へ行った。札の主には、面会の権利がある。
地下の牢は、炎茸も煙の匂いもしなかった。鉄格子の向こうの床に、ラズが背中を壁につけて座っていた。私を見ると、舌打ちをした。
「来るなと言った」
「あなたは地下の人たちに言ったのです。私には言っていません」
「帰れ。お前の顔を見ていると、吐いてから吸えと言いたくなる」
「腕を見せてください」
「帰れ」
「見せてください」
しばらくしてから、ラズは右の袖をまくった。
黒い紋の端から、細い線が伸びていた。
血管に沿って、木の根のような黒が、肘のすぐ下まで上がっている。
手を伸ばしても、鉄格子の間からは届かない。ラズの額に汗が浮いていて、唇の色が悪い。低く長い息を吐いて、袖を戻した。
「見たな。帰れ」
「はい」
足が動かなかった。三日で心臓に届く。今日が一日目で、もう肘だ。
「ダフネ」
「はい」
「遠い国へ行け。いつ返事をしてもいい」
私は答えなかった。答えられなかった。
階段を上がって、外へ出た。雪解けの風が吹いている。空が明るい。校庭の真ん中で、ガルムントの一年生たちが、歌いながら太い柱を立てていた。
解く方法は、皇族の血だけだ。
私は自分の手を見た。手のひらにまめが六つある。細い手首を、青い血管が這っている。
ここにも、それは流れている。




