第19話 「茶会」
「座る椅子がございませんの」
第五皇女ヘルミーネは、扇の陰で口もとをゆるめた。
「皆さまの分しか用意がなくて。床でよろしいかしら。あなたのお家では、いつもそうなのでしょう?」
白い円卓に、十人の令嬢が座っていた。第四皇女タチアナの離れの客間である。寮の部屋が丸ごと三つは入る。招待状が届いたのは今朝で、断れば明日は札なしの実習組に回すと書いてあった。
ヴィヴィアンが奥の席から、ひらひらと手を振っている。
「はい、殿下。床は慣れております」
私は絨毯に膝をついた。この絨毯で、ロザーン寮の屋根が直せるだろう。
「あなた、リシャール殿下に桶を持たせたそうね」
タチアナが言った。背が高く、ボリスと同じ大きなあごを、薄い化粧でごまかしている。
「殿下がお持ちくださいました」
「三度も、なのよね。飼育場で。食堂の場所を聞くふりをして。あの方は誰にでもお優しいの。勘違いしてはいけないわ」
「勘違いはしておりません」
「嘘おっしゃい。奴隷をくわえこんだ女が、次は王子? 豚小屋の女は、節操がないのね」
令嬢たちが、声をそろえて笑った。給仕が銀の盆に載せた茶を運んでくる。私の分は、絨毯の上に直接置かれた。カップの底に、銅貨が沈んでいる。
「噛んで見せて。殿方たちが皆、あの話をするの。一度見てみたかったのよ」
また笑いが起きた。
銅貨を噛むくらいは何でもない。私はカップを手に取った。肩の上のピピンが、ひくひくと毛を動かした。
《おい人間。この部屋に、えらそうな猫がいるぞ》
窓辺のクッションに、銀色の長い毛の猫が丸くなっていた。絹猫だ。ヘルミーネの契約魔獣だと聞いている。首にヘルミーネの髪と同じ色のリボンを巻かれて、うんざりした目をしている。
《また下らないことをしている》
絹猫が尾をひと振りした。
《背の高いほうの女が、さっき主人の首飾りを、袖の中へ入れた。あの床の娘の荷物へ移す気だ。どちらも馬鹿だ》
私はカップを持ったまま、動きを止めた。
「あら!」
ヘルミーネの声が裏返った。胸もとを押さえ、椅子を蹴って立ち上がる。
「私の首飾りがないわ! 母上の形見の、青玉の! さっきまで確かにしていたのに!」
「まあ、大変!」
タチアナが真っ先に、大きな声を出した。
「扉を閉めなさい。誰も出てはなりませんよ。こんな席で盗みだなんて、考えたくもないけれど、ここにいるのは身分のある方ばかり。一人を除いて」
視線が、全部こちらへ来た。
「お待ちください。私はこの部屋で、絨毯から動いておりません」
「身につけているものを、改めさせていただくわ。軍服を脱いでちょうだい。全部ね。泥棒の疑いを晴らしたいでしょう?」
脇腹に、血が集まった気がした。
軍服を脱げば、右の脇腹の傷あとが出る。医者の手で切った、きれいな傷だ。後宮の医者の縫い方をしている。ゲルトが丸をつけた名前の娘に、そんな傷があると知れたら、今夜のうちにボリスの耳に入る。
タチアナの袖が、さりげなく私のほうへ寄ってきた。私の荷物へ手を入れるつもりだ。
考えろ。絹猫の声が聞こえるなどと、言えるわけがない。
私は肩の毛玉をつまんだ。
「ピピン、お願いがあるの」
《なんだ》
唇をほとんど動かさずに、息だけで言った。
「あの背の高い人の、左の袖。何か光るものがあるわ」
《光るもの! 肉より?》
「噛んで振ったら、串一本」
《串!》
白いものが、私の手から飛び出した。
「きゃあ!」
ピピンは銀の盆を蹴って跳ね、ヘルミーネの髪に一度着地してから、タチアナの左腕へ飛びついた。袖の中へ頭を突っこみ、しっかり噛みついて、体ごとぶんぶん振りはじめた。
「何、これ! 離して! 誰か!」
タチアナが腕を振り回した。
ちゃりん、と音がした。
白い円卓の真ん中に、青玉の首飾りが落ちて、カップの間を滑っていった。
客間から、音がなくなった。
「申し訳ございません、殿下」
私は絨毯に両手をついて、深々と頭を下げた。
「私の魔獣は、光るものが好きで。お袖の中まで探しに参るとは、思いませんでした。よく叱っておきます」
《おい! 串だぞ! 言ったからな!》
「タチアナお姉さま」
ヘルミーネの声は、とても静かだった。
「どうして、私の母の首飾りが、お姉さまの袖の中に?」
「違うのよ! これは、この女を、わかるでしょう、そのために!」
「ずいぶん慣れた手つきですこと。前になくした耳飾りも、お姉さまの袖にいたのかしら。リシャール殿下に見せるつもりだった、あの耳飾りも」
「なんですって! 殿下の前では口もきけない女が、何を!」
「そのあごを隠してから言っていただけます?」
カップが飛んだ。令嬢たちが悲鳴を上げて壁へ逃げる。第四皇女の手が第五皇女の髪をつかみ、第五皇女の爪が第四皇女の頬をかいた。
誰も、床の娘のことなど見ていなかった。
カップの底の銅貨は、拾っておいた。もらった銅貨は使っていいはずだ。串四本である。
「ねえ、聞いて」
甘い匂いが、隣にしゃがみこんだ。ヴィヴィアンがとっくに席を立っていて、頬杖をつき、姉妹のつかみ合いをうれしそうに見物していた。
「お兄様に見せたかった。今年いちばんおもしろいわ。ねえ、毛玉ちゃん、賢いのね。袖に入ってたなんて、なんでわかったのかしら」
「鼻がいいのだと思います」
「ふうん。あなたの鱗馬と同じね」
ヴィヴィアンの目が、私を見た。ヴィヴィアンの目はいつも笑っているので、笑っていないときとの区別がつかない。
「さ、行きましょ。もう帰らないと。お昼の鐘でしょ?」
「ええ」
「今日はお薬、お昼に変わったんでしょ。遅れたら大変だもの」
「ありがとうございます」
私はヴィヴィアンの手を借りて立ち上がった。ありがたかった。足がしびれていた。扉の外の廊下まで、まだカップの割れる音が追いかけてきた。
「じゃあね。ごめんね、変な会に呼ばれるのを止められなくて」
ヴィヴィアンは手を振って、自分の棟へ歩いていった。
寮の前で、ネリネが小瓶を持って待っていた。
「ダフネ様、お薬の時間です」
「ごめんなさい、遅れたわね」
「いいえ。今朝、薬師から、今日からはお昼にと言われたばかりですので。お伝えしそびれていないか、心配しておりました」
小瓶の栓を抜いて、私は手を止めた。
「そう、今朝のことだったのね。あなた、そのことをヴィヴィアン殿下に話した?」
「私が、王女殿下にですか」
ネリネは目を丸くして、それから困ったように笑った。
「まさか。今朝は使用人棟から出ておりません。私などが王女殿下にお声をかけるなど、とても」
「そうよね」
私は薬を飲みほした。ピピンが肩の上で《くさい》と文句を言っている。
ネリネが聞いたのは今朝で、使用人棟から出ていない。私でさえ、さっきヴィヴィアンの口から知ったばかりだ。
ヴィヴィアンは、どこで聞いたのだろう。




