第18話 「医療局」
「母さんは、鉱山で働いてるはずなの」
カーヤは封筒をもう一度開いて、同じ紙を見た。
『カーヤの母 提供済み。遺骨の返却なし。弟 予約済み』
紙にはそれだけ書いてあった。帝国医療局の印が押してある。
「どう読むの」
私には読めた。読めたが、言葉が出なかった。それで翌朝、私はカーヤを連れて救命学の教官室の戸を叩いた。
「入りなさい」
カミラは袖をまくって、薬草を刻んでいた。紙を見ると、包丁を止めずに言った。
「今日の午後は、校外の実習よ。ふもとの医療局の分院を、新入生に見せることになっているわ。ついていらっしゃい。片腕の子も、一緒にね」
「読み方を教えていただけませんか」
「見ればわかるわ。教官の口から聞くより、ずっとよくわかる」
ふもとの分院は、白い石の大きな建物だった。玄関には花が飾ってあり、きれいに掃除がしてある。カミラのあとを歩く新入生たちは、珍しそうに天井を見ていた。カーヤだけが下を向いている。
「ここは、帝国の誇りよ」
カミラは廊下を歩きながら、授業と同じ声で言った。
「戦傷者の九割を、ここで救っているわ。腕をなくした将軍に腕を、目をなくした貴族に目を。腎、肝、血。帝国の医学は、大陸で一番進んでいるの」
「教官、その腕や目は、どこから来るのですか」
気の弱そうな新入生が手を挙げた。
「いい質問ね。こちらよ」
カミラが奥の扉を押した。
匂いが変わった。薬草の奥に、古い藁と、人の汗の匂いがした。
長い部屋に、木の寝台が何十と並んでいた。二段になっている。一人一人が横になっていて、手首が寝台の枠に結ばれていた。ほとんどの者の両腕に、黒い紋がある。老人もいた。子どももいた。
どの寝台にも、足もとに札が下がっていた。
『肝 第三皇子派 ヴェルダー伯爵家 予約』
『右目 未定』
『腎 右 提供済み 左 予約』
教室では騒がしい新入生たちが、誰も口をきかなかった。
札を読むのは簡単だった。字はとてもきれいだった。
「奴隷の家族は、国の持ち物よ」
カミラは歩みをゆるめなかった。
「怪我人や病人が出たら、ここから合うものを探すの。占領地の民から、ずいぶん集めたわ。合うかどうかは血を見ればわかるのよ」
「食事も出ているんですね」
誰かが小さな声で言った。寝台の間を、紋のある女が粥を配っていた。
「大事な品物ですもの。痩せると質が落ちるの」
カーヤが、立ち止まっていた。
二段の寝台の下の段に、痩せた少年が寝ていた。十歳くらいだ。紋は片腕だけだ。奴隷の子だとわかる。ただ足もとの札は、『肝 予約』となっていた。
カーヤの弟ではなかった。カーヤは少年の顔を見て、次の寝台を見た。その次を見た。私はカーヤの袖を握った。カーヤは振りほどかなかった。
「トビアスっていうの」
カーヤが言った。
「弟。今年、十一」
「探しましょう」
「どこに。何十部屋あると思ってんの」
カミラが戻ってきた。カーヤの前で足を止めて、封筒の紙に手を伸ばす。一度だけ目を落とすと、紙を返した。
「その子は、帝都の本院ね。ここにはいないわ」
「いつ」
「予約がついた子は、相手の都合で呼ばれるの。今年中かもしれないし、十年先かもしれない」
「あんた、それでよく、人を助ける授業なんてできるわね」
「ええ」
カミラは片腕の少女をじっと見た。その目は怒っていなかった。
「よく、できるでしょう。腕も目もなくしたまま死んでいく兵士を、私は二十年見てきたの。私の手で縫えない傷は、ここから持ってくるしかない。これが帝国の医療よ。嫌なら、帝国を変えられる人間に頼むことね」
カミラの袖口に、私の視線が落ちた。腕はきれいだった。
右の脇腹が、つんと痛んだ。
雪の日でもないのに、突然だった。私は思わず軍服の上から手で押さえた。かがみこんだところへ、カミラの声が降ってきた。
「どうしたの、ブレンナー。顔色が、いつもよりひどいわよ」
「匂いに、酔いました」
「そう。手術のあとがあるそうね。医務棟の記録に書いてあったわ。誰に切ってもらったの」
「存じません。子どものころのことですので」
「そう」
カミラは、私の手の下にある脇腹を見ていた。少し長く、見ていた。
「ここの古い帳簿はね、十年ごとに鉱山の倉庫へ送られるの。あそこは乾いているから、紙が腐らないのよ。誰がいつ何を受け取ったか、全部残っているわ」
「どうして、私にそのお話を」
「授業よ」
カミラは袖を直して、歩いていった。
大学へ戻る坂道を、カーヤは何も言わずに歩いた。私も何も言わなかった。私の息が切れて、百歩ごとに休んでも、カーヤは先へ行かなかった。怒ったような顔で、私が立つのを待っていた。
「あんたさ」
「はい」
「あたしの腕がきれいじゃない話、最初の日にしたでしょ」
「ええ」
「あんなところで生かされてる子から臓物を取って、それで元気になった貴族って、どんな顔して粥を食うのかな」
カーヤは坂の下の白い建物を振り返った。
「きっと、自分じゃ知らないのよ。自分の腹の中に誰がいるかなんて。知らないで、おいしいとか言うのよ」
右の脇腹へ行きかけた手を、私は握りこんで止めた。
夜、避難所のかまどで、ラズが粥を作った。カーヤの前にだけ、黙って肉を二切れ多く入れた。
「今日の死にかけ自慢」
ティモがいつもの調子で言いかけて、カーヤの顔を見て止まった。かまどの火だけが音を立てた。
カーヤが、匙を置いた。
「今日は、死にかけてない。死にかけてたのは、あたしじゃない」
「そうですね」
ティモはそう言って、自分の椀の肉を、カーヤの椀へ移した。ヨハンも移した。ラズの椀からも、一つ来た。カーヤの椀は山盛りになった。
「ばかじゃないの」
カーヤは下を向いて、全部食べた。
避難所を出ると、外の階段の下に、ネリネが小瓶を持って立っていた。
「ダフネ様、お薬の時間です。今日は遅うございましたね」
「ふもとの、医療局へ行っていたの」
「まあ」
ネリネは小瓶の栓を抜いた。いつもと同じ、優しい声だった。
「ねえ、ネリネ。私の手術のこと、覚えている? あなたは、もうそばにいたでしょう」
「はい。傷んだところを切り取ったのです。よく耐えられました」
「切り取っただけなのね」
「はい」
ネリネはほほえんで、小瓶を私の手に載せた。
その指が、いつもより、ずっと冷たかった。




