↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にぞこないの病弱皇女は、奴隷の護衛に恋をする  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/79

第17話 「毒見」

「はい、今日の死にかけ自慢は中止です! 本日は宴会です!」


 ティモが鍋のふたを叩いて叫んだ。


 地下の避難所に、ありえない匂いが満ちていた。旗取りの賞品の小麦が、ロザーン寮から荷車で届いたのだ。グンナルが「うちの神が世話になっている」と言って、半分を回してくれた。白いパンが焼ける。今夜は、そこへ祝いの品がもう一つ加わった。


「大学の厨房からです。優勝した寮と、その関係者へだそうで」


 ヨハンが大きな土鍋を二つ、かまどの横に置いた。ふたを開けると、湯気と一緒に肉の匂いが広がった。牙猪《きばいのしし》の煮込みだ。脂がとろりと光っている。


「牙猪なんて、一年ぶりに見た」


「カーヤ、泣いてる?」


「煙がしみただけよ。どいて、皿を出すから」


 十五人が一度に動き出した。ティモが一番に椀《わん》を差し出す。ラズはいつものように杓子《しゃくし》を鍋に入れた。


「味見は」


「一口だ。黙って待て」


 ラズが杓子を持ち上げる。その鼻先を、湯気が通り過ぎた。


 同じ湯気が、私のところへも来ていた。


 牙猪の脂の匂いの下に、ごく薄く、雨のあとの土のような匂いがある。兄の持ってきた本の、三百頁目あたりに書いてあった匂いだ。


「食べないで!」


「食うな!」


 二人の声が重なった。


 地下じゅうが動きを止めた。ティモが匙《さじ》を口の前まで持ってきたまま、目だけをこちらへ向けた。ラズは杓子を鍋に戻し、私を見ていた。


「あの、先輩? ダフネさん? これ、一口だけ、いいですか」


「死にたければな」


「灰目茸《はいめだけ》です」


 私はかまどの前へ行って、鍋の縁を指さした。


「煮ると、脂の泡がわずかに灰色になります。食べても、その日は何も起きません。おいしいそうです。翌朝、眠ったまま起きなくなります」


 ティモの匙が、ゆっくりと椀へ戻っていった。


「翌朝、全員ですか」


「全員です」


「僕、明日、靴下を洗う予定だったんですけど」


「洗わずにすむところだったな」


 ヨハンが静かに言って、鍋のふたを閉めた。カーヤが立ち上がり、厨房へ走りかけて、ラズの声に止められた。


「行くな。運んできた奴はもういない」


「ボリスよ! あいつ、仲間には手を出さないって言ったじゃない!」


「証拠がない。厨房の祝いだ。誰が煮たかなど、わかるものか。あいつは、約束は守っていると笑うだけだ」


 カーヤが唇をかんだ。十五人が、黙って白いパンを見た。パンはグンナルの小麦で、ラズが焼いたものだ。


「パンは、大丈夫です」


 私が言うと、ティモがそろそろと手を伸ばした。


《おい、それ食わないのか》


 頭の上からピピンが転がり落ちた。止める間もなかった。白い毛玉は鍋のふたの隙間へ頭を突っこみ、肉のかけらをくわえて、もぐもぐと飲みこんだ。


「ピピン! 吐きなさい!」


《うまい!》


「それは毒なの!」


《知ってる。ちょっとピリッとする。もう一個くれ》


 私は毛玉をつまみ上げて、口をのぞきこんだ。歯のかけらみたいな小さな歯があるだけで、灰色にもなっていない。ピピンは手の中で元気に跳ねた。


「何と言っている」


 ラズが聞いた。


「おいしいそうです」


「毒だろう」


「そう言いました。もう一個ほしいそうです」


 ラズは毛玉をしばらく見ていた。それから土鍋を二つとも持ち上げて、地下の外へ出ていった。今夜の宴会は、塩をふったパンだけになった。それでも十五人とも生きている。ティモは「白いパンって、塩だけで泣けるんですね」と言いながら六つ食べた。


 夜半、私は外の階段に腰かけていた。土を掘る音が止まって、ラズが戻ってきた。鍋は裏手に埋めたらしい。手に土がついている。


 隣に座った。一人分だけ、間をあけて。


「灰目茸の泡の色を、どこで読んだ」


「拾った本です。あなたは、どうして気づいたのですか」


「湯気だ」


「煮込みの湯気で灰目茸がわかる人を、私はほかに知りません。奴隷の子が、どこで覚えたのですか」


「闘技場では、飯に毒を入れる」


「賭けのために、ですか」


「そうだ」


「この前は、闘技場で毒の刃は使わないと言ったら、関係ないとおっしゃいました」


「お前は、なんでも覚えている」


「本を読むくらいしか、することがなかったので」


 ラズが、膝の上で両手を組んだ。私も毛布を引き寄せた。互いにまだ相手を見ていない。


「お前は鍋の匂いをかぐ前に、もう息を止めていた」


「あなたは、毎日全部の鍋を味見しています。ティモさんは食い意地だと言っていましたが、三年間です」


「それがどうした」


「串を食べるとき、鼻の下を通します」


「お前は、知らない飲み物の杯を持つと、最初に指の先で底をさわる」


 息が止まった。自分でも知らなかった。


 しばらく、夜の虫の声だけがしていた。


「一つ聞いてもいいですか。答えたくなければ、いいです」


「言ってみろ」


「毒で死にかけたことはありますか」


 ラズは答えなかった。階段の下の暗がりを見ていた。もう何も言わないのだろうと思ったとき、低い声がした。


「ある」


「いつですか」


「ガキのころだ。次は俺の番だ。お前は」


「あります」


「いつだ」


「子どものころです」


「誰にやられた」


「それは、三つ目の質問です」


「そうだな」


 ラズの口の端が、また動いた。今度は暗い中でもわかった。


「今夜は一つずつだ」


「はい。次にまた、誰かが鍋に毒を入れたときに」


「あまり間をあけるなと、ボリスに頼んでおく」


 ラズが立ち上がり、私の頭の上に、畳んだ布を落とした。手巾《しゅきん》だった。洗ってあって、薄く石けんの匂いがする。月鈴草《つきすずそう》の刺繍《ししゅう》の、ほつれていた一か所が、不器用な糸で留めてある。


「これは、あなたが」


「知らん」


 言い捨てて、ラズは扉の中へ消えた。


 私は手巾を握ったまま、階段に座っていた。毒の話をしていただけだ。それなのに、頬《ほお》の紅が今夜はいらないくらい熱い。


 扉がまた開いたのは、そのときだった。


 カーヤが立っていた。いつものとげのある顔ではない。手に、灰色の封筒を持っている。


「あんた、本を読むんでしょ」


「ええ」


「さっき、小麦の荷と一緒に届いてたの。医療局の封筒。字は読めるけど、意味がわかんない」


 カーヤは封筒を、私の胸に押しつけた。その手が小さく震えていた。


「『提供済み』って、なに」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。