↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にぞこないの病弱皇女は、奴隷の護衛に恋をする  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/79

第12話 「契約の森」

「ねえ、これ、塗りすぎじゃない?」


「あなたが塗ったのよ」


「そっか。じゃあ大丈夫だ」


 南の谷の入り口に、新入生が百人ほど集められていた。四百人の新入生を、四日に分けて森に入れるのだという。朝霧が低く流れ、その奥に、見上げても先の見えない木々が並んでいる。これが契約の森だ。


 森の決まりは簡単だった。入れるのは在学中に一度きり。日が沈めば門は閉まる。その前に魔獣と契約して出てくれば、騎手になれる。契約できなかった者は、卒業後に歩兵として前線へ行く。


 魔獣が人を選ぶと、その人を噛《か》む。噛まれた跡が、契約の印だ。


「新入生の諸君、武器の使用は自由だ。魔獣を巡って争うのも自由だ。校則は一つ!」


 ピエトロの甲高い声が、霧の向こうへ消えていった。ボルグの羽ばたきが、頭の上を北へ流れていく。


 門が開いた。


 最初は、誰もが走った。私はもちろん走らない。ラズに言われた通り、道を外れ、斜面の端の倒木の陰へ回りこむ。ノルンが棒を担いで隣を歩いていた。


「先に行っていいのよ。あなたは走れるでしょう」


「いいの。あたし、魔獣には走って追いかけないほうがいいと思う。牛でも鶏でもそうだよ。追うと逃げるんだよね」


「魔獣も牛と同じなの?」


「腹が減ってれば、だいたい同じ!」


 森の中は、声だらけだった。


《見ろ、また来た》


《今年はやせてるな》


《あの大きいのはやめておけ、匂いが悪い》


 頭の上で、枝の間で、藪の奥で、魔獣たちがしゃべっている。姿は見えない。私以外には、鳥の声と風の音にしか聞こえないのだろう。私は声の多いほうを避けて進んだ。


 遠くで、悲鳴が上がった。金属がぶつかる音がする。すぐ近くで、誰かの怒鳴り声がした。


「俺が先に見つけたんだ!」


「知るか!」


 それきり、片方の声が聞こえなくなった。


 ノルンはその方向を見て、唇を結び、棒を握り直した。


「ほんとにやるんだね」


「ええ」


「あたし、人は叩けないなあ。猪なら叩けるけど」


 昼過ぎ、小さな沢に出た。私が水を飲もうとしてへたりこんでいると、ノルンが背負い袋から灰麦《はいむぎ》の団子を出して、半分くれた。半分のさらに半分を、自分の足もとへ置く。


「何をしているの」


「誰か出てくるかなと思って」


 しばらくして、藪ががさがさと揺れた。


 出てきたのは、子牛ほどの大きさの獣だった。ずんぐりした茶色の体に、短い角が二本。丸い鼻をひくひくさせている。土熊《つちぐま》だ。力が強く、気が優しく、畑の魔獣と呼ばれている。


《いい匂いがするぞ》


 子どものような声だった。


《あの人間から、牛小屋の匂いがする。おれ、あの匂い好きだ》


 息が止まった。


「ノルン」


「しっ。動かないで、ダフネ」


 ノルンはしゃがんだまま、団子をもう少し前へ押した。土熊がのそのそと近づいて、団子を食べた。丸い鼻が、ノルンの膝にぶつかる。ノルンはゆっくり手を伸ばして、耳の後ろをかいた。


「よしよし。そこ、かゆいよねえ。うちの牛もそこなんだよ」


《そこだ。そこだそこだ。お前、わかってるな!》


 土熊は目を細めて、ごろりと腹を見せた。


 ノルンが、こちらを振り向いた。


 丸い顔が、頬《ほお》の端まで全部、笑っていた。


「ねえ、ダフネ、見て! この子、あたしのこと」


 どん、と音がした。


 ノルンの胸から、槍の先が生えていた。


 何が起きたのか、わからなかった。ノルンも、わからない顔をしていた。笑ったまま、自分の胸を見下ろしている。


「やった! おい、仕留めたぞ! 土熊だ、早く押さえろ!」


「でかした!」


 藪の中から、新入生の男が二人、駆け出してきた。その顔を、私は知っていた。


 丘のふもとで、麻袋を引きずっていた二人だ。


 槍が引き抜かれた。ノルンの体が、沢の石の上へ横に倒れた。男たちは彼女を見なかった。またいで、土熊の角へ飛びつこうとしている。


「ノルン」


 声は、自分のものと思えないほど小さかった。


 這《は》った。石で膝が切れた。ノルンの肩をつかむと、まだ温かかった。丸い顔が、私のほうへ少し動いた。


「ダフネ」


「ええ」


「紅、ポケットに」


 口の端から血があふれて、それ以上は続かなかった。


「ノルン」


 目が、私を見ていなかった。


《どうした》


 土熊が言っていた。男たちに角をつかまれながら、丸い鼻をノルンのほうへ伸ばしている。


《どうして寝た? おい、さっきのところ、もう一回かいてくれ。おい》


「こいつ、噛めよ! 俺を噛め、ほら!」


「なんで噛まないんだ! 俺が見つけたんだぞ!」


 男の一人が、角を棒で殴りつけた。


 私の中の何かが、ひどく静かになった。


「逃げなさい」


 私は土熊を見て、はっきりと言った。


「その人間たちは、あなたを選びに来たのではないわ。あなたをかいてくれた人を、今、刺したの。噛まなくていい。走って」


《刺した?》


「走りなさい!」


 土熊は、丸い目で私を見た。それからノルンを見た。


 短い角が、男の腕を振りほどいた。子牛ほどの体が藪へ突っこんでいく。木の枝の折れる音が、見る間に遠ざかっていった。


「ああ! おい、逃げるぞ!」


「追え!」


 一人が走り出しかけて、振り向いた。槍の先から、赤いものがまだ垂れている。


「今、お前、何か言ったか」


「いいえ」


「お前のせいで逃げたんじゃないのか。おい。こいつ、銅貨を噛んだ女だぞ」


 もう一人が、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。


 息を吸う。ラズに習った通りに、まず吐いて、それから吸う。手のつき方。起き上がるのに使う筋肉。ノルンのポケットに手を入れると、貝殻の固い手ざわりがあった。


 握りしめて、斜面へ転がった。


 端だ。目立たない端に、身を寄せる。藪の根もとを、ラズの教えた通りに、音を立てずに這う。指先の感覚は、もうなかった。


「どこだ!」


「ほっとけ! 土熊を追え、日が暮れるぞ!」


 足音が遠ざかっていった。


 倒木の下に体を押しこんで、私は動けなくなった。貝殻を握った手に、誰かの血がついている。


 今朝、この紅を、頬に塗ってもらった。


 串は二本ずつの約束だった。


 泣かなかった。泣き方は、覚えていない。ただ息だけが、うまく吸えない。


 どのくらい、そうしていただろう。木々の間の光が、赤みを帯びはじめていた。


《おい、見ろ。あいつだ》


《逃げろ。あいつが来たぞ》


《でかい鳥だ。鞭の匂いだ》


 森の声が、いっせいに遠ざかっていった。さっきまであれほどうるさかったのに、虫までが鳴きやんだ。


 頭の上の枝が、大きな風でしなった。


 葉が雨のように降ってきた。黄金の羽が一枚、倒木の前に落ちる。金の飾りのついた長靴が、その羽を踏んだ。


「隠れるのがうまくなったな」


 楽しそうな声だった。


「だが匂いでわかるそうだ。ボルグは鼻がいい。出てこい、死にぞこない」


 倒木の隙間から、大きなあごが見えた。


「言っただろう。森なら事故だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。