閑話・ラズ 「変な娘」
《今夜は、肉が少ないな》
「文句を言うなら自分で獲れ。足はどうだ」
《治る》
裏山の岩の裂け目で、俺は血のついた葉をつまみ上げた。銀葉草だ。噛みつぶして傷に詰めてある。詰め方が正しい。歯の跡が小さい。
懲罰房を出たのは、今日の夕方だった。紋持ちが学生の骨を折れば、二晩は鍵の中だ。その二晩のあいだに、ザラは罠を踏んでいた。俺がここにいたとしても、罠は開けられただろうが、毒には気づかなかった。俺にわかるのは、人の骨の折り方くらいだ。
「この葉を詰めたのは、あの娘だな」
《そうだ》
「お前を見て、逃げなかったのか」
《逃げる足がなかった。私と同じだ》
「なぜ助けた」
《痛そうだったからだと言っていた》
「それだけか」
《それだけだ。札の話は一言もしなかった》
ザラはそう言うと、肉を骨ごと噛み砕いた。俺に隠し事をしている顔だが、こいつが隠すと決めたものは、十年つきあっても聞き出せたためしがない。
俺の名は、ラズということになっている。
帝国の奴隷の子で、闘技場で名を上げ、領主に買われて推薦でこの大学へ来た。人を殺す。腕に紋がある。肝を食うらしいが、それは今週初めて聞いた。
本当の名は、イスマエルだ。
ザハリア王アズハルの息子である。帝国が領土を奪い、民に紋を刻んだ、あの敵国の王の子だ。もっとも、母は踊り子で、俺は王妃が端から殺して回っている庶子の一人だから、王子と名乗ったところで誰も頭は下げない。父は十一の俺を国の外へ放り出した。今は密使が来て、用件だけを言って帰る。
用件はこうだ。帝国の内情を探れ。占領地の民を組織しろ。
だから地下に人を集めた。
片腕の紋は、いろいろな者に刻まれる。落伍者も、異端者も、政治犯も、帝国に都合の悪い者は、のきなみ紋を刻まれる。その中で一番罪がないのは、俺の国の民だろう。帝国に土地を奪われただけで両腕に紋を刻まれ、鉱山や畑で働かされている。その子どもたちが、片腕の紋を持って、この大学にいる。俺が集めたのは、まずその子たちだ。
異端者や政治犯とも、いずれ手を組む。敵の敵は味方だ。帝国に紋を刻まれた人間を手元に集めておけば、いつか役に立つ。そう考えて始めたことだ。
ティモが夜中に腹を減らして泣いていたので、飯を作るようになったのは、たぶんその計算の外だ。
「札を結べば、目立つ」
《そうだな》
「今までの三年が台なしだ」
《そうだな》
「お前が借りは返せと騒がなければ、結ばなかった」
《私は騒いでいない。お前が校舎の屋根の上で馬鹿みたいに迷っていたから、遅いと言っただけだ》
俺は黙って、次の葉を詰めた。
あの娘のことを考える。
ダフネ・ブレンナー。銅貨を噛んだ女。あれだけ打たれても立つのは根性だが、根性のある奴はいくらでも死ぬ。気になるのは別のことだ。
焼却炉の裏で、あの女は黙って頭を下げた。怯えてはいなかった。逃げていく三人の手首と膝とひじとあごを、順に目で追っていた。どこを折られたか、それで命が助かることまで、わかっている目だった。そんな女が、鶏しかいない男爵家の三女か。
それに、串だ。
俺が匂いをかいだとき、あの女だけがこちらを見ていた。ほかの誰も気づいたことのない癖だ。
「貧乏男爵の娘にしては、よく本を読んでいる」
《そうか》
「ボリスが探している第七皇女は、十年寝ていたそうだな。本くらいしか読むものがない」
《あの顔色なら、半分は当たりだな。青白い娘はもう何人も、そう思われて殺された》
「そうだな。麻袋で運ばれるような女なら、とっくに運ばれている」
第七皇女を見つければ、帝国の第二皇子エルネストの首根っこを押さえられる。継承戦の盤面が動く。こちらの国にとっても悪い話ではない。札を持っていれば、あのあたりをうろつく理由にもなる。
打算は、これで立った。
ザラの足を見た。腫れが引きはじめている。十年つきあった相棒の命が、銅貨四枚の娘の歯形の葉で助かった。
打算でないものについては、考えないことにした。
《おい》
「なんだ」
《あの娘の札、大事にしておけよ》
「どういう意味だ」
《別に》
ザラは目を閉じて、それきり何も答えなかった。
山を下りると、旧校舎の地下の灯りがまだついていた。明日、あの女をあそこへ連れていかなければならない。護衛なのだから、仕方がない。
カーヤが何と言うかを考えて、俺は少しだけ、胃が重くなった。




