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禁足地の境界線  作者: 多田羅 和成
第1章 初めての仕事

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第7話 清流寺跡地

 清流寺跡地(せいりゅうじあとち)へ向かう車内は、ページをめくる音だけが響く。


 沙代里(さより)は佐々木から渡された資料を見続けた。


 初めての禁足地では、何が起きるのか予想すらできない。


 自分には八雲(やくも)のように霊へ対抗する術はないからこそ、一歩間違えれば境界人として認められないどころか死ぬ。


 そのせいか注意深く資料を読み進めるほど、沙代里の中で生きて帰れる自信がなくなっていく。


 自分で境界人になると決めたのに、恐怖で覚悟が揺らいだ。


「おい、聞こえているのか。着いたぞ」

 

 八雲に肩を軽く揺すられる。そこでようやく車が停まっていたことに気が付いた。


「あっ! す、すみません! 今すぐ降ります! ……ってあれ?」


 沙代里は慌ててシートベルトを外そうとする。


 しかし異様に周囲が明るいことに違和感を覚え、車窓の外へ目を向けた。


「九条さん。ここ無料駐車場で清流寺跡地じゃないですよ? まさか道を間違えたのですか?」


「馬鹿を言うな。禁足地に車なんか停めたら、霊障等でエンジントラブルとか起きる可能性がある。だから基本は禁足地から少し離れ、見通しのいい場所に停めるんだ。……誰かがつけてきても、すぐ分かるようにな」


 八雲の発言に思わず沙代里は首を傾げる。


「誰かって九条さんでも勝てない相手っているんですか?」


「俺だって無敵なわけじゃない。今回の場合は幽霊以外だがな」


 沙代里は八雲の言葉の意味が分からないままであった。


 その時、資料に書かれていた一文がふと視界に映る。


【清流寺跡地では、幸福教の関係者が訪れていることがあります。その場合は速やかに隠れられる所を探してください。後日行方不明者が複数報告されています】


 自分の目を疑うような文章に、沙代里は何度も資料を見返した。


 何を意味するのか理解した瞬間、顔から血の気が引く。

 

「それって幸福教の関係者に消されるから……」

 

 狼狽える沙代里に八雲は小さくも鋭い声で咎める。


「悪徳な霊感商法をしている奴らが、まともな訳ないだろ。下手すりゃここら一帯の地域が、幸福教の縄張りの可能性がある。変に周りを見渡したりするなよ。誰が見ているか分かったもんじゃない」


 八雲に言われた通り、沙代里は見渡したい気持ちを理性で抑えた。


 車内から見える範囲では、近くのコンビニにもお客らしき存在はない。


 ——ガサッ。


「ヒッ……」


 夜風で揺れる葉っぱの音に、沙代里は肩を震わせる。


 いつもならば気にしないのに、見えない影が常に付き纏っている気がして仕方がない。


 ただ車の扉を開けるだけの簡単な行動すら出来ずにいる。


 つうっと背中を伝う冷や汗が、やけに冷たく感じた。


 動けない沙代里を見て、八雲は小さくため息を吐く。

 

「だからずっとアンタには無理だと言ったはずだ。見えない視線に怯えているようじゃ、禁足地で発狂しかねない。大人しく車の中にいろ」


 沙代里にそう言い残し、八雲は車の扉を開け外へと出た。


 あまりにも簡単そうに出ていったのを見て、沙代里は唖然とする。


 八雲が日本有数の霊媒師だということに対して疑っていたわけではない。


 だがあまりにも細い身体だったから、実感が湧かなかった。


 きっと心のどこかで八雲にも、自分と同じく怖くて表面だけは強がっていると思っていた。


 それがどうだろう。車のミラー越しに見える八雲は淡々と行くための準備をしている。


 あれだけ伝統文化保護署で八雲に啖呵を切りながら、自分は安全な車の中で体を震わせているだけだ。


 いっそ境界人なんて辞めてしまおうか。負け犬の自分が優しく囁く。


 沙代里の両手が宙を切る。


 ——パシンッ!


 乾いた音が車内に響いた。沙代里が自ら叩いた頬には、鋭い痛みとじんわりと熱が籠り始める。


「馬鹿っ! それじゃ今までと同じじゃん! そうやって逃げ続けて何も変わらなかった!」


 溢れ出しそうな涙で、視界は溶けかけていた。それでも目に宿した光は、まだ消えかけていない。


 足元に纏わりつく死への恐怖も、逃げたいと喚くもう一人の自分も無視して、震え続けている手で車の扉に手をかける。


「私はもう逃げないんだっ!」


 何もかも振り払うように、沙代里は外へと飛び出した。


 夜風は思ったよりも心地よく、火照った体を適度に冷やしてくれる。


「……意外と普通だ」


 周りがとても静かで、車内で襲われていた恐怖が嘘のように思えた。


 握り締めたせいで、しわくちゃになった資料を伸ばす。


 境界人として一歩でも歩み出せたことに、小さな笑みが零れる。


「仕事、頑張ろう」

 

 沙代里は軽くなった足取りで、八雲のところへと向かう。


 八雲はリュックサックに、見慣れない道具を詰め込んでいる。


 視線すら向けられていない。それでも沙代里は深々と頭を下げた。


「先ほどは情けないところを見せてしまい、申し訳ありません。九条さんからしたら、私は何も知らない一般人です。今まで組んできたパートナーの中で、一番の足手まといだと分かっています。それでも一緒に仕事がしたいです。お願いします。私にもう一度チャンスをください」

 

 漸く八雲は沙代里に視線を向ける。


 数秒ほどの無言が、沙代里にとっては無限に近い感覚であった。


 八雲が何かを漁る音がする。


 様子が気になりながらも、頭を上げずにいると黒い石で出来た数珠が差し出された。


「オニキスは魔除けに適している。右腕につけろ。リュックの中にスタンガンとかがあるが、もしもの時は迷わず使うように。この仕事は自分の身は自分で守れだ。……俺は一般的な感覚が分からない。念のために道具は確認しておけ」


 沙代里は顔を上げ、八雲の表情を見る。表情筋が死んでいるのかと思うぐらいの仏頂面だ。


 差し出されたオニキスを受け取る際、八雲の手の温かさに心が震えた。


「ありがとうございます!」


「アンタは諦めた時点で置いていくからな。言い続けているが、禁足地は甘くない」


 無邪気な笑顔を向ける沙代里に対して、八雲はそっぽを向く。


 言われた通りにリュックサックの中を確認する。


 護身用の道具だけではなく、みぞれ飴や桜の模様が可愛らしいお守りも入っていた。


 八雲の優しい一面に沙代里は微笑ましく思うも、言ってしまうと消えそうで、心の奥へとそっとしまう。

 

「置いていかれないように頑張ります! 今日はよろしくお願いしますね!」


「……あぁ」


 たった一言。それだけなのに沙代里の中で、八雲の傍にいることを許された気がした。


 それがまた嬉しくて、清流寺跡地に続く道へ歩き出した八雲の背中を夢中で追いかけていく。


 ******


 最初は見通しよく平坦な道が続いており、散歩しやすそうだと感じていた。


 しかし清流寺跡地へと向かうにつれ、明かりが消えていく。


 今では切れかけの街灯が一つ佇んでいるだけだ。


「なんか変な道ですね……。駐車場からそんな離れていないのに、まるで別の場所みたいです」


「ここまだマシだ。あの街灯を超えたら、()()()()()()


「それってどういうことですか……?」


「行けば分かる。何があっても俺がいいと言うまで、絶対振り返るな。いいな」


 八雲は街灯の先へと歩き出す。沙代里も追いかけ、一歩踏み出すと全身の鳥肌が立った。


 誰かが見ている。それも一人じゃない。何十、何百という人が自分達を睨んでいる。


 だが姿は見えない。隠れるような場所もないのに、確実にいる。


 目の前でナイフを突きつけられているような恐怖に、八雲に助けを求める声を絞り出す。


「く、九条さん……」


「気を強く持て。隙を見せると憑りつくどころかナニか取られる」


「は、はいっ……」


 お守り代わりにリュックサックの紐を強く握りしめる。


『おねえちゃーん!』


 突然後ろから空気を揺らすほどの少年の声が響き渡った。


「えっ!」


 夜十時も過ぎた時間に子どもがいる訳ない。


 なのに声の生々しさが、少年がいると思い込ませてくる。


 極度の緊張感から過呼吸気味になり、頭に酸素が回ってこない。


 ——振り返ってしまいたい。


 沙代里が心の中で弱音を吐くと、生暖かく獣臭い息が右耳を掠めた。


 反射的に振り返りそうになる。その瞬間、八雲が大声で叫んだ。


「振り返るなっ! 前にいる俺だけを見ていろ!」


 焦り交りの力強い八雲の声は、沙代里の鼓膜をビリビリと震わせる。


 あまりの衝撃に、沙代里の口は開きっぱなしになった。


 先ほどまで無数の視線が気になって仕方がなかったのに、全ての意識が八雲の背中に集中する。


 暗い道の中で唯一信じられるモノだと気づいた時、沙代里の中で恐怖は消え去っていく。


「……はい、もう振り向きません。ありがとうございます」


「それでいい。もうすぐ清流寺跡地に着く」


 八雲の言葉通り三分ほど歩くと、大きな門が待ち構えていた。


「ここが清流寺……」


 掠れた金で書かれた文字は、長らく放置されていることを教える。


『あはははっ!』


 中から聞こえる楽しげな笑い声が、二人を歓迎しているようであった。

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― 新着の感想 ―
これからどうなるのか、楽しみです! 八雲さん、優しくしてー!
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