第3話 甘い話には裏がある
仕事をクビになった沙代里は、通い慣れたハローワークへたどり着く。
疲れた顔で仕事を求めている人々は、何処か余裕がないように見えた。
沙代里は誰かを探している様子で、周りを見渡す。切り揃えられたショートヘアに上品にスーツを着こなす職員を見つける。
溢れ出しそうな涙を堪え、女性職員へと駆け寄った。
「助けてください森木さんっ! 仕事がなくなっちゃいました!」
「えっ! また辞めさせられちゃったの涼宮ちゃん! ……とりあえず別室に行きましょう」
森木は驚きを隠さず、目を見開く。しかし周りの視線に気づいたのか職員の顔へと戻り、沙代里を別室に案内する。
これ以上涙を耐えきれる気がしない沙代里は、大人しく森木についていく。
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別室に入ると、沙代里は涙が止まらなくなる。
森木は困ったように微笑みかけながら、子どもに言い聞かせる優しい声で話しかけた。
「涼宮ちゃん。席に座れるかしら。立ったままだと辛いでしょう?」
「も、森木さん……。せ、せっかく森木さんが紹介してくれたのに」
「仕事には合う合わないがあるわ。涼宮ちゃんが中学生の頃から色々な仕事を頑張ってきたことも分かっているつもりよ。とりあえず今は話を聞くから座りましょう」
森木は涼宮の背中をさすり、パイプ椅子まで連れて行けば座らせる。
目の前にティッシュを置かれると、沙代里は我慢の限界とばかりに感情が溢れ出した。
「もう、酷いんですよ! 今まで頑張ってきたのに、なんでいつも親のせいで……。バイト先も秘密にしているのに」
「災難だったわね……」
積みあがっていくティッシュの山が出来る度に、惨めさが膨らんでいく。
よれたシャツが涙で濡れていくのも、何度目か忘れてしまった。
世の中が憎くて仕方がない。今ならば世界を壊す悪者になりたいと心の底から願った。
泣きすぎて瞼が腫れたように重い。痛々しい沙代里の姿を見て森木は、何かを思い出した様子で席を立つ。
「ちょっと待ってね。すぐに帰ってくるから」
「えっ、待って……」
沙代里は置いていかれる寂しさから手を伸ばすが、森木は部屋から出ていってしまった。
行き場のない手はあかぎれや深爪で、二十代と言われても信じられない程にボロボロだと気づく。
今まで知らずにいたことが、恥ずかしく思い手を隠す。
「いいな……。みんなは化粧とか買えるお金があって。私もハンドクリームぐらい塗れば可愛くなれたのかな」
情けない自分の声に、体を縮こませる。
弱い自分を恥じる反面、周りを憎む心を抑えられない。
汚れた感情が頂点に達しかけた時、扉が開く音に思わず振り返る。
そこには小さなお茶のペットボトルと、求人票と思われる書類を抱えた森木がいた。
「いきなり出てごめんね!」
「あっ、だ、大丈夫です!」
ぎこちない笑顔で繕うと、森木は安心したような表情を浮かべる。
沙代里は喉に小骨が突っかかったような違和感を感じたが、気にしないふりをした。
森木はペットボトルを沙代里に差し出す。
「ほら、喉が渇いたでしょう? お茶でも飲まないと干からびてしまうわ」
自動販売機で売られている普通のお茶。周りにとっては当たり前のもの。
しかし沙代里は宝物を触るように、震えながらも大切そうに受け取る。
「ひ、久しぶりに味のある水を、飲みます。ありがとうございます。……本当に、ありがとうございます」
緊張から力が入らない。なんとかペットボトルの蓋を開け、お茶を一口飲む。
甘くて美味しいお茶は、えぐみもすらない。沙代里が思っていた以上に喉が渇いていたようで、一気に半分も飲んでいた。
荒れていた心は穏やかに変わっていく。
ペットボトルを机に置く頃には、すっかり涙が止まっていた。
沙代里は感謝をこめ、森木に深く頭を下げる。
「ありがとうございます。お陰で落ち着きました」
「いいのよ。気にしないで」
森木の安心させる優しい声に、じんわりと心が温かくなっていく。
当たり前の優しさが与えられなかったからこそ、森木の存在が沙代里の支えでもあった。
落ち着いたことで、ペットボトルと共に運ばれていた求人票に視線がゆく。
「ところで、その書類はもしかして新しい求人ですか?」
「あぁ、これね。涼宮ちゃんにいいかもしれないって思って。伝統文化保護署の契約社員の募集なんだけど」
「本当ですか! ありがとうございます。今までとは違いますよね? 工事現場とかコンビニとかが多かったのに」
パソコンすら触ったことのない自分が、事務を出来るとは思えない。
だが森木が持ってきた求人票ならば信用が出来ると思い、見ることにした。
求人票の内容を見る度に、だんだんと目の輝きが増していく。
「公共機関で初任給がこんなに高くて、条件も問わない。初心者大歓迎……」
こんな好条件が差し出されるとは信じられず、頬を強めに抓る。伝わる鈍い痛みが夢ではなく、現実だと教えていた。
「えっ! 本当に? だって完全週休二日制に残業時間も少ないですよ! しかもこんな高収入。借金返しやすくなる!」
絶望の中から見つけた小さな希望に目が眩んでいく。
「これ受けたいです! いつでも面接に行きます!」
「分かったわ。今から伝統文化保護署さんに連絡するから待っていてね」
沙代里のやる気に目を細めて喜ぶ森木は、連絡をする為部屋から出ていく。
一人になった途端、不安が沙代里の気持ちを揺らがす。
負けないように指先が真っ白になるぐらい力を込め、祈りのポーズをする。
「本当に神様がいるなら、叶えて……。この時ぐらい味方してよ」
チクタクと刻む時計の音が怖くて、額に汗が滲む。
――ガチャリ。
心臓が飛び出しそうになりながらも、扉の方へ勢いよく振り返った。
そこには満面の笑みを浮かべた森木がいて、思わず期待が高まっていく。
「希望した日で面接大丈夫って言ってたわ! 佐々木さんは私もよく知っている人だから大丈夫よ。頑張ってね!」
「はいっ! 頑張ります!」
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あっという間に面接の日が訪れていた。
今までにない人生のチャンスに直面し、緊張からゴクリと唾を飲む。
臆するなと言い聞かせ、高そうな扉に三回ノックする。
「失礼します! 涼宮沙代里ですが、入ってよろしいでしょうか」
「どうぞ、お入りください」
思ったよりも若い男性の声に内心驚きながらも、面接室に入った。
そこには黒ぶちの眼鏡に七三で整えた三十代ぐらいの男性が一人座っている。
沙代里は恐らく森木が言っていた佐々木なのだろうと理解をした。
佐々木はにこやかな笑みを浮かべながら、誰も座っていない席へ手を向ける。
「お座りください。今日面接を担当させていただく佐々木です。よろしくお願いしますね」
「ありがとうございます。よろしくお願いします!」
深くお辞儀をした後、沙代里は席へ座った。佐々木はジッと静かに見つめるだけで質問をしない。
数秒の沈黙が重くのしかかり、息苦しい。
緊張から敏感になってか佐々木とは違う視線を感じ始めた頃、佐々木が嬉しそうに微笑む。
「涼宮さんはいつからシフト入れますか?」
「明日からでも大丈夫です!」
合格の合図だと分かると即座に答えたが、その後どんな話をしたか思い出せない。
沙代里が気が付いた時には、スーパーの袋をぶら下げた状態で家に帰っていた。
浮かれた気持ちのまま半額シールの張られたコロッケと、大好きなオレンジジュースでパーティーをする。
「これからいい人生になりそう」
隙間風が辛い六畳間の部屋で、明るい未来を思い描く。
早く働きたいと思う気持ちを膨らませ、一週間過ごし続けた。
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初めて伝統文化保護署の契約社員として働く日が訪れる。
沙代里は動きやすい恰好で出勤してくださいと佐々木に言われ、着古した赤ジャージを纏っていた。
言われた場所まで向かうと、シンプルな扉が目の前に現れる。
「よし、がんばるぞ!」
深呼吸を何度も繰り返した後、勢いに任せ部屋へと入っていく。
「おはようございますー……?」
視界に広がったのは四方の壁に貼られた札。不気味な人形や何処で作られたかも分からない仮面が無造作に飾られていた。
想像した華やかなオフィスとは違い、怪しげな空間に顔が引きつる。
「なに、これ……」
実家を思い出せば、頭の中で警告音が鳴り響く。
思わず後ずさりをする沙代里の背中に、何かが道を阻む。
振り返ると面接をしてくれた佐々木が、無表情で自分を見下ろしている。
佐々木の目は見る者の心を凍らせる冬を連想させ、沙代里の顔は青ざめていく。
「ヒッ! ごめんなさい!」
佐々木は気にしていないとばかりに、仮面を張り付けたような笑みを浮かべる。
「お待ちしておりました。涼宮さんには今日から境界人として、働いていただきます」
沙代里は恐怖から力が抜け、その場にしゃがみ込む。
怯えている沙代里の様子をじっと見つめる人影の存在は、静かに見守っているだけであった。




