第2話 負け犬の朝
涼宮沙代里二十一歳の人生を例えるならば、負け犬の三文字が相応しい。
親は新興宗教にのめり込み、払いきれない借金を作った。
周りから腫物扱いを受けるほどに、親は宗教に縋る。
『頭いかれた家族』
周囲が自分に貼ったレッテルは、二度と剥がれない。沙代里自身が一番分かっていた。
しかしある男と出会うことにより、運命が大きく変わる。
――すでにバカみたいな夢物語が始まっていることを、この時知るもしなかった。
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朝のコンビニは戦場だ。
小さなミスで怒鳴られる。沙代里は、それが嫌で神経を限界まで尖らせていた。
疲れを見せないように無理やり笑みを浮かべ、マニュアル通りの対応をこなす。
「ありがとうございました! またお越しください!」
皺ひとつないスーツを纏うサラリーマンは沙代里に視線すら向けず、スマホ越しの相手で忙しそうに去っていく。
ため息を吐きたいのを堪え、レジからでも見える時計を見た。
時計の針は八時五十五分を知らせてる。たった五分。早く帰りたい気持ちを押し殺し、レジの一部として働き続けた。
「涼宮ちゃん。ちょっと来て」
退勤の時間になり、解放されると喜ぶも束の間。小太りの店長がバックヤードから手招きしている。
「えっ、あっ、はい」
沙代里は急なシフトのお願いかと思いながら、バックヤードへ入っていく。
しかし店長はシフトを打ち込むパソコンを弄っていない。それどころか黄ばんだ瞳の奥は冷え切っていた。
「涼宮ちゃんには悪いんだけどさ、明日から来なくていいよ」
いきなりのクビ宣言に沙代里の丸い目は、ますます丸くなる。
「……へっ? な、なんでですか? 今まで遅刻もしたことないですし、クビになる理由が浮かばないといいますか……」
理由が浮かばない沙代里に、店長はわざとらしくため息を吐く。
「親御さんの宗教勧誘の件で、店への苦情が続いているんだよね。……下手な噂立てられたくないっていうか。正直言えば、迷惑なんだよね。君も大人なんだから、分かるでしょ」
店長は口臭エチケットとして噛んでいるガムを、クチャクチャと音を鳴らす。それでも長年吸い続け染みついたタバコの臭いが、沙代里の鼻をダメにする。
ティッシュに包まれたガムのように、あっさりと捨てられた。
震えるほど拳を握り締める。思いっきり殴りつけたい衝動を抑えるため、数秒口を閉ざす。
そして口元が引きつっていると分かる慣れた笑みを浮かべた。
「分かりました! 今までありがとうございます。制服はどうしましょうか!」
「あぁ、洗濯しなくていいから今すぐ返して。その方がお互い楽でしょ?」
文句の一つも言わず、制服を綺麗に畳んでデスクに置く。
店長は沙代里の存在すら忘れたように、何も言わない。
沙代里は唇を強く噛み締め、最後に深くお辞儀をする。
「本当にありがとうございました」
せめてもの抵抗に、ゆっくりとした足取りで裏口まで歩く。それでも店を出るまで反応はなかった。
――ガチャン。
わざとらしく鍵をかける音が、二度と来るなという無言の圧に感じる。
沙代里は背中から刺される拒絶に耐えられず、衝動のまま駆け足で去っていった。
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「あーっ! もう! こっちが下手に出るしかないこと分かっているくせに、理不尽ばかり押し付けてきてさー! 挙げ句の果てには使い捨てとか最低だ! そこら辺にあるコンビニなのに!」
沙代里は子どものように近所迷惑を考えずに、喚き散らかす。そうでもしないと正気を保てる自信がなかった。
しかし夜勤明けで疲れた体では、怒りを持続させる元気はない。
だんだんとエンジンが切れたように、歩くスピードが遅くなっていく。
ついに足を止めた時、ポロリと隠していた弱音が漏れ出す。
「……私だって好きでこんな人生歩んでない。親を選べるならあんなの選んでいない。こんな借金まみれになっていないし。私にだって夢が沢山あったもん」
視界の端で宗教団体のポスターが『救われたい者は世界の境界線を越えよ』と誘惑をする。
その瞬間、両親が一心不乱に祈る姿が頭によぎった。視界がグラつくと立つこともできず、その場にしゃがみ込む。
「ゲホゴホッ! オゲッ……」
喉元まで登ってきた胃液を抑えることが出来ず、地面にぶちまけた。
言葉で喚き散らした時のように吐けばいいだけだが、上手くできず鼻の中に胃液が流れる。
吸う空気が苦く酸っぱい。
嫌になるほどの晴天なのに、沙代里の足元だけ涙の雨が降っていた。
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暫く汚れた地面を見つめていたが、自分の頬を強めに叩く。
「仕方がないっ! またハローワークに頼るしかないよね!」
気合いをいれるように声を張り上げ、勢いよく立ち上がった。
茶色の瞳はまだ死んではおらず、危ういまでの光を宿している。
ハローワークへ真っすぐ歩む背中は、少し力を加えただけ倒れそうなほど頼りない。
この道の先に待ち受ける運命は、地獄よりも深く温かな奈落だということに、沙代里すら気づいていなかった。




