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禁足地の境界線  作者: 多田羅 和成
第1章 初めての仕事

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第2話 負け犬の朝

 涼宮沙代里すずみやさより二十一歳の人生を例えるなら、失敗の二文字が相応しい。


 親は宗教にのめり込み借金を作り、周りからは頭がいかれた家族だと馬鹿にされる。


 馬車馬の如く働いても、雀の涙程度の給料すら手元に残らない。


 彼女は紛れもなく負け犬だった。


 しかし、あの日の出会いがすべてを狂わせることになるとは――このときの彼女は、まだ知らない。


 ******


 朝のコンビニは戦場だ。


 小さなミスで怒鳴られないように、沙代里は神経を尖らせていた。


 疲れを見せないように笑みを浮かべ、マニュアル通りの対応をこなす。


「ありがとうございました! またお越しください!」


 皺ひとつないスーツを纏うサラリーマンは沙代里に視線すら向けず、スマホ越しの相手で忙しそうにしている。


 レジから見える時計を見れば、八時五十五分を知らせていた。


 たった五分。早く帰りたい気持ちを押し殺し、レジの一部として働き続けた。


「涼宮ちゃん。ちょっと来て」


 退勤の時間になり、解放されると喜ぶも束の間。小太りの店長がバックヤードから手招きしている。


「えっ、あっ、はい」


 いつもの急なシフトのお願いかと思いながらも、奥へと入っていく。


 しかし店長はシフトを打ち込むパソコンを弄らず、瞳の奥が冷え切っていた。


「涼宮ちゃんには悪いんだけどさ、明日から来なくていいよ」


「……へっ? な、なんでですか? 今まで遅刻もしたことないですし、クビになる理由が浮かばないといいますか……」


 いきなりのクビ宣言に沙代里の丸い目は、ますます丸くなる。


 理由が浮かばない沙代里に、店長はわざとらしくため息を吐く。


「常連さんから聞いた話だけどさ、君、借金あるって本当? しかも、何度注意しても親が店の前で宗教勧誘してきたよね。……こっちも商売だから、下手な噂立てられたくないっていうか。迷惑なんだよね。もう君も大人なんだから分かるでしょ」


 外で吸ったばかりであろうタバコの臭いが鼻につく。口臭エチケットとして噛んでいるガムのせいで、クチャクチャと音を鳴らしていた。

 

 沙代里からすれば仕事を失う状況なのに、味気のないガムを捨てるような感覚で斬り捨てられる理不尽さに、拳を握りしめる。


 溢れ出す怒りを飲み込むため、数秒の口を閉ざす。


 口元が引きつりながらも慣れた笑みを浮かべ、薄っぺらい感謝を言葉にする。


「分かりました! 今までありがとうございます。制服はどうしましょうか!」


「あぁ、洗濯しなくていいから今すぐ返して。その方がお互い楽でしょ?」


 沙代里は文句の一つも言わず、制服を綺麗に畳んでデスクに置く。


 店長は何も言わない。沙代里は唇を強く噛み締め、最後に深くお辞儀をし、裏口から店を出る。

 

 ――ガチャン。


 わざとらしく鍵をかける音が二度と来るなという無言の圧に感じる。背中から刺される拒絶に耐えられず、衝動のまま駆け足で去っていった。


「あーっ! もう! こっちが下手に出るしかないこと分かっているくせに、理不尽ばかり押し付けてきてさー! 挙げ句の果てには使い捨てとか最低だ! そこら辺にあるコンビニなのに!」


 沙代里は子どものように近所迷惑を考えずに、喚き散らかす。そうでもしないと正気を保てる自信が、沙代里にはなかった。


 しかし夜勤明けで疲れた体では怒りを持続させる元気もなく、エンジンが切れたようにだんだんと歩くスピードが遅くなっていく。


 ついに足を止めた時、隠していた弱音がポロリと漏れ出す。


「……私だって好きでこんな人生歩んでない。親を選べるならあんなの選んでいない。こんな借金まみれになっていないし。私にだって夢が沢山あったもん」


 視界の端で宗教団体のポスターが『救われたい者は世界の境界線を越えよ』と誘惑をする。


 そのせいで両親が一心不乱に祈る姿を思い出し、吐き気で視界がグラつく。


 立つことすらできなくなり、その場にしゃがみ込む。極度のストレスで胃液を地面にぶちまけた。


 さっきみたいに感情任せになれば楽になると分かっているのに、上手く言葉が出てこない。


 嫌になるほどの晴天なのに、沙代里の足元だけ涙の雨が降っていた。


 暫く汚れた地面を見つめていたが、自分の頬を強めに叩く。


「仕方がないっ! またハローワークに頼るしかないよね!」


 気合いをいれるように声を張り上げ、勢いよく立ち上がった。


 茶色の瞳はまだ死んではおらず、危ういまでの光を宿している。


 ハローワークへ真っすぐ歩む背中は、少し力を加えただけ倒れそうなほど頼りない。


 この道の先に待ち受ける運命は、地獄よりも深く温かな奈落だということに、沙代里すら気づいていなかった。

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