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禁足地の境界線  作者: 多田羅 和成
第1章 初めての仕事

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第1話 見えない境界線

 夏の湿気を帯びた生暖かい風が、黒を纏う男の頬を掠める。


 夜とはいえ暑いはずだが、汗一つ流さず季節外れのロングコートを靡かせていた。


「ここか」


 男の視界に映るのは、真っ赤な鳥居と無造作に生えた竹藪。


 その奥から酸化が進んだ血とカビた匂いが漂い、肺の中を穢そうとする。


 周りにある住宅街の灯りですら、二十メートル四方もない土地を避けていた。


 世界のルールすら歪まされた場所であり、人が立ち入ってはならない場所だと空気自体が圧をかけている。


『はい、境界人きょうかいびと八雲やくもさんにしか頼めない禁足地きんそくちとなっております』


 スマホ越しに聞こえる低い声は緊張が滲んでいた。しかし八雲には焦りはない。


 殺意を帯びた突き刺さる無数の見えない視線すら、慣れている様子であった。


「今から境界を敷くから、後はよろしく頼むよ。佐々ささきさん」


『ご武運を』


 佐々木の祈りを聞き、八雲は静かに微笑む。


「いつもありがとう。それじゃ」


 通話を切ると空を映した青い瞳に宿された光は刃となった。


 八雲は境界線代わりとなっている鳥居を潜り抜ける。


 その瞬間、体にのしかかる重力が増し、空気そのものが拒絶していた。


 無造作に生えた竹藪の隙間から、首のない落ち武者が覗き見る。


 未だ戦乱の世を生きる彼らは八雲の命を奪わんと狙うも、見えない壁に阻まれているように近づくことはない。


 落ち武者達は恨めしそうに睨む。


 八雲はそんな落ち武者など目をくれず、更に奥へと進んでいく。

 

 すると突如拓けた場所に辿り着き、真ん中には苔の生えた小さな祠が佇んでいた。


 お供え用に置かれているであろう皿は薄汚れ、一部欠けている。


 八雲がハンカチで皿を拭うと、べっとりと汚れがこびり付く。

 

 八雲の眉間に皺が深まる。何も口には出さず皿を元の位置に戻し、饅頭と濁り酒が入った瓶を置く。


 平和になったことで忘れ去られた荒れ狂う土地神に祈る。


「安心してお眠りください」


 八雲の濡鴉色の髪を温かな風が撫でた。静かだった土地から虫の音が聞こえ始める。


 八雲は祠に一礼をした後、元来た道へと引き返す。


 来た時とは違い落ち武者達の姿もなく、何事もなく鳥居の境界線を越える。


 先ほどよりも街灯が眩しくて、八雲は目を細めた。


「境界は敷かれたことを佐々木さんに報告しないとな」


 八雲は電話をかけようとスマホを取り出そうとする。


 その時平穏な空気を切り裂くように、男女の笑い声が響き渡った。

 

「ここマジでヤバい心霊スポットらしいぜ」


「えー? 全然見えなーい!」


 下品な話し声に、八雲は思わず視線を向けてしまう。


 見えたのはアクセサリーを大量につけ露出度の高い女が、半グレの厳つく若い男の腕に胸を押し当てていた。


 女から放たれる甘すぎる香水の匂いに、胃液がこみ上げそうになる。


「ここまで来たなら中に入ろうぜ?」


「何かあったらどうするのー?」


「そんなの得意なボクシングで、誰だろうとボッコボコにしてやんよ!」


「きゃー! まっくんカッコいい!」


 カッコつけたい男はその場でシャドーボクシングをし、女は黄色い声で甘えた。


 八雲は冷や水をかけられた気分になるも、何も言わず二人とすれ違う。


「どうせ幽霊なんかいないし」


「だよねー! せっかくだから写真とか撮ってみんなに自慢しちゃお!」


 小馬鹿にしたように笑い合い、男女は鳥居の先へと入っていく。


 竹藪は逆鱗に触れられたかの如く、風がないのに大きく竹が揺らめき、一層血の臭いが濃くなった。


「ご愁傷様」


 八雲は二度と戻ってこられないであろう二人に、呆れ交りの同情を投げかける。


 佐々木に連絡がついた頃には、興味すら湧かなくなっていた。


「仕事終わったよ佐々木さん」


『お疲れ様です八雲さん。そういえば良い知らせがあります』


 八雲は電話越しの佐々木の声がワントーン高いことに気が付く。


 嫌な予感が頭に過ぎれば、目を細めた。

 

『貴方のビジネスパートナーが見つかりました。前みたいに一日で解消はしないようにしてくださいね』


「ずっと言っているだろ。俺にはビジネスパートナーはいらない。一人で出来る」


伝統文化保護署でんとうぶんかほごしょとして、優秀な貴方を失うわけにはいかないのです。決定事項ですから一週間後、署に来てくださいね』


「あっ、おいっ!」


 提案を拒否しようとする前に電話を切られる。


 八雲は何度も電話をかけなおすが、留守番電話のアナウンスしか流れない。


「チッ! 都合がいい留守電だな!」


 スマホをコートの胸ポケットにしまい、乱暴に頭を掻く。


 苛立ちを抑える為に、深呼吸を数回繰り返す。


 まだ見ぬビジネスパートナーに対して、こちら側へ踏み入ることを拒絶する眼差しを向ける。


「どうせソイツも辞めるのにな」


 街中へと紛れる背中は悲しくも孤独な色に染まっており、どこにも馴染めない迷子の子どものようであった。


******


 ――ピピピッ。


「うるさっ……」


 八雲は床に落ちているであろうスマホを手探りで探す。


 指先に当たったのを確認するとアラームを止めた後、大きな欠伸をする。


 ふらつきながらもゆっくりと体を起こし、ベッドから降りる。


「なんで朝から仕事場に行かなきゃいけないんだ……」


 最低限の家具しか置かれていない広いリビングへと向かう。二人用のテーブルに置かれているリモコンで、テレビをつけた。


 美人な女性アナウンサーが、あの日すれ違った男女が行方不明だと、感情なく知らせる。


「あぁ、やっぱりいなくなったか」


 キッチンで作り置きした味噌汁とレンジで温めた冷凍のご飯をテーブルに置く。


 退屈なニュースなど興味がないとばかりに、八雲はチャンネルを変えた。


「今日はどうやって諦めさせようか」


 これから会うパートナーを考えると、赤みその味噌汁の味も薄く感じる。


「まずいな……。もう少し塩味効かせればよかった」

 

 これは誰にも知られず、人の世と禁足地の境界線を引く仕事に就いた者達の記録。


 そして、まだ出会っていない二人がお互いの境界を超える物語である。

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― 新着の感想 ―
Xから来ました。 言われていた通り、固めな出だしと、濡鴉色(ぬればいろ)とか、カッコいい単語とか使われていて、私には真似できないというか、絶対でてこないし、才能が羨ましすぎます(n*´ω`*n)
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