(51)伝えたい気持ち、伝わらない思い
大観覧車から見下ろす風景は、まさに絶景だった。
心地の良い浮遊感、小さくなる人たち。ライトアップされ、闇の中に輝くように浮き立つ遊園地は、まるでファンタジーのように幻想的な美しさを醸し出していた。
よく考えると、聖ジュリアンヌ女学院に来てからは常に女の子から囲まれていたが、こうして女性とデート、それもこんなロマンチックな場所で二人きりというのは、中々に緊張する。
「あ、あの。桜さん。真莉亜さんとは、あのあと大丈夫でしたか?」
「……え、真莉亜ちゃん?」
聞き返す、というよりは聞き咎める、といった訝し気な表情だ。拓夢は慌てて、
「い、いや。この前なんかお二人とも凄く喧嘩してたじゃないですか。だから僕、凄く心配になってて……」
それは先日、資料室や廊下で、桜と真莉亜が自分を巡って修羅場を展開させた場面のことだ。
「あ、あのっ。余計なお世話だったらアレですけど……。でもここの所、桜さん少し元気が無いというか、少し思い詰めてるような気がするんです。それで……ええと……」
拓夢は言いよどむ。他の女性との喧嘩の話題を、デート中に話すのはデリカシーに欠けるのでは? と思ったからだ。拓夢は必死に頭を働かせ、言葉を紡ぐ。
「も、もし真莉亜さんとの間に誤解があるようなら……僕でよければ力になりますよ?」
そう、それが一番言いたい事だった。テンプテーション・スメルのせいで二人が争っているとしたら、それは自分のせいだ。何かしないわけにはいかない。
その思いが通じたのかどうか、桜はフッと笑って、小型の窓を開きながら、
「ありがとうね、拓夢くん。こんなわたしの為に……」
「桜さん?」
ギョッと拓夢は桜を見た。絹糸よりも艶やかな長い髪がサラサラと流されて、花のような気持のいい香りが漂ってくる。
桜は景色から目を離さずに言った。
「あの後ね、わたしと真莉亜ちゃん、大喧嘩したの」
「ええっ!? お、大喧嘩って……」
「ううん。そんな大したことじゃないんだけど。どっちの方が拓夢くんを愛してるかって言い合いになって、どっちもどっちなんだけどね。でも、譲れなかった。わたしにとっては初恋だし、真莉亜ちゃんだって、婚約者をフッてでも拓夢くんに告白したわけだし……」
「僕の、せいですか?」
震える声で、独り言みたいに拓夢はつぶやいた。桜もまた、深刻な表情で俯いている。この観覧車と同じだ。期待や不安、恐怖や希望といった感情がない交ぜになって、グルグルと回っているのだろう。
「……ちがうな。こんな話をしたかったわけじゃないのに。ごめんね、拓夢くん。今日のわたし、何だかおかしい」
そう言ってから、桜はふるふると首を振った。
「真莉亜ちゃんから聞いたの。拓夢くんが、真莉亜ちゃんのご両親にご挨拶に行って、すごく気に入られたって。だから、わたし凄く焦ってる。でも、拓夢くんが悪いわけでも、真莉亜ちゃんが悪いわけでもない。わたし自身の、心の問題」
桜はそう言って、軽く一つ溜息をつく。
「ねえ、知ってる? 拓夢くん。この遊園地に伝わる伝説」
「……でんせつ?」
「そう、伝説。日が暮れて空が暗くなる黄昏時、この観覧車の頂上でキスをしたカップルは、永遠に結ばれる……って、悲しい伝説がね」
桜は悲しげに、今度は深くため息をついた。こんな桜の姿を見るのは初めてだ。
「だから拓夢くんを、ここに連れてきたの。拓夢くんと結ばれる為に。拓夢くんには女性アレルギーがあるのに。それに、庶民同好会のみんなを出し抜いてまで。こんなことしちゃいけないって思った。でも、どうしたらいいか分からないの。わたし、こんな風に誰かを求めたのは初めてだから、自分で自分が分からない。わたし……一体どうしたいんだろう」
純真な少女は、そこで言葉を閉ざす。拓夢は、胸を衝かれた思いがした。桜と初めて出会った日の事は、今でも鮮明に覚えている。彼女は天真爛漫で、屈託なく、優しくて、誰かと争うことなんて考えられないような少女だった。テンプテーション・スメルの影響もあるのだろう。そして、他のライバルの出現で焦る気持ち。そこに真莉亜との関係が追い打ちになったとしたら……。それは全て、自分のせいだ。
「すみません。僕のせいで……」
「ちがうよ。さっきも言ったけど、これはわたし自身の問題。わたしが一方的に拓夢くんを好きになったの。ここにも、わたしが勝手に来たいって言っただけ。だから反省するべき所は、反省しようと思ったの」
桜は視線を落とした。つられて拓夢も下を見る。電飾の淡い光の一つ一つの煌めきが、まるで光の輪のように広がって闇に溶けていく。それはまるで夢のような美しい光景だった。そう、いつかは終わる夢……。
「桜さん、僕は……」
何か言いたくて口を開こうとした時、ふいに唇がふさがれた。
「——ッ!?」
声が出ない。目の前には、桜の顔。触れているのは、彼女の唇。真っ赤な舌先から伝わるのは、異性としての官能。自分を愛しているという思いだ。
「……ごめんね、拓夢くん。わたし、どうしても諦めきれないの」
その言葉と共に唇を離した桜は、拓夢に向き直った。
「わかってる。わたし、ワガママだよね。だから、ちゃんとケジメをつけなきゃ。それに……」
なおも何かを喋り続ける桜だったが、拓夢の耳には聞こえていなかった。拓夢の意識は薄れ、今にも気絶寸前だ。
自分に一体何が出来るんだろう。拓夢が考えていたのは、そのことだけだった――




